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臨中[怒涛派]労共党

1 :革命的名無しさん:2006/05/10(水) 19:22:05
労働者共産主義委員会
→中央委員会
 都委員会
 臨時中央委員会
 神奈川県委員会
 愛知県委員会

2 :革命的名無しさん:2006/05/10(水) 19:41:45
日共ML−労共党に行ったのは、中央委員会と都委員会の少数派ですね?

3 :革命的名無しさん:2006/05/10(水) 20:16:33
一応そうなっていますが、水産大スレでは
神奈川県委員会の一部も日共ML−労共党に
統合したとの記述がありましたが真相は不明です。

4 :革命的名無しさん:2006/05/10(水) 20:17:58
     ,. -‐ 、 、       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ./     } }\   <  >1 糞スレ立てんな、蛆虫、氏ね♪
  ,'      / ,'  ヽ   \__  ______________
  ',   _ //    }       ヽ(
   ヽ二 - '     ノ- 、       `
     \     / ` .ヽヽ二ニヽ、   /ヽへ/ヽ,ヘ、,、    _,. -‐,‐┐
      ` ‐-‐_'   ノ } } \ \\「´,.-┴〜‐┴-<. `┐/´,.-‐/ /
      ,. - 、( c)‐_',.ノ ノ  ヽ / ̄`  i l.    ヽ   ̄ヽ. /  / /ニ.丶、
      ( ( `丶、ヽ -‐'      } / ,.'  ,' il i.  . . 、',.   ヽ⌒/_ /、.   `> >
       ``/ /_ ,) )、     ノ/ / ,.'〃.l| |l  l i. ! l ヽ ヽ ヽ.|  |. ヽ//
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       / /´    | | |__l.{ | i { { l ,lィェ、!ヽ },!rェ:、!l |i .! }  ! i ! |
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5 :革命的名無しさん:2006/05/10(水) 20:20:17
水産大スレで希望記述がありましたので立てたのですが
それがどうかしましたか?

6 :革命的名無しさん:2006/05/10(水) 20:27:11
怒涛派スレ復活万歳!万歳1大漫才!

7 :革命的名無しさん:2006/05/11(木) 14:36:12
>>1さん、愚息が怒涛派は「市民の視点」が足りないといっています。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワークのLPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったとか。最近、愚息が
何を思ったか、「かあさん、これからの運動の主役は権力と対峙しない市民運動だよね、僕、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」などといい出し始めました。先週の日曜日、小学生の鼓笛隊のパレードを見ながら、
「焼きソバやおでんの模擬店がないのはちょっと淋しいけど、あ〜いうのを新しい運動スタイルというんだよ、そうすれば大きな世論ができて、やがては政治を変えることができるんだよ、”善良な市民による、よりよい
市民社会の形成"、最高だね、松下政権塾が、”マルクス組、平和部会"作ったら、僕、すぐに入っちゃう、いつから高田健さんが”chanceの人”になったのか
知らないけど、僕も頑張る!」といって張り切っています。もう、家の中は笛、赤ちゃん用のラッパ、タンバリン、大きなボンボン、ペンライトなどの「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。下のファイルの下段にある
メールでの嫌がらせ、LPGの犯行に間違いないと愚息が申しております。友人の母とて無関係ではありえません。今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


8 :革命的名無しさん:2006/05/11(木) 18:58:29
怒涛スレは過去にもあったが、もう過去ログ行き。

68年春 共産主義者同盟マル戦派からL協分派。
    残ったメンバーで共産主義者同盟労働者革命派結成準備会を組織。
68年秋 準備会から「前衛」編集委員会分派。
    残った準備会メンバーは、労働者共産同盟(仮称)の結成に向けて
    労働者共産主義委員会を結成。
75年秋(?)爆弾使用による弾圧で地下潜伏。労働者共産主義委員会分裂。
    >>1では5分裂になってるが、通常は愛知を除いて4分裂としている。



9 :革命的名無しさん:2006/05/11(木) 21:19:40
68年〜75年までの間が空白ですが・・・

10 :革命的名無しさん:2006/05/12(金) 04:58:26
901 :革命的名無しさん :2006/05/10(水) 06:43:47
労共党に逝かなかった怒涛左派=旧臨中派&旧全国協派が
新党結成に動いているとの噂。


11 :革命的名無しさん:2006/05/12(金) 19:46:47
>>9
 んじゃあ、とりあえずこれな

 68年9月  労共委結成大会開催。以後、全国機関紙「怒涛」を月2回刊行。
        シンパ層を対象とした共産主義戦線を組織。
 69年3月〜6月 前衛派との党派闘争激化。
    9月  労共委第2回大会開催。
        学生組織としての共産主義学生戦線を共産主義戦線へ統合を図る
        が組織的動揺が生まれ、離散あいつぐ。。
 70年11月   労共委第3回大会開催。
 71年2月    理論機関誌「共産主義革命」創刊。以後、季刊。        

 

12 :民族間憎悪を煽り、愛国心軍需利権教育を進めよ !>1<9:2006/05/12(金) 20:14:41
2006年の今こそ如何に困難で厄介であろうと靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士と
その共犯兵士を裁く新たな東京裁判を戦後世代の手で開始しなければいけない。
個別侵略強盗殺人兵士の放置を時代の所為にする卑劣と怠惰に終止符を打つ時が来た。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/rape.html
家族のために天皇のために国のためになどとほざいて、海を渡り侵略強盗・強姦殺人を
繰り広げた靖国英霊という犯罪兵士が許されるのなら、道徳などどこにも存在しないに等しい。
侵略殺人英霊兵士の罪が放置された「平成」社会にはどんな法律もモラルも機能するはずがない。
親分=A級ゴロツキ戦犯だけが罪を問われ、侵略強盗殺人強姦の実行犯である子分=皇軍兵士が許されるなどという社会がどこにある。現在、続発する残虐犯罪は靖国英霊という侵略強盗殺人犯の「戦後社会による放置」が原因である。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/gyakusatu.html
靖国A級戦犯だけを分祀すれば済む問題では断じてない。
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/fukasaku05.htm
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
小沢一郎と中国・胡錦濤(コ・キントウ)はあたかも侵略殺人強盗の責任がA級戦犯だけにあるような暴言を振り撒いている。侵略殺人の実行犯人である靖国英霊という個別の兵士が
免罪されると本当に思っているのか。靖国英霊という個別の侵略強盗兵士に殺されたアジア各地の被害者を無視して、何の未来だ! 何が歴史だ! この恥知らずめ。
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/gallery.mal02.htm
数千万のアジアの人たちの人生を破壊した靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士とその共犯兵士が許される筈がない。
http://yeoseong.korea-htr.com/jyoseihoutei/nisino.htm
国のために平気で人を殺すような軍人を大量に飼育している韓国、北朝鮮というチンピラ軍事国家も分かっているのか!


13 :革命的名無しさん:2006/05/12(金) 22:19:09
また怒濤ですか!?

14 :革命的名無しさん:2006/05/13(土) 07:22:18
このしぶとさが70年代にあったなら・・・・

15 :革命的名無しさん:2006/05/13(土) 09:52:42
>>8>>11
興味深く拝読しました。
怒涛派の分裂が公然化したのは77年だったように記憶しています。
一般論としてはその前に党内闘争が先行しているわけですから
怒涛派の党内闘争ー分裂の過程が赤軍派の動向と妙に重なりませんか。
赤軍派
73年 臨総開催
74年 赤軍・日本委員会結成
    赤軍・プロ革結成
75年 臨総派が「プロ独編集委」結成
    赤軍・プロ革からML派が分裂

16 :革命的名無しさん:2006/05/13(土) 21:05:40
怒涛派が共闘していた党派は?

