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 ■●■ たかが経済 ■●■

1 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 13:44:50

藤原正彦氏の『国家の品格』を読んで大切なことに気付きました。
肝心なのは、国家や国民の品格をしっかり守ることです。経済的斜陽が一世紀続こうと、孤高を保つべきと思います。文化や伝統や情緒などは、経済的な能率・効率よりも遥かに価値が高いということです。たかが経済なのです。



2 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 13:57:02
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 1
http://homepage2.nifty.com/kamitsuki/fujiwara.htm

                         06/05/07
 
 藤原正彦氏のベストセラー「国家の品格」は、〇六年五月一一日現在「バカの壁」より58
日早い190日で200万部を達成したそうだ。確かに一見、わかりやすい内容である。
藤原氏の国語教育に関する考え方などには同意できる部分が少なからずあった。しかし残念な
ことに、本書は数学者とは思えない杜撰な論理と浅薄な知識、アナクロニズムによって書かれ
た本であると云っても過言ではない。
まえがきの末尾に「品格なき筆者による品格ある国家論、という極めて珍しい書となりました」
と書かれている。「品格なき筆者」とは藤原氏が謙遜の気持ちで書かれたのだろうが、決して
謙遜されるには及ばない。まさにそのとおりだと思う。
 「遺伝学のダーウィン」と述べるなど、信じられないような誤りもあるが、もっとも気にな
るのは本書に一貫した、論理の杜撰さと、誠実さの欠如である。内容の極端な偏りはその帰結
だと云ってよい。
後述するが、論理と情緒という対置するにふさわしくない概念を並べ、「論理より情緒」と主
張したり、国民を「真のエリート」と「庶民」に二分したりと、、過激な意見が述べられてい
る。事実を正確に過不足なく伝えようという誠実さがないし、極端な単純化が随所に見られる。
主張の根拠として示される事実は恣意的に選択されたものが多く、いくら学術論文ではないと
云ってもここまで「品格」を落としてもよいだろうか。理を尽くさず、ひたすら情に訴えると
いう奇妙な「論文」だ。この方は本当に数学者なのだろうか。
 他国と比較して日本国民とその文化の優秀さを賛美することが本書の基調となっている(皇
国を持ち上げた戦前の日本、またアーリア人を最優秀人種としたナチスとも似ている)。江戸
期から明治期にかけて来日した外国人による日本賛美の話をいくつも取りあげ、その証として
いる。そのため日本人でさえあれば、われわれは選ばれた国民なのだと、労せずしていい気分
になれるよう仕組まれている。


3 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 13:58:18
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 2

しかし、外国人らは「東洋の未開国にしては」という前提で日本を褒めたのではないだろうか。
明治期の東京帝国大学の教師であったチェンバレンは日本人の特徴として「付和雷同を常とす
る集団行動癖」をあげており、褒められた話ばかりではない。世界史の中で日本が特異な位置
を占めていることを否定する気はないが、今、日本をことさら賛美することも、卑下すること
も意図的な色づけであり、賛成はできない。
 本書は他国との差異を強調し、ナショナリズムを煽るところがあるため、右寄りの先生方の
中にはこれを高く評価する向きがあるようだが、自らの見識を疑われることにならないとも限
らない。
 「国家の品格」が売れた背景には近隣諸国の反日感情の高まりと、日本に対する高圧的態度
があると思われる。日本国民の優位性を説き、持ち上げるという内容は近隣諸国に向けられた
苛立ちの解消法となるのだろう。しかしやり過ぎればナショナリズムを煽る危い解消法でもあ
る。以下、「国家の品格」を中心に問題点のいくつかを取り上げたいと思う。

論理の限界を説く「非論理的」説明
 「国家の品格」のまえがきに「論理だけでは物事は片付かない、論理的に正しいということ
はさほどのことはない」、また「私の中で論理の地位が低下し、情緒とか形がますます大きく
なりました」とあるように、要するに論理よりも情緒と形を重視せよということらしい。情緒
・形とは藤原氏によれば、「ここで言う情緒とは、喜怒哀楽のような誰でも生まれつき持って
いるものではなく、懐かしさとかもののあわれといった、教育によって培われるものです。形
とは主に、武士道精神からくる行動基準です」だそうだ。
まず論理と情緒・形を並置しておかしくないだろうか。論理とは思考の手段に過ぎず、いわば
道具である。情緒は感じ方、武士道精神はひとつの価値体系である。比較対照するにふさわし
い同じレベルの概念とは思えない。たとえば、金銭至上主義やめて武士道を、というならわか
るが、論理をやめて武士道、ではさっぱり分からない。
 強いて解釈すると自分で思考することををやめて、武士道の定めるままにままに行動せよと
いうことだろうか。