17 :革命的名無しさん:2006/05/14(日) 21:54:31
>>16
仏派 烽火 赤軍

18 :革命的名無しさん:2006/05/16(火) 19:22:06
>>16
ノンセクでは日本学生戦線

19 :革命的名無しさん:2006/05/16(火) 19:39:17
>>18
76年の天皇訪米阻止闘争だけだろ。当時怒涛は党内闘争が始まってた。
日本学生戦線と組んだのは都委員会系だろ。

20 :革命的名無しさん:2006/05/16(火) 20:45:55
怒涛もパレスチナとか行っていたんだよね?

21 :革命的名無しさん:2006/05/17(水) 19:25:52
>>20
ブル新に既出なので言ってもいいと思うが
静岡大生がパレスチナに行った。

22 :革命的名無しさん:2006/05/17(水) 20:12:13
>>19
8.25共闘は・・・

23 :革命的名無しさん:2006/05/18(木) 19:49:39
>>22
8・25共闘までいれたら共闘相手は多すぎるぞ。
>>19
党内闘争は始まっていたけど、天皇訪米阻止闘争は都委員会だけではないよ。
ましてや日学戦と共闘したのは・・・・



24 :革命的名無しさん:2006/05/18(木) 20:41:11
>>23
日学戦と共闘したのは一応共学戦で、怒涛の中央委らは既に非公然活動
だったんじゃないでしょうか。

25 :革命的名無しさん:2006/05/19(金) 18:51:11
>>24
オマエ、こんなムチャクチャなことよく言うなぁ ネタかぁ
共学戦は69年に解散したから日学戦の時代に存在するわけないだろ
「非公然化」したのは全てから召還した臨中の連中だ
中央委は臨中の「左」の日和見主義、動揺する神奈川県委と
原則的に戦いながら、天皇訪米阻止闘争などの大衆運動、
機関紙活動に責任ある闘争を展開したんだよ

26 :革命的名無しさん:2006/05/19(金) 19:06:06
>>15
>分裂の過程が赤軍派の動向と妙に重なりませんか

 RGとも似てないか。蜂火、神奈川左派との分派。

>>17
共闘というか心情的親近感は赤軍に対してが一番だったんじゃないだろうか。

27 :革命的名無しさん:2006/05/19(金) 20:31:47
>>25
反臨中の登場か。面白くなってきたぞ。共学戦じゃなきゃあ、共戦か? 
 地区ごとに混乱があったのは事実だが、70年代前半の中央機関紙「怒涛」
 には共学戦の文字がまだ出てるが。
 まあ、分裂後「怒涛」自体が2紙発行されて、どっちが「正統」なのかという
 時期もあったが・・・

28 :革命的名無しさん:2006/05/19(金) 20:34:26
( ゚∋゚)金正日をギロチンにかければいいのさ

29 :革命的名無しさん:2006/05/20(土) 09:27:00
臨中によるクーデターを粉砕した後、中央委は中国共産党への評価を
巡って多数派と少数派に分裂。都委員会東部を基盤とする多数派は
中国共産党支持の立場から日共(ML)への吸収ー労共委解散ーを
志向。これに反発する都委員会労組グループを足場とする少数派は、
中央を名乗り、ここに二つの中央委、二つの「怒涛」紙が生まれた。
後に、多数派は正式に日共(ML)と統合し現在の労共党に至る。
少数派「怒涛」は後に「労働新報」と改題し数回発行するが
党派としての組織活動は停止した。尚、少数派は多数派や臨中に
比較してソ連支持の志向が強い。


30 :革命的名無しさん:2006/05/20(土) 10:58:09
大変興味深く読ませてもらってます。
マイナー党派(失礼!)の割には、
というかマイナーであるがゆえに残された、
あるいは伝えられるべき軌跡。

ブント系の他党派にも共有できる
貴重な教訓が含まれているのではないでしょうか。

31 :革命的名無しさん:2006/05/20(土) 18:26:38
>>29
池袋の白石ビルにあった怒涛社は分裂してどうなったんですか?ご存知ですか。
(私は74年前半には活動から離脱したのでそこまでしか知りません。)

32 :革命的名無しさん:2006/05/20(土) 19:52:38
>>25
天皇訪米阻止闘争を思い出しました。住宅街の小さな公園で集会したあと、デモで
機動隊とボコボコやりながら、最後は多摩川の河川敷で解散集会でした。途中、
公安デカの挑発には頭に来ました。周りの者が、逮捕目的だから挑発に乗るな、
抑えろ、抑えろというのでなんとかなりましたが。
あんときのデモ何人位だったかなあ、もう記憶が定かでないけど100人はいた
と思うけど。

33 :革命的名無しさん:2006/05/20(土) 21:00:14
>>31
29です。さぁ、どうしたんでしょうかね。当時は、臨中や神奈川との党内闘争に
決着したと思ったら、中央委、都委員会(ほとんど機能していなかった)内で前述の
党内闘争が火を噴いたので白石事務所の運営など眼中にありませんでしたからね。
74年の離脱とは早いですね。11月がフォード来日阻止闘争ですからまだ分裂して
いない頃ですね。

34 :革命的名無しさん:2006/05/20(土) 21:16:54
>>29
質問ばかりで申し訳ないが、かなりお詳しいようなんで。
東水大が臨中へ行き、関東学院はどこについたんでしょうか。

35 :革命的名無しさん:2006/05/20(土) 22:01:01
B取弾圧当時は、水産大、関東学院では既にほとんど大衆運動を
組織できる状況ではなく、「水産大が臨中」といっても学内細胞の
指導部が臨中に行ったにすぎなく、同じく関東学院でも学生党員は
消耗してしまい、関東学院というよりも神奈川県委の関東学院OBが
臨中に行ったと言ったというのが現状でしょう。

36 :革命的名無しさん:2006/05/22(月) 19:46:58
>>35
水産大、関東学院の指導部が臨中に行ったにしても
残った活動家に対して誰が、どのフラクが責任を取ったの?
臨中が関西に逃亡し、「全党地下化」という召還主義に
走ったのは論外としても、「中央集権」だ、「機関紙」だ
大衆運動への責任だ、と吹いた中央委ー都委員会は
何やっていたの?

37 :革命的名無しさん:2006/05/22(月) 19:48:02
( ゚∋゚)テポドン発射に備えてXバンドレーダーを配備すればいいのさ

38 :革命的名無しさん:2006/05/23(火) 12:48:05
結局は原則的な位置を保ったのは
パレスチナ人民支援センターだけだったような希ガス

39 :革命的名無しさん:2006/05/23(火) 18:36:54
>>38
あれっ!パレスチナ人民支援センターって臨中派じゃなかったの?
これマジレスだよ。20数年カンチしていたのかなぁ・・・・。

40 :革命的名無しさん:2006/05/23(火) 19:09:11
パレスチナ革命連帯共闘会議
(パレスチナ人民支援センター、パレスチナ解放支援委員会、世界革命戦線情報センター)

41 :革命的名無しさん:2006/05/23(火) 19:13:01
( ゚∋゚)金正日をギロチンにかければいいのさ

42 :革命的名無しさん:2006/05/23(火) 20:39:57
パレスチナ人民支援センター=労働者共産主義委員会
パレスチナ解放支援委員会=共産同赤軍派(プロ革)
世界革命戦線情報センター=足立正生・日本赤軍



43 :革命的名無しさん:2006/05/24(水) 08:30:14
>>39

つーか、人脈という観点ではなく、
国際主義の実践という意味においてだす。
ま、この辺はYとも微妙に関連するところではありますが・・・

44 :革命的名無しさん:2006/05/24(水) 19:28:31
>>43
パレスチナ人民支援センターは、M候補の○○と元静大の○○が中心でやって
いたね。党内闘争が表面化した時期は、M候補の○○は××に行っていたん
じゃなかったっけ?元静大の○○の元彼女を少し知っているが、彼氏会いたさに
臨中に行ったらしくて、でも結局会えなかったみたいだった。可哀想だった。
それも「国際主義の実践」だね。


45 :革命的名無しさん:2006/05/24(水) 21:21:06
共産趣味初心者です。8.25共闘ってなんですか。教えてつかーさい。

46 :革命的名無しさん:2006/05/24(水) 21:27:54
「怒涛」と皆書くけど、正式には「怒濤」という字が正しいからね。

47 :革命的名無しさん:2006/05/25(木) 18:31:17
>>45
共産趣味初心者がこんなマイナースレに来るか!?
初心者を僭称するな!ヴォヶ!
どうせ怒涛クズレのクソオヤジだろ!
まぁ、ここは世界革命の大局に立って釣られてやろう。
8・25共闘はベトナム革命戦争支持!を掲げ、烽火、怒涛、L研、解放委
共労赤色戦線などの旧宮下ブロック党派の一部とノンセクが結集。その後、マル青同と
烽火+怒涛の党派闘争で解消。ノンセクから日学戦(後の立志社・市民の党)が派生。
>>46
確かに機関紙は「怒濤」だったね。

48 :革命的名無しさん:2006/05/25(木) 19:05:42
労働者共産主義委員会中央機関紙「怒濤」 
発行 豊島区池袋2−11−2 白石ビル内 怒濤社
定価30円 1年分1,000円(送料とも)
電  話 03(982)3312
郵便振替 東京147121

49 :革命的名無しさん:2006/05/25(木) 19:21:35
怒涛派が一番頑張っていた当時、大学での活動状況はどうだったんですか?
自治会を握っていた所はあったんでしょうか?

50 :革命的名無しさん:2006/05/25(木) 19:38:22
検索で飛んできました。私は労共委の都委員会に参加して、大衆運動は
北部共闘にいました。拠点は○○区役所といえばわかる人はわかるでしょう。
今、とても気になるのは、臨中の人たちが今どうしているか、ということと
日本共産党ML派に行くかどうかで分かれた労働新報の人たちです。
当時消耗してしまった私が言うのもなんですが、消息をご存知でしたら教えてください。

51 :革命的名無しさん:2006/05/25(木) 20:36:44
労働者共産主義委員会は、世界プロレタリアートの解放を闘いとるために、旧コミンテルン
系スターリン主義諸党、第4インター、およびその潮流、日共を理論的、政治的、組織的に
粉砕、解体する闘いを推し進め、全世界の共産主義的諸分派、日本の旧共産主義者同盟の潮流
を中心とする戦闘的左翼諸分派を変革、止揚ないし解体する闘いを推し進め、全世界に単一
の世界党を組織するために闘う。(労働者共産主義委員会規約前文より)


52 :革命的名無しさん:2006/05/26(金) 05:35:02
>>49
怒涛派が自治会を握っていた大学なんて無いんじゃないの?


53 :革命的名無しさん:2006/05/26(金) 19:18:31
自治会なんてメじゃなかったんよ。もっと大きく世界を見てたんだから。

労働者共産主義委員会第三回大会において中央委員会の指導下に置く
「世界党組織委員会」が設置された。
世界各国の共産主義者組織をさらに組織化し、世界党大会を開催して
革命的な単一の世界党を組織するのがこの委員会の任務としている。
まず、世界各国に通信委任者網を組織し、党派闘争を推進する。次に
世界各国にオルグを派遣し、世界党組織化への国際会議の開催を勝ち取り、
世界党大会へ結集する諸組織の変革を勝ち取り、世界党大会を開催し、
指導的中心を組織するというもの。





54 :革命的名無しさん:2006/05/26(金) 20:24:13
国際党派闘争によって各国党を解体ー止揚し世界党を建設するという路線だったが
じゃ!世界各国に労共委を建設するのかよ?という至極当然な批判を生み、
労共委の独善的な体質が露呈されたんじゃなかったっけ?

55 :革命的名無しさん:2006/05/26(金) 20:36:22
各国党を解体ー止揚する前に、怒涛派自身がが解体したんじゃねぇ〜。
それも止揚されずに・・・・。

56 :革命的名無しさん:2006/05/26(金) 20:38:30
単一の世界党組織を語ってたのは他のブント系諸党派も同じだが、それが
口先だけで、労共委もまたその限界性を持っていたという反省から、断固と
してそれを推し進めるという決意が「世界党組織委員会」設置であった。
「独善的体質」と言うんであれば、他派も皆そうなんじゃないか。
まあ、結果は無かったに等しいが、意気込みだけでも買ってよ。

57 :革命的名無しさん:2006/05/26(金) 20:55:59
>>55
解体じゃない、分裂だよ。それぞれの分派は、細々ではあるがその血脈は保ってる。

58 :革命的名無しさん:2006/05/26(金) 21:06:07
労働者共産党は労共委を解体しますた。

59 :革命的名無しさん:2006/05/26(金) 21:15:25
ヒマだから中国共産党にいやがらせでもしようぜ。
http://ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1148627119/

60 :革命的名無しさん:2006/05/26(金) 21:24:03
>>56
ところでな、今にして思うんだけど、当時おれらの活動の骨格は
P支とYだったね。でもねぇ、党員は労組、市民運動にも参加して
いたし、機関紙活動もやっていた。その辺りをMはまったく体系的
路線的に位置づけてこなかったのではないだろうか。だから、いざ
Yが部分的にミスしただけで、党員は自分が参加している戦線に
召還してしまったわけ。言うなら、本来の自分に戻った。
おいらの初心から言えば、やっぱりP支とYが原点だな。
その意味で、臨中が一番怒涛の原点をあんたの言葉で言う
「意気込み」を持っていたんじゃないかな。
おれは臨中じゃないし、消耗していたから言える立場じゃないけど。

61 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 06:07:01
>>1さん、愚息は、常に「市民の視点」で頑張っています。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワークのLPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったとか。最近、愚息が
何を思ったか、「かあさん、これからの運動の主役は権力と対峙しない市民運動だよね、僕、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」などといい出し始めました。先週の日曜日、小学生の鼓笛隊のパレードを見ながら、
「焼きソバやおでんの模擬店がないのはちょっと淋しいけど、あ〜いうのを新しい運動スタイルというんだよ、そうすれば大きな世論ができて、やがては政治を変えることができるんだよ、”善良な市民による、よりよい市民社会の形成"、
最高だね、松下政権塾が、”マルクス組、平和部会"作ったら、僕、すぐに入っちゃう、「子ども連れでも参加できるように、金魚すくい、輪投げゲーム、ウルトラマンショーも必要だよね」といって張り切っています。もう、家の中は笛、
赤ちゃん用のラッパ、タンバリン、大きなボンボン、ペンライトなどの「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、LPGの犯行に間違いないと愚息が申しております。
友人の母とて無関係ではありえません。今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


62 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 08:22:38
>>60
つーうことは、4つのフラク、分派は「本来の自分」に戻った結果か?

63 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 13:58:09
東水大に怒涛派が進駐してきた経緯を知りたいんですが。

64 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 14:15:39
>>63 東水大か。ああ懐かしや。

65 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 16:22:40
>>63
進駐というより、元々ブントとして存在してたのが、
分裂にともない怒涛として残った。

66 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 18:18:46
>>65
早速のレス、ありがとうございます。ということは、関東学院も
同じような状況だったんですね。

67 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 20:33:00
>>66
どこの党派でも下級組織は上部組織に従うというのが組織原則だから、分裂すると
その下級組織は直接指導してた上部組織の指導者に必然的についていくことになる。
特にブントは学生が中心だったから大学ごとその指導者にについていきやすかった。
戦旗の分裂なんかでは九州がそっくり全部西田についていったし、北海道は大下に
ついていき、明大はまるごと国際主義派になったのはその例。

68 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 20:37:07
>>67
明大は日向じゃない?