4 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 14:02:22
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 4

 「この教授は『あのノイズは何だ』と言いました。スタンフォード大学の教授にとっては虫
の音はノイズ、つまり雑音であったのです」(中略)「なんでこんな奴らに戦争で負けたんだろう」。
 この表現もコンプレックスの存在を窺わせる。また音に対する感性と戦力の間に関係がある
というのは初耳だ。
 バッハ以来の西欧音楽の豊かさを知っていれば、欧米人の感性をこんな風に断定することは
出来ないだろう。普遍性、質・量に於いて、邦楽が西欧音楽を凌駕すると思う人はまずいない
と思う。理解していない方は別だが。欧米ではその音楽を理解することはエリートの条件とも
聞く。
 近年の、犯罪、家庭崩壊、教育崩壊といった荒廃は西欧的な論理、近代的合理精神の破綻(
の結果)であると結論づけている。犯罪、家庭崩壊、教育崩壊とあるが、これらの現状をきち
んと把握されているのだろうか。二〇〇四年版の犯罪白書によると主要犯罪の発生率は英米仏
では九二〜〇二年はほぼ横ばい、米ではかなり減少傾向にある。日本では同期間で増加が見ら
れたが〇二年以後は減少傾向となっている。家庭崩壊、教育崩壊については統計が見当たらな
いのでわからないが、社会の基本的な理念が破綻するのは大変なことであり、簡単に断定して
よいものだろうか。
 主張される以上、これらが先進国で増加しているという根拠を示し、さらに犯罪、家庭崩壊
などと、西欧的な論理などとの因果関係を示すべきだ。他の理由、例えば核家族化の進行など
でもこれらのことは起こるのではないか。これらはひとつの原因だけで説明できるものではな
いと思う。あまりにも雑で、飛躍が多く、途中の段階を示していただかなければさっぱりわか
らない。いくら論理より情緒といわれても、正確な論理なしには伝わらない。



5 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 14:06:45
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 5

 マスメディアは凶悪犯罪、家庭崩壊、格差拡大など、次々と誇張された社会の事象を我々に
見せる。藤原先生はきっと極めて正直な方で、メディアの差し出すものをそのまま鵜呑みされ
ているのだろう。だがこのような誇張されたイメージを検証もせず、それを基にして議論を展
開してもろくな結果は得られない。意味がないどころか、有害である。このようなやり方は本
書すべてに見られる。
 また第六章には遺伝学のダーウィンという記述があるが、ダーウィンを遺伝学とされるのは
進化論のことをあまりご存じないのだろう。進化論を知らずして西欧文明を批判するのはとて
も勇敢なことだ。他のことならともかく、生物学を超えて思想界に大きな影響を与えた進化論
は「真のエリート」だけでなく、私のようなタダの庶民にとっても必須の知識だと思うのだが。

市場原理主義
 「公平に戦って、勝った者が利益を全部とる(ウィナー・テイクス・オール)」というのが市
場原理主義だという。市場原理主義と云う用語は多分レーガンやサッチャーが実施した新自由
主義を指すのだろう。月刊現代四月号には「亡国総理のお粗末な論理」という過激な題名の記
事がある。自らの「お粗末な論理」を棚に置いて、よくも他人の「論理」を批判できるものだ
と、その勇気には感服するが、その中で、小泉亡国総理は市場原理主義を進めたとし、次のよ
うな表現がある。
 「私は『市場原理主義』をボクシングの試合にたとえます。ボクシングから規制を取るとす
る。素手で殴ってもいいし、後頭部や急所を狙ってもいい。ひじうちも認められ、さらには相
手が気を失って倒れてもさらに殴ってかまわない。(中略)三試合に一試合はどちらかが死にま
す。すなわち自由競争とは『獣の世界』なのです」。


6 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 14:11:11
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 6