69 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 20:40:20
>>68
明大に日向なんていない

70 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 21:14:50
怒涛派が全盛期の60年代後期のころ、私は某大学の学生で、赤ヘルをかぶっていました。
中大中庭での大集会の後、防衛庁へと進撃したのがつい昨日のことのように思い出されます。

あの当時、サークルの大部分の先輩たちが赤ヘルをかぶっていたので、自然と自分もその仲間
になってしまいました。特に執拗なオルグも受けずに赤ヘルをかぶっていた、あの頃の軽いと
いうか、いい意味で純粋だった自分を懐かしく思い出したりしています。

ところで、あの当時「共学戦」と登場していたのが、怒涛派なんですよね。


71 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 21:35:02
日向ぼっこ


72 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 22:36:12
>>70
うわ、ここ↓にいたんですね。

http://members.at.infoseek.co.jp/historie3/cc1.html

当時の話を聞かせてください。

73 :革命的名無しさん:2006/05/27(土) 22:42:02
共産党支持者vs自民党支持者
真面目に討論して勝つのはどちらでしょう?
         ↓
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1143960622/l50

74 :革命的名無しさん:2006/05/28(日) 08:55:52
>>67
北海道は大下に、というのは記憶違いではないでしょうか。
九州は西田、大下さんたち。
北海道は城山さん。
明大は松原さん。
>>68
72年春に戦旗が4分裂し、松原博志さんが指導していた明大の戦旗グループ
(レーニン主義研究会)は丸ごと分派し、国際主義派と名乗った。
>>70
25さんは「共学戦は69年に解散」といってますが、解散前の部隊でしょうか。
共学戦を共戦にというのは当時の機関紙「怒濤」にも出てますが、んー私は正確
には知りません。共学戦とともに共労戦もあったはずですが、掲げてはみたものの
組織化の実態はなかったはずです。

75 :革命的名無しさん:2006/05/28(日) 09:08:36
映画「怒りをうたえ」で70年6月の代々木公園集会に
共戦の横断幕を掲げた部隊が登場するのでこの頃には
共戦になっていたんじゃないの。


76 :革命的名無しさん:2006/05/28(日) 17:20:53
>>65
旧ブントとして存在してた部分と社学同の流れできてて、分裂で党派へというのが
まじりあってるんじゃないですかねえ。
社学同の流れできてたのが怒涛へというのは静岡大だけだと思いますが。
マル戦分裂時には社学同への関わりがほとんど出来てなかったはずです。

77 :革命的名無しさん:2006/05/28(日) 20:01:56

概ね同意。そんな流れだったね。
そこであえて突っ込むのですが
静大社学同から労共委への移行をもう少し聞きたいのですが。

78 :革命的名無しさん:2006/05/28(日) 20:14:24
>>77
そこまで行くと人物特定につながるから、それは無理よ。
既レスで共戦のことが出てたけど、確かに怒涛指導メンバーが共戦メンバー
に顔をさらさなければいけないような地区状況が組織的欠陥としてあり、
70年代当初からそのことは再々中央委でも問題となっていた。

79 :革命的名無しさん:2006/05/28(日) 20:40:45

了解

80 :革命的名無しさん:2006/05/29(月) 18:56:23
>>78
そこまで詳しいとは、おたく元M?

81 :革命的名無しさん:2006/05/29(月) 19:47:20
私が「共学戦」と出会って、すぐに「共戦」へ、そして
「7.7連協」へと変遷していきました。

私は「怒涛派」のメンバーではなかったのですが、いわゆる
「怒涛派シンパ」だったと思います。集会には結構一緒のと
ころ行きました。

最後は確か、ノースピア戦車阻止闘争で、京浜急行の小さな
駅でたしか「仲木戸?(違ったてたらごめん!!)」駅近く
の小さな駅の集会に参加しました。

これより先だったか後だったか覚えていませんが、渋谷の宮下
公園でブント系の諸派(鉄の戦線派など)と一緒の集会にも参
加したことも覚えています。

ともかく怒涛派との思いでは数多くあります。

82 :革命的名無しさん:2006/05/29(月) 21:22:06
7.7連協懐かしいな。
ノースピア闘争は73年だったかな、懐かしいな。
蜂起派との共闘も懐かしい。
みんな懐かしい 夢の中・・・・。

83 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 04:53:46
機関紙「怒涛」の縮刷版ってないんでしょうか?
「前進」「解放」などは模索舎でも売っているのを見たことがあります。

84 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 07:38:46
>>80
むむ・・・
>>81
地区委員会メンバーが共戦メンバーであったり、逆に委員会に加入してない
共戦メンバーも多かった。共戦も学生が主体で結集してたから、結成当初か
らあまり増えなかった。そして、委員会に加入してないメンバーの離脱が続
くと尻つぼみ状態に。
私が出会った人は常任委員とか言ってましたが、中央委に常任委員があったん
でしょうか。それとも地区委の常任委員かな。全国委員会開催というのも当時
の機関紙に載ったりしてましたが。



85 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 16:37:43
m、m候補でC んで専従の…

86 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 16:39:41
>機関紙「怒涛」の縮刷版ってないんでしょうか?

お〜い、誰かワイハに逝ってアーカイブにしろよ(W

87 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 17:56:50
高沢皓司って怒涛派?

88 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 19:17:49
>>81
7.7連協  労共党へ行った多木さんか。
>>87
赤軍派でやんすよ。

89 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 19:41:26
東水大や静大や関東学院大あたりの図書館に「怒涛」は保存してないかなー?
関東学院大学新聞でもいいや。あの新聞は半分「怒涛」のようなものだったから。

90 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 19:59:22
怒濤の鼻持ちならない主流派意識にうんざりしてる人が1万人突破

91 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 20:19:09
>>88
へぇーつ 多木さんは労共党に行ったの?
あのボーイソプラノのアジがなつかすい

92 :革命的名無しさん:2006/05/30(火) 20:28:08
数年前に神保町の古本屋で、古い「前進」「(写真)解放」「戦旗」の束を
売っていた。100部くらいの束で、それぞれ3万円の値段がついていたを
覚えている。

その中で小さな束(30部くらいだったかな?)があり、それが何と「怒涛」
だった。それも3万円だった。買いたかったが、金がなかったので、店主に
ばら売りできないかと尋ねたら、ダメとの返事だった。

今では、5万円でも買ったかもしれない。何せあの時は金がなかったからなー。
それにしても、誰があれを売りにきたんだろうか?公安か?今でもなぞである。

その店の店主に聞いたら、新左翼系の機関紙バックナンバーは、結構客付がよ
く、店に出ると1週間もたたないうちに売れるそうである。一番人気はやはり
60年代中盤から70年初期の頃の機関紙だそうだ。大学新聞のバックナンバ
ーも時々出物があるそうだとのことだ。

93 :革命的名無しさん:2006/05/31(水) 03:07:06
いくつかの認識の違いを指摘します。
パレスチナ解放支援委員会=前進はテルアビブ闘争支援委員会=赤軍派都委員会
が中心となり、当初は上野勝輝さんの呼びかけで結成=臨総派崩壊で瓦解。
825共闘=ベトナム革命支援を旗印に、1972年8月25日に桧町公園
で集会をはじめとして結成。呼びかけは、ベトナム革命支援委員会(赤軍派都委員会)
レーニン研(京大C戦線系=佐野茂樹やYさん派)解放委員会(旧ML=戸田、穂積派)
赤色戦線(旧共労=笠井潔=黒木龍志派)。
この後の記憶はあいまいですが、日学戦はまだ結成されておらず上智や東洋大
の参加が目立ったのでは。その後マル青にL研と解放委にこの学生サークルが
加わってなるわけですが、よく知らない。
怒涛が関東学院で最初から参加していたは記憶にないが、関東学院の怒涛の女の子
のアジが記憶にあるのはこのころかな。


94 :革命的名無しさん:2006/05/31(水) 04:02:05
>>92
なんていう古本屋ですか?

95 :革命的名無しさん:2006/05/31(水) 18:33:05
>>93
関東学院全学戦線の名アジテーターの通称トマトちゃんだよ。
>>関東学院の怒涛の女の子のアジ



96 :革命的名無しさん:2006/05/31(水) 18:48:53
オレは「怒濤」20号から持ってたが、74年頃ガサ対策でノンポリの友人の
アパートにまとめて移し、76年に離脱した時、ダンボール箱に入れたままを
町内を軽トラで回るちり紙交換業者に出してしまった。あ〜、今ネットオークション
に出せば相当の高値がついたろうになあ。
ただし唯一、機関誌「共産主義」創刊号だけはまだ持ってる。対立してた分派の前衛派
の機関誌「世界革命」創刊号もまだ持ってるのは、因縁かな。

97 :革命的名無しさん:2006/05/31(水) 19:20:46
そのトマトちゃんも、今では50代後半で、もうすぐ還暦か・・・・

98 :革命的名無しさん:2006/05/31(水) 20:15:26
多木 北田 石田 早川 成島 毛利

99 :革命的名無しさん:2006/05/31(水) 21:57:15
>>96
「共産主義」ではなくて「共産主義革命」だよ。
コピーでもいいからヤフオクに出したら俺買うよ。
>>97
すみませんが50代前半です。
>>98
組織名と機関紙での筆者名、本名が混在していますが・・・・

100 :革命的名無しさん:2006/05/31(水) 22:03:42
宮下公園での集会は、怒涛派・鉄の戦線・叛旗以外にも
反帝学評もいなかった?集会後、渋谷で火炎瓶が飛び交
った記憶があるんだけど?

101 :革命的名無しさん:2006/06/01(木) 18:13:20
>>100
それ71年の沖縄闘争だろ。全国全共闘、全国反戦が分裂したやつ。

102 :革命的名無しさん:2006/06/01(木) 19:01:47
>>98
おい、おい、ここに多木なんか入れるなよな。
あいつは分裂に乗じてやっとこさMに紛れ込んだだけなのに。
前のレスに多木が労共党にいったと誰かが書いていたけどガセだよ。
党内闘争で臨中にゲバられ消耗しちまったよ。



103 :96:2006/06/01(木) 19:27:47
>>99
そう、たしかに「共産主義革命」です。急いで書き込んだもんで、失礼!
今見ると、発行日が71年2月15日になってる。領価400円。
これ実は73年頃大学の先輩にもらったんだよね。初期の「怒濤」紙も大量
にその人からもらった。自分で購入しだしたのは74年頃かなあ。
(それまでは学習会で読み合わせしたりしてたので買ってなかった。
 貧乏学生ということもあったけど。)
その先輩とは今は音信不通です。もしかしてこのスレに・・・

104 :革命的名無しさん:2006/06/01(木) 20:11:36

やっと気づいたか。
そうだよ。

105 :革命的名無しさん:2006/06/01(木) 21:58:12
>>103
君が76年に革命戦線から離脱し、今は一小市民の共産趣味者として生きていることを
容認しよう。その代わりに、その大学名もしくは先輩の名を(イニシャルでもよい)
革命的に明らかにせよ。関東か関西か、静岡か。KかSか、それともTか。




106 :趣味者同盟:2006/06/02(金) 05:41:59
最大動員力

70年当時中核派 1.2万人
     革マル 0.4万人
     に対し
     共学戦 0・01万人
     (内訳 東京水産大  20人
         明治学院    4人
         東大     10人
         関東学院    6人
         静岡大    20人
         同志社    10人
         京大     10人
         その他    20人)

こんな感じだった?     

107 :革命的名無しさん:2006/06/02(金) 07:34:24
>>102
多木とは労共党の若杉のことというのはガセネタ?

108 :革命的名無しさん:2006/06/02(金) 20:24:04
労共党の若杉、竹中、深山、日下部 みな旧MLだ。

109 :革命的名無しさん:2006/06/02(金) 21:35:55
まぁ、広島大社学同の××はどいうわけか昔から
組織名に木へんが付く漢字を使う癖がある。
こいつが多木→若杉でも不思議ではないね。


110 :革命的名無しさん:2006/06/02(金) 22:04:15
おれが学生の頃、多木さんの奥さんが一時学対をやっていてお世話になりました。
党内闘争の頃は救対をやっていたけど。元気でしょうか。奥さんも労共党に行かれたのでしょうか。


111 :革命的名無しさん:2006/06/03(土) 06:31:10
多木=若杉でもいいけど 多木とMLっていうのは似合わないな。
怒涛の時は毛万歳ではなかったし。一番似合わないのは
労共党で機関紙編集をやっていること。そんなヤツだったかな?

112 :革命的名無しさん:2006/06/03(土) 09:43:54
>>1さん、愚息は「市民の視点」で頑張っています。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワーク、LPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったとか。最近、愚息が
何を思ったか、「かあさん、これからの運動は権力と対峙しない市民運動だよ、おいら、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」などといい始めました。先週の日曜日、家の前を通る小学生の鼓笛隊のパレードを見ながら、
「かあさん、見てごらん、焼きソバやおでんの模擬店がないのはちょっと淋しいけど、あ〜いうのを新しい運動スタイルというんだよ、でも、九条の会の講演が去年7月末から一度もないけど、どうしたのかな〜」と心配しているものの少しも
顔には出さず張り切っています。もう、家の中は笛、赤ちゃん用のラッパ、タンバリン、大きなボンボン、ペンライトなどの「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、
LPGの犯行に間違いないと愚息が申しております。友人の母とて無関係ではありえません。今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


113 :革命的名無しさん:2006/06/03(土) 10:20:07
都委員会はいくら中国共産党支持の立場からといっても
日共(ML)へ合流というのはよくわからんなあ。
以前から人的交流があったんだろうね。どうせ労共委解散を志向する
んならブント系列で国際主義派と一緒になればよかったんだよ。
当時、松原氏も明大で閉塞状況だったから乗ってきただろうに。
両者共、老獪な大武や安庫ジジイ相手にしたのが間違いだったんだな。

114 :革命的名無しさん:2006/06/03(土) 10:43:56
臨中もある赤軍派分派との合流を志向したらしいが、その派も分裂後の混沌状態が
続き、内部の意思統一が図れず、結局個人交流のまま終わってしまったらしい。
神奈川委も模様眺めをしつつ、一応は独自に歩もうとはしたものの、いかんせん
組織力の低下はおおうべくもなく、機関紙を細々と出す程度で、これまた内部闘争
も始まりいつしか活動停止に。内部闘争も神奈川委と都委員会少数派との接触を
めぐってが原因だったようだ。その後どうなったかワシもよく知らん。


115 :革命的名無しさん:2006/06/03(土) 20:31:53
三里塚現闘と、ここに度々登場するパレスチナ人民支援センターは結局どうなった?

116 :革命的名無しさん:2006/06/03(土) 20:44:09
どうなった?つながりで沖縄は?

117 :革命的名無しさん:2006/06/04(日) 08:11:07
>>110
彼女はマル戦分裂ではL協だったがL協解散後労共委に参加。
確か北田がオルグしたんじゃなかったかな。
その流れでいくと今は労共党かもしれない。


118 :革命的名無しさん:2006/06/04(日) 10:43:39
>>113
70年中期〜後期頃BUND総括で諸派の一部にBUNDの思想・組織を清算する
傾向が強まった。怒涛派はBUND7回大会からの逃亡からBUNDの系譜に
あっても、またBUNDの思想、綱領を継承していたにしろ大手を振って
BUND統合は言いにくかったし(本音は別にして)実際に合流はできなかった。
そこでB取弾圧で破産したのを口実に、清算を一挙的に進めたのが当時の中央委だろう。
仮に当時国際主義派と何らかの交流をしたにしろ、両派とも清算が一致点なのだから
うまくはいかなかったと推察できる。

119 :革命的名無しさん:2006/06/04(日) 11:52:23
>>114
臨中が合流を志向した赤軍分派?
その頃の赤軍分派は〜
赤軍(プロ革命)
そこから割れたML派
臨総ープロ独編集委
日本委
日本赤軍
ぐらいのものだろう。
このどれなの?