 以下はむろん庶民レベルからの反論に過ぎないことをまずお断りしておく。藤原先生は一九
世紀の初期資本主義と市場原理主義を同じものと勘違いされているのではないか。今の日本の
経済政策の方向は簡単にいうと、規制を緩和し、新規参入と自由競争を広げようというものだ
が、ボクシングの例のようにルールをすべて取り払って好き放題させるわけではない。新たな
規制も続々生まれている。証券市場では規制の隙間を縫って巨額の利益を得るものもいるが、
社会に価値を提供することなく巨額の利益を得る行為は公正とは云えない。これに対しては規
制を設ける必要がある。規制は弱者の保護のためにあると、藤原氏は発言されているが、それ
は部分的には正しい。だが一方で、既得権者などが様々な競争制限によって守られていること
の方が実は多いのではないか。
 競争のない世界には不公正がはびこりやすい。かつての国鉄は毎年のように運賃を値上げし
てきたにもかかわらず、その債務の残高は現在も三〇兆円ほどあり、一世帯あたり約六〇万円
にもなる。最近では欧米主要国の何倍もの高速料金を取ってきながら四〇兆円という巨額の負
債の山を築き上げた道路公団など、競争というインセンティブが働かない組織のほとんどは内
部で仲良く利益を配分してきた。犠牲になるのは外部の利用者、納税者である。
組織(企業)の人間にとっての優先順位は@自分の利益、A組織の利益、B外部の利益というの
が一般的である。組織の本来の目的のほとんどは外部の利益のためである。組織は仕事の量と
関係なく肥大していくというパーキンソンの法則はこの一側面を示したものだ。競争下であれ
ばBの外部の利益を軽視する組織は敗退する。逆に競争が制限されていれば組織自体の利益を
優先する不効率な組織も温存されることになる。護送船団方式と呼ばれる規制に守られてきた
銀行業界は仲良く高給を食み続けていたが、破綻に瀕し、巨額の税金による救済が避けられな
かったことは記憶に新しい。最近の話題でも、談合や、天下りと随意契約のセットなど、競争
を排除して組織内部の利益を優先する例は数多い。

7 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 14:14:57
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 7

自由競争こそ公正を実現するためのもっとも強力な手段であることを理解されていないようだ。
 激しい競争に曝されてきた自動車業界が世界のトップレベルの、安く優れた製品を生み、道
路公団が主要国に比べ格段に高い高速料金を取りながら返済に四五年かかる巨額の借金を築き
上げたことはたいへん象徴的である(乗用車業界は八社が共存しており、「勝った者が利益を
全部とる」状態とはほど遠い)。寡占から独占へと進むことが懸念されたのは数十年昔のこと
である。
 「『神の見えざる手』は問題を解決しない」と書かれている。たしかに神の見えざる手(自
由な市場による需給調整機能=市場メカニズム)は万能でなく、弊害も多いことは周知の事実だ。
経済格差を生み、景気循環による深刻な不況を繰り返した。しかし弊害のある部分は独占など
自由競争が実現できないために生じたことも認識する必要がある。だからこそ西側の主要国で
は独占禁止法が作られ、またケインズ流の政府部門の拡大を重ねてきたわけであり、二〇世紀
の経済は市場メカニズムを補完する方法を模索し続けた世紀だと云ってよい。一方で自由な市
場を否定した共産圏の国々は経済の運営に失敗した。
規制緩和にも問題はあるだろう。労働市場は人に値段をつけるところであり、もっとも規制が
必要なところだ。しかし規制緩和の具体例に触れることもなく、自由競争を全面否定するよう
な極端な主張は非現実的であるばかりか、自由な市場の重要性を不当に軽視するという誤った
認識を広めてしまう危険がある。
 経済に対する理解が浅かればこそこんな議論ができるのだと思う。そうでないなら、ボクシ
ングのような極端な比喩を出してきて規制緩和の負の面を極度に誇張、競争をすべて否定する
ように印象付けるやり方は詭弁であり、冷静な議論を奪う点で、きわめて有害である。それは
藤原先生がもっとも憎まれている「卑怯」なやり方である。

8 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 14:18:26
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 8

真のエリート
 「国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。国
を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう」、「エリートが原理的に暴走の危険をはらむ
民主主義を抑制するのです」と述べられている(第三章)。そして真のエリートの条件のひとつ
とは「文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷりと
身につけていること。そうした教養を背景として、庶民とは比較にならないような圧倒的な大
局観や総合判断力をもっていること」とある。一方、「国民は永遠に成熟しない」とされる。
「庶民」にとっては愉快でない言葉がつづく。
 簡単にいうとエリートを育て、彼らに政治を制御してもらえばよい政治が実現すると云うこ
とだろう。そんなことが現実に可能なら、効率が悪く手間のかかる民主主義は要らない。教養
をたっぷり身につけたエリート達になら民主主義の制御を任せられるとは、なんとも単純な楽
観論である。プラトンの哲人政治が想起されるが、二千年も昔に提唱され具現化されなかった
ものを大真面目で持ち出されるのはやはりアナクロの故か。
 「(この真のエリートが)昔はいました。旧制中学、旧制高校、こうした意味でのエリートの
養成機関でした」、ところが戦後アメリカは「下手にエリートをつくると、底力のあるこの民
族は再び強力な国家を作ってしまう」ので、「真っ先に旧制中学、旧制高校を潰してしまった」
とある。現在の東大出は真のエリートではなく偏差値エリートに過ぎないそうで、現在真のエ
リートは日本にいないと云われる。私には旧制中学、旧制高校と現在の中・高校・大学教養課
程の間にそんな大きい差があるとは思えないし、旧制の七年間で「真のエリート」が作りだせ
たとは考えにくい。成績優秀者を選抜している点はほぼ同じである。両者の教程その他の違い
からなぜ一方は真のエリートになり他方は偏差値エリートになるのか、資料と共に「論理的」な
説明がほしい。ここでも結論だけだ。
実際にはご自身を真のエリートとお考えのようだが、それならば政治の制御を任せるのはやっ
ぱり遠慮したい。