120 :革命的名無しさん:2006/06/04(日) 14:22:11
>>115
党内闘争に静観だった。三里塚現闘は関東学院、
パレスチナ人民支援センターは臨中にそれぞれ
人的なつながりはあったけどどちらの分派を
支持することはなかったと記憶している。


121 :革命的名無しさん:2006/06/04(日) 19:16:51
>>116
教えてくれチャンが続くけど・・まぁ、同窓会スレだからいいか。
沖縄は臨中に行った。

122 :革命的名無しさん:2006/06/04(日) 20:55:17
83 :革命的名無しさん :2006/04/27(木) 20:17:25
70年代中期、寄せ場に入った怒涛派は当時何していたのですか?
釜ヶ崎に怒涛派の釜ヶ崎働く仲間の会っていうのがあったけど?
94 :革命的名無しさん :2006/05/02(火) 20:49:57
>>83
労働者共産主義委員会臨時中央委員会の指導の下
釜ヶ崎非公然・非合法細胞を建設.
95 :革命的名無しさん :2006/05/03(水) 16:50:20
>>94
で、赤軍派釜ヶ崎地区委員会との関係はどうだったんですか。怒涛臨中派と
赤軍派との組織統一という話も当時流れたように記憶してますが。
96 :革命的名無しさん :2006/05/03(水) 20:08:21
>>95
赤軍派釜ヶ崎地区委員会は若宮さんが仕切ってたからなあ。赤軍派の八木グループ
をすごく批判してたからなあ。特にNさんのことをボロくそに言ってたもんな。
ま、でもそれは73年の頃だから75年頃はどうだったんだろね。
97 :革命的名無しさん :2006/05/04(木) 07:31:14
赤軍派釜地区委員会
ラーメン屋←若宮・宮本・桃大グループがB取で弾圧された後に
烽火+赤軍臨総派が釜日労を結成。赤軍プロ革は釜ヶ崎B取救援会。





123 :革命的名無しさん:2006/06/05(月) 10:10:14
与那嶺さん、元気かな?>沖縄

124 :革命的名無しさん:2006/06/06(火) 19:02:40
愛知県の怒涛派は、静岡大の旧マル戦成島系として存在していました。
当人たちはマル戦という意識はまったくありませんでした。あくまで、
怒涛であり、系統的関係性は切れていました。彼らは積極的に労働者の
中に入っていき、労働現場の組織化を目指しましたが、うまくいきませ
んでした。また、某弱小政治勢力の評判のあまりよくない指導者と親交
を持ち、その理論の導入をはかったのですが、その人間性についていけ
ず、これも頓挫しました。







125 :革命的名無しさん:2006/06/06(火) 20:33:48
>>118
当時の彼らの言葉を借りれば、清算というより止揚(アウフヘーベン)でしょうが、
カッコつけすぎですね。
それより、国際主義派が合流した行動派の大武じいさんが一時引退説もあったのに、
またこの頃紙上では復活登場してるらしいですね。
本当は死んでるのに、生きてるようにプロパガンダするのはスターリニスト特有の
手法と言ったら、邪推もいいかげんにしろと怒られるかも・・・

126 :革命的名無しさん:2006/06/06(火) 20:58:33
大武には影武者がいて、あの格調高いヘアースタイルは特注ヅラらしい。

127 :革命的名無しさん:2006/06/06(火) 21:02:38
>>124
だれよ?>某弱小政治勢力の評判のあまりよくない指導者

128 :革命的名無しさん:2006/06/07(水) 18:00:30
>>123
元気だよ

129 :革命的名無しさん:2006/06/08(木) 20:42:32
>>122
釜ヶ崎働く仲間の会は釜共闘の後退局面で、こーちゃん=船本州冶が
労働ー学習ー戦闘を一体的に推し進める組織として提案し組織した。
こーちゃんが皇太子訪沖阻止に単身自決決起した後に継承したのが
怒涛派・臨中の釜ヶ崎非合法ー非公然ー地下細胞であった。

130 :革命的名無しさん:2006/06/09(金) 19:10:01
>>114
>神奈川委・・・機関紙を細々と出す程度で、これまた内部闘争

 機関紙は「プロレタリア革命」です。内部闘争でじゃなく、自然消滅です。まあ、意見が
 違ったりしてそれをきっかけに離脱する人はあったでしょうが、内部闘争というような対立
 じゃないはずです。80年代前半まで活動してたようですが、たまに出す機関紙と労働運動
 や大衆運動の集会に数人が参加する程度だったと聞いてます。
>>124
 その後、日本革命党と名乗る人達のことですね。7.7連協にも反戦メットで参加してました。
 80年代後半まで活動してたようです。中央委の流れを言う人もありますが、違います。
>>125
 大武じいさんは九州に引退したとか、いや四国だとか、死亡したとかの説が流れてましたね。
 趣味者の間では死亡説が強かったようですが・・・

131 :革命的名無しさん:2006/06/09(金) 20:38:12
>>127
日共左派か?それともマルクス同志会か?
>>130
そう、日共ML−労共党へ行ったのは中央委多数派だから愛知で活動するはずがない。


132 :革命的名無しさん:2006/06/09(金) 20:45:24
>>131
てことは、Y井だな。

133 :革命的名無しさん:2006/06/09(金) 21:16:46
>>131
愛知県委→日革党ってのは、或る意味怒涛の仇花なわけ。
怒涛っていうのは、正しい理論=革命の前進というマル戦の
綱領主義を引きずりながら、一方でブント以来の大衆運動主義の
狭間で右往左往してきたわけ。だから愛知ー日革党のような
当時の党内事情、空気がよめずに浮世離れして正しい理論なんて
ほざいて地方組織が「日本革命党」なんて厚かましくも登場できる
政治土壌を作ってしまったわけ。そういえば、昔、怒涛からマル労同に
行った愛知のヴォヶもいたが日革党もその類なわけさ。

134 :革命的名無しさん:2006/06/09(金) 21:41:16
>>133
怒涛からマル労同に行った愛知のヴォヶとは?
「ひらく」の酒井夫妻は怒涛からマル労同に行った人だが。

135 :革命的名無しさん:2006/06/09(金) 22:16:57

それ正解

136 :革命的名無しさん:2006/06/10(土) 11:15:34
73年ー74年頃、マル労同が「火花」で怒涛派批判を始め
「怒涛」紙でもマル労同批判を展開したことがあった。
マル労同が「国政選挙に参加している公党云々」と自らを
評したのには大爆笑した。
懐かしい思い出だ。

137 :革命的名無しさん:2006/06/10(土) 14:10:50
そのマル労同っていうのも70年代中期頃からの
泡沫選挙でくたびれてしまって「選挙闘争の一面化」という
お笑い総括まで出た挙句に霧散しましたが・・・・・

138 :革命的名無しさん:2006/06/10(土) 16:49:41
怒涛派の軍事にしろ、社労党の選挙にしろ何れも戦闘的改良主義で同じ地平に立っていた。
「左」右の急進的民主主義は破産した。

139 :革命的名無しさん:2006/06/10(土) 19:41:16
6月11日、新宿ロフトプラスワンに当該学生とOBが出演!

6・11第5回塩見塾
「共謀罪、弾圧、九条改憲阻止・60年安保・樺美智子さん追善・6・15国会デモ」
現局面を如何に捉えるか!

本イベント「2部 弾圧」に、当該学生と文学部哲学科OBが出演します。

<日時> 6月11日(日) Open 12:30 / Start 13:00 / End 17:00

<場所> 新宿ロフトプラスワン

<プログラム>
■1部 共謀罪
【Guest】雨宮処凛(作家)、海渡雄一(弁護士/交渉中)、井形和彦(社会運動家)、
     早見慶子(作家)、細木悟(社会運動家)
■2部 弾圧
【Guest】「自由と生存のメーデー」で不当逮捕され完全黙秘した渋谷〇〇号Yさん、
      友部博文(3・14被弾圧者)、中川文人(会社社長)、矢部さん(予定)、
      キム・カンジさん(元赤軍兵士)
■3部 九条改憲阻止、樺美智子さん追悼46周年6・15国会デモに向けて
【Guest】飛鳥浩二郎(関西ブント創設者・議長、第二次ブント政治局員/交渉中)、
      塩川喜信(革命理論家/交渉中)、
      望月彰(「タンポポ社」メンバー/予定)、
      三上治(味岡修)(元叛旗派指導者)、
      谷口末廣(「不戦兵士・市民の会」で」活躍85歳の戦場体験保持者)、
      黒田憲(詩人、文芸家、連合赤軍問題研究家)

退学処分を撤回せよ! 法政大学統一OB会 http://www.minimal-global.net/united_ob/

140 :革命的名無しさん:2006/06/10(土) 21:35:10
>>138
革マル

141 :革命的名無しさん:2006/06/10(土) 22:29:02
>>140
いえ、労働者共産党ですが何か?

142 :革命的名無しさん:2006/06/12(月) 20:54:15
>>138
そしてただ見ていた者が残った。

143 :革命的名無しさん:2006/06/13(火) 18:29:21

そしておまえも残った。

144 :革命的名無しさん:2006/06/13(火) 20:02:39
残った、残った!とお互い突っ込み合うのもいいけどね
一度、元怒涛派で集まって同窓会をやってみたら?
>>1の都委員会、中央委、臨中、神奈川、愛知が
イッパイやる会を居酒屋でもいいじやん。


145 :革命的名無しさん:2006/06/13(火) 21:04:07
では、幹事は労共党がやります

146 :革命的名無しさん:2006/06/14(水) 20:24:18
では同志諸君!同窓会の前に「委員会規約前文」を思い出して、確認した上で出席すること。
(今思うと、大仰と言うか突っ張ってたんですねえ・・・)

「委員会は、世界プロレタリアートの解放を闘いとるために、旧コミンテルン系スターリン主義諸党、
第四インター、およびその潮流、日共を理論的、政治的、組織的に粉砕、解体する闘いを推し進め
全世界の共産主義的諸分派、日本の旧共産主義者同盟の潮流を中心とする戦闘的左翼諸分派を変革、
止揚ないし解体する闘いを推し進め、全世界に単一の世界党を組織するために闘う。」


147 :革命的名無しさん:2006/06/15(木) 20:09:54
今、この規約を「確認」することはおろか思い出すのも無理だ。

148 :革命的名無しさん:2006/06/17(土) 18:52:12
じゃあ思い出さしてやるよ。分裂時に関係する部分を。

労働者共産主義委員会規約 第三章 会員の処分
第十二条 労働者階級の利益を裏切る行為をなしたものは、最高除名にいたる
 処分を受ける。処分は会員個人に対して行われる。(略)
第十三条 正当な理由無く、○○○以上続けて委員会活動を放棄し、会費の納入
 を怠るものは、会員から除かれる。(略)
第十四条 会員に対する処分は、その会員の所属する細胞が決定し、一級上の
 機関の承認を得て、中央委員会の確認を受ける。
第十五条 委員会の被選出機関に属する会員の処分は、当該機関が決定し中央
 委員会の承認をへて大会で確認される。



149 :革命的名無しさん:2006/06/17(土) 19:51:47
>>148
で、あんたも除名されたわけだ

150 :革命的名無しさん:2006/06/18(日) 16:44:47
>>146
>>148
これをなんて言うか教えてやろうか?
独善主義つう言葉知ってるか?

151 :革命的名無しさん:2006/06/18(日) 18:48:04
>>144
昔、新宿の「I」には元中大叛旗や元法大日学戦が集まって、チューハイ飲んで
わあわあやってた。2次会はションベン横丁の、ん〜名前忘れたけど、2階
に上がって、傾いたようなテーブルでやっぱチューハイ飲んだもんだ。
友人に聞いたところによると、早大ノンセクは高田馬場の「清龍」だったとか。


152 :革命的名無しさん:2006/06/18(日) 20:37:00
富山駅近くの「大阪屋」という小さな飲み屋で、彼らが話してる内容から明らかに
元関西ブントの連中がいた。オレは当時、東京の某党派から離脱して間もない頃で
思いつくまま剣岳に登った帰りだった。飲み屋のオババにこそっと聞いたら、彼ら
はたまに(年数回くらい)来るとのこと。剣や立山に登るらしい。元活同士で声を
かけようかとも一瞬思ったが、お互い気まずくなるだろうと考えてやめた。
今はなつかしき80年代の思い出話です。


153 :革命的名無しさん:2006/06/22(木) 02:47:53
ワールドカップでアンゴラの国旗を見たら久しぶりのカマトンカチに星までついて
いた。ウッ、なつかしい。
これって怒涛的?ヤッパ、4トロ的か。

154 :革命的名無しさん:2006/06/22(木) 21:46:27
>>152 愛知の香具師は今池のスナック行くんでない?
土曜日だけやっているみせ。
某予備校の有名講師でやたら名古屋の選挙に出てた元マル戦のM氏がよくいると聞くよ。
名古屋のマル戦は名大、日福、中京、他にいたが霧散して最後に学生戦線の銀ヘル被ってたのは中京の数名だった気がする。
漏れは富山駅の西の方にあったスナックに寄ったな、マスターはK2のメンバーだった。
山を思えば人恋し 元活山岳会も霧散したよw






155 :革命的名無しさん:2006/06/23(金) 19:10:10
>>154
はは、Tさんとこですね。(^o^)丿
剣といえば小窓、なつかしや

156 :革命的名無しさん:2006/06/24(土) 07:19:46
>>154
マル戦というよりも、銀ヘルならマル戦分裂後の前衛派だろ。

157 :革命的名無しさん:2006/06/24(土) 08:29:01
>>156 部外者だから詳しくシラネw
左翼崩れの山岳派、老いたジャコバンとして書いただけw


158 :革命的名無しさん:2006/06/24(土) 16:34:36
>>156
>銀ヘルならマル戦分裂後の前衛派だろ

 そのとおり。銀ヘルは労革派(準)から逃亡した「岩田ー水沢」一派(前衛派)だ。
 われわれは彼らと訣別したがゆえに、新たな運動と組織の創造として労共委結成に至ったのである。
 思い返せば、68年8月4日労革派(準)総会で後の労共委を結成する委員6人が水沢側委員に勝利して
 から、「岩田ー水沢」一派との闘争が始まった。

159 :革命的名無しさん:2006/06/24(土) 22:35:08
>>158 通行人ですが、結局ミニ党派官僚がコップの中の嵐に夢中で、日本革命には何の影響も与えれなかった事でつかwww
過去をそのように勇ましい文体で書くのってイタくない?
結果はみんな知ってるんだからwww
アッ、酔っぱらいの武勇伝ね、
だから昔喧嘩した仲間と一杯飲もうと言えるのだww
ウヨはサキイカ万引きでサヨ叩きするけど、彼女も一時チミタチの仲間だったね?
思い出語りしたくて飲み会誘ったんでないの?
手ぶらじゃ行けないちゅう訳でつい手を出したとかw
昔話も、権力闘争の手柄話は笑えるけど、内ゲバ自慢は笑えない。






160 :革命的名無しさん:2006/06/25(日) 09:50:30
>>158
>後の労共委を結成する委員6人
って誰ですか?組織名でかまいませんので教えて下さい。


161 :革命的名無しさん:2006/06/25(日) 11:57:49
>>160
そんな極内輪の昔の名前を知ってるということは、当事者かあるいはそれに極めて近い関係ラインの者
ということになる。人物特定も容易になるから、ちょっと教えられないなあ。
6人委員が労共委結成に至るのは、労革派(準)で前衛派とL協がフラクを形成したため、それに対し
て多数派はビューローフラクを形成し、共産同7回大会の総括について、ビューロー多数派の内容に
同調するよう前衛とL協に強要したわけである。前衛とL協は同調しなかったため、総会で強行採決し
た。(これが勝利という意味なんだが)この時点で労革派(準)は消滅した。
前衛派とのアレコレは、労共委機関紙「怒涛」第1号に詳しく載ってたはずだが、ワシも処分してしま
い持ってない。