9 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 14:25:45
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 9

自由
 欧米の論理の出発点は自由や平等であり、その概念はフィクションであるとし、さらにその
由来についての正統性も疑わしいと説明される(第三章)。
「どうしても必要な自由は権力を批判する自由だけです。それ以外の意味での自由は、この言
葉もろとも廃棄してよい(後略)」、「権力を批判する自由さえ完全に確保されれば、他は制限
されていい」と書かれている。その理由として「そもそも、嫌な奴をぶん殴ったりする自由も
ないし、道端で立ち小便する自由もない。私には諸般の事情から愛人と夢のような暮らしをす
る自由すらない。ほとんどの自由は廃棄するまでもなくあらかじめないか、著しく制限されて
いるのです。欧米が作り上げた『フィクション』に過ぎません」とある。
 実質的な自由はほとんど存在しないという意味であり、自由意志の存在を疑う哲学の議論で
はなさそうだ。それならば、藤原先生は将軍様が統治するお隣の国でも、さらには刑務所でも
きっと平気でお暮しになれることだろう。しかし職業選択の自由、婚姻の自由、好きなものを
食べる自由、嫌な奴を批判する自由、どれも私には大切だ。嫌な奴を殺したり、他人の物を盗
んだりする自由は確かにないが、幸いなことに私は藤原先生と違ってそれらを不自由とは感じ
ない。完全な自由でなければ自由は要らない、というのは幼児の態度であろう。それとも真か
偽か、いずれかしか存在しない数学の思考法なのだろうか。
続いて、「ロックの言う自由や平等は、王権神授説を否定するピューリタンの考えに過ぎず、
私から見ればほとんど独断です。理論的根拠と言えるものがありません(後略)」となり、「一
見論理的と思われる自由とか平等なども、論理の出発点はかくもいい加減なものです」で結ばれる。
 この説明も納得しがたいが、要するに自由は論理の出発点がいい加減だから信用してはいけ
ないということらしい。ならば情緒や武士道が自由、平等に代わる出発点となり、さらには社
会の基本理念となり得るのだろうか。そのような社会はちょっと想像し難い。


10 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 14:28:25
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 10

平等
 平等について、生まれつきの能力をあげ「人の能力はなにひとつ平等ではないのです」とい
い、平等はフィクションだと主張される。平等とは生物的な能力のことではないことはわざわ
ざ云わなくとも誰でも知っている。法の前の平等などの、社会的な概念である。もともと平等
ではないので社会的な平等も不要というのはずいぶん変な考えである。
 藤原氏は、平等は差別に対する闘争的な対立軸だとし、その代わりに思いやり、すなわち惻
隠の情をもってすべきだという。つまり権利としての平等ではなく、上位の者が下位の者に慈
悲を与えることで平等の必要はなくなると説かれる。主君に忠誠を尽くす武士の如く、一見、
美しいが、思いやりを受ける側はたまらない。慈悲は与える側の任意なのだから、常に彼らに
機嫌をとらなければならない。それ避けようとするなら、思いやりや惻隠を法によって強制し
なければならない。困っている人を見て気の毒に思わなければ三年以下の懲役とか。冗談とし
ては面白いが、藤原先生はこんなことが現実に可能だと思われているのだろうか。
 自由、平等、民主主義はその由来が疑わしいものであるから信用してはいけない、とされる。
文春四月号に「伝統は議論せず、ただひれ伏すのみ」と書かれているように、伝統を神託のよ
うに考え、それに盲従するというのが藤原先生のお考えらしい。もう宗教の領域だ。もしそう
であれば、石器時代に戻るしかないだろう。王が死ぬと従者も同時に殺して埋葬するなど、時
代に合わなくなる伝統があるのはあたりまえだ。この世に議論をタブーとするものなど、あっ
てよいわけがない。
 自由や平等の由来がどうであっても現在に於いて価値があればそれでよいではないか。一般
に伝統が重視されるのは、永く続いたものはそれだけの価値があると考えられるからである。
伝統だからと無条件で重要視するのは本末転倒だ。価値あるものならば受け入れればよい。