162 :革命的名無しさん:2006/06/25(日) 16:40:32
>>160
赤崎(山崎)、吉川、石田、成島・・・・・

163 :革命的名無しさん:2006/06/25(日) 18:05:39
    ┌前衛派―共産主義者党  ┌日本革命党
     │  ┌中央委派┴→日共ML派―労共党
労革派(準)――多数派―労共委――┼東京都委派
        │         ├神奈川県委派
        │        └臨中派
        └レーニン主義協議会


164 :革命的名無しさん:2006/06/25(日) 18:15:34
うまく書き込めなかった。もう一回

労革派(準)――多数派―労共委―――東京都委派
        │         ├神奈川県委派
        │        ├臨中派
│ └中央委派→日共ML派→労共党
        └レーニン主義協議会 └日本革命党
        │
        └前衛派―共産主義者党


165 :革命的名無しさん:2006/06/25(日) 18:50:06
>>162
あと二人は?

166 :革命的名無しさん:2006/06/25(日) 19:07:46
北田肇は?

L協なら新宿で飲み屋を経営してた有名な府川さん 


167 :革命的名無しさん:2006/06/25(日) 19:29:02
多数派=吉川,山崎衛,山崎順一,石田,成島忠夫,西陰勲
少数派=服部,望月,矢沢,佐藤
    少数派は成島道官や見崎、さらに理論の柱、岩田氏も参加して
    前衛派を名乗る。

168 :革命的名無しさん:2006/06/25(日) 20:47:30
>>166
>L協なら新宿で飲み屋を経営してた有名な府川さん

 新宿3丁目の「セラヴィ」な。マル戦系の集まる店。既レスにある叛旗系の店は「伊都」。
 よく知らんが、もう今はないはず。



169 :革命的名無しさん:2006/06/26(月) 17:58:38
>>167
山崎氏が二人並んでいるけど以下の系譜はどちらの人ですか?
日共港地区委員会→第一次ブント→ブントマル戦派→怒涛

170 :革命的名無しさん:2006/06/27(火) 20:55:30
労共党の中はどんな比率なの?
日共ML 怒涛 紅旗

171 :革命的名無しさん:2006/06/28(水) 04:46:34
労共党内構成
毛系安斉派 12人
怒涛派    5人
紅旗派(烽火+赤軍臨総派) 3人
    合計20人

172 :革命的名無しさん:2006/06/28(水) 09:31:15
えー? いくらなんでも20人ってことはないでしょ・・・。
じゃあ怒濤が2番目に多いんだ(・・・ふたりしか多くないけど)。それも意外。
游撃派からの人々は首都圏委員会(風をよむ)に行っちゃったってこと?

173 :革命的名無しさん:2006/06/28(水) 10:59:59
>>171
まがりなりにも党派の代紋を背たろうているモンをコケにすんな!
アホ ヌカセ!ぜーんぶ合わせたら(勿論、「プロレタリア」紙読者も)
ざっと30人はおるわ!

174 :革命的名無しさん:2006/06/28(水) 19:47:12
労共党とブント(統一委員会)のどちらが数多いの?

175 :革命的名無しさん:2006/06/28(水) 20:02:43
労共党の場合は党員、統一委員会の場合は同盟員ということになるが、労共党の方が
多いと思う。ただし、高齢化してる。統一委員会は同盟員は少数だが、シンパ層、
特に若い世代はかなりいる。

176 :革命的名無しさん:2006/06/29(木) 22:21:08
労共党だって、その20人なら平均年齢は60くらいじゃないの


177 :革命的名無しさん:2006/06/29(木) 22:46:06
>>176
なら、開き直って「老共党」にすればいいのに。


178 :革命的名無しさん:2006/06/30(金) 19:22:04
成島忠夫さんは静岡で行政書士とか不動産屋(タウニー信和)を経営してるんですね。
静岡といえば、赤軍の植垣さんの店(スナックばろん)もあるんですよね。

179 :革命的名無しさん:2006/06/30(金) 21:10:53
>>178
植垣さんは昨年、30歳くらい年下の中国女性と結婚しましたね。
ご両親も健在で、とても喜ばれていたとか。
不動産屋といえば、弘前大で植垣さんの先輩(名前失念)も
例の連赤でパクられ長期投獄後、現在、不動産屋さんですね。

180 :革命的名無しさん:2006/06/30(金) 23:00:13
青砥ですか

181 :179:2006/06/30(金) 23:18:05
>>180
あ、そうです。

182 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 07:35:02
バロン・植垣!オマエ図々しいな!30歳も年下の彼女と結婚したなんて。
忠さんはまだバロンと飲み歩いているんかいな?
まぁ、ご両人ともお歳なんだから健康には気をつけてくだはい。

183 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 09:47:32
>>1さん、愚息は「市民の視点」で頑張っています。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワーク、LPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったと
か。最近、愚息が何を思ったか、「かあさん、これからの運動は権力と対峙しない市民運動だよ、おいら、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」などといい始めました。先週の日曜日、家の前を
通る小学生の鼓笛隊のパレードを見ながら、「かあさん、見てごらん、焼きソバやおでんの模擬店がないのはちょっと淋しいけど、あ〜いうのを新しい運動スタイルというんだよ、最近、”小泉暴走に反撃を!"なんて
いってるけど、今まで、鳴り物、光り物で”平和を表現しましょう”といっていたくせに、今更、語気を強めたって駄目じゃ〜ん、”小泉暴走にSTOP! 6.1集会、発言、高田 健、富山洋子”の時の、路上集会並みの”
驚異的参加者数”にそれが示されてんじゃ〜ん、つまり〜ぃ、”イラク戦争に反対するために集まった人たち”、"住基ネット反対集会"の頃とは比較にならない人だかりを見て気が動転し、”俺は運動を主導できる”、
”俺は偉大な市民運動家だ”と思い込んでしまっただけじゃ〜ん、つまり〜ぃ、持論の、”新しい運動スタイル云々"は、最初から何の関係もなかったということじゃ〜ん」と少し批判的なことをいいつつも張り切って
います。もう、家の中は笛、赤ちゃん用のラッパ、タンバリン、大きなボンボン、ペンライトなどの「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、
LPGの犯行に間違いないと愚息が申しております。友人の母とて無関係ではありえません。今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


184 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 13:20:38
>>182
飲み歩いているというか、バロンの店に忠さんが行っているようだ。

185 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 20:14:28
今度、静岡に行った時、成島忠夫氏とばろんで飲みたいね。
ところで怒涛派の臨中と成島氏はどういう関係なの?
俺、三派で解放派として成島氏と少し付き合いがあったので。

186 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 20:43:25
>>185
>ところで怒涛派の臨中と成島氏はどういう関係なの?

 おお、だんだん核心部分にふれるレスが入りだしたなあ。
 臨中へ行ったのは誰か、という問いでもあるわけだ。
 吉川氏か・・・石田氏か・・・ 
 成島氏は中央委だが日共MLへは行かなかった・・・でいいですか?
 

187 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 20:56:52
>>185
高橋幸吉(早大)さんはお元気ですか?

188 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 21:09:31
愛知の日本革命党でスレ立てすると、50まで伸びるだろうか・・・

189 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 21:18:15
怒涛分裂時の右 派=中央委・東京都委
      左 派=臨時中央委
      中間派=神奈川県委
でいいんでしょうか。すみません、よくわからないもんで。

190 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 21:34:17
土曜日の夜になるとレス伸びるなあ。ま、普段は仕事に忙しくてなかなかというとこかな。
かく言うワシもそうだが。オトーさんがた、髪の毛