11 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 14:33:40
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 11

武士道精神と惻隠の情
 文芸春秋三月号の「愚かなり、市場原理主義者」には戊辰戦争に於ける長岡藩の河井継之助
の話が出ている。徳川家への義を通し、弱者である会津側について共に敗れた河井継之助を賞
賛している。武士道を持ち出すまでもなく、河井のとった行動が美しく見えることは私にもわ
かる。しかし河井の名誉と引換えに、多数の人々が戦乱に巻き込まれ、大きな犠牲を出した事
実も同時に存在する。犠牲者の多くは徳川家へ義を通すほどの関係はなく、河井に従う以外に
道がなかったのであろう。ひとりで義を通すのはよいが、そのために戦争を始めるとなると非
常な迷惑が伴う。「一将功成りて、万骨枯る」とはよく云ったものだ。多くの犠牲者に対する
「惻隠の情」はこの場合要らないのか。このような精神を身につけた「真のエリート」は戦争
を防ぐどころか、逆に促進する危険が大きいと思うのだが。
 故意に(だと思うが)物事の一側面だけ取り上げるやり方はまたしても「卑怯」に通じる。
 日本人である私は、次のような表現に強い違和感を覚える。
 「私は小学校の時から勉強はめざましく出来ました(後略)」、「私は高校の頃、英語に圧倒
的な自信があって、各種の模擬試験でもしばしば一番とか二番をとっていました」。
 このような表現は日本の美意識になじまない。これが武士道精神だと云われれば返す言葉も
ないが、謙虚というわが日本の美風(多少とも洗練された文化では当然あると思うが)はお持ち
あわせでないようだ。
 月刊現代四月号の記事には「日産のゴーン社長は会社を再建したと評価されていますが、あ
れだけの大人数をリストラすれば短期間に成果を上げるのは簡単です」という記述がある。日
産の再建についてどの程度の知識をお持ちなのか知らないが、外国の客人にこのようなことを
放言するのは軽率かつ無礼であろう。その滅法な自信には恐れ入るが、これも武士道精神によ
るものなのか。もしかすると尊王攘夷?


12 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2007/02/11(日) 14:36:02
★藤原正彦の品格 ・・・勘違いと大風呂敷・・(本書の言葉より) 時代錯誤の数学者 12

国家の品格
 藤原氏は「国家の品格」の指標として、国家の独立不羈、高い道徳、美しい田園、天才の輩
出の四つを挙げておられる。前の二つは妥当なところだが、後ろの二つはよくわからない。こ
の四つの条件であれば、例えば圧制による自由のない国でも品格ある国家となることができる。
国としての体面より大切なのは、社会に自由や公正さがゆきわたり、権益や既得権がのさばる
ことのない仕組みが実現されることだろう。そのような国家には品格があると私は考える。
どうやら藤原先生は国を構成する国民より国家そのものを上位に置かれているようだ。個人よ
り家、家より国家という考えは百年前なら珍しいものではなかったろう。
 国の発言権は殆どその国の経済力と軍事力に依存する。基本は他国に対する影響力である。
国家に品格があれば国際的な発言権が強くなると思うのは夢想の域を出ない。非武装中立論が
幻想であるのと同様である。国際関係は個人のそれと異なり、国益中心のより冷酷かつ現実的
な関係である。品格は個人には大切な要素だが、国際関係にとってはさほどのものではない。
もしナショナリストが国民を煽ろうと考えたなら、「国家の品格」はその優れた推薦書になり
得ると思われる。「真のエリート」らしき著者によって書かれた「国家の品格」は皮肉なこと
に民主主義を抑制するのではなく、逆に暴走させるのに役立つことと思われる。
 「国家の品格」にも功罪両面がある。しかし罪が功を圧倒している。「永遠に成熟しない国
民」に誤った認識を与え、論理を軽視して、冷静な議論から遠ざけるのに大いに貢献すること
だろう。販売数が多く、著者が有名であるだけにその影響の大きさが懸念される。付和雷同型
の国民という評価が正しければ、本書の影響は無視できないものになろう。 最後に、本書の
冒頭で紹介されている一文を紹介する。
 「もっとも、いちばん身近で見ている女房に言わせると、私の話の半分は誤りと勘違い、
残りの半分は誇張と大風呂敷とのことです(後略)」
奥様の慧眼に敬意を表したい。

http://homepage2.nifty.com/kamitsuki/fujiwara.htm


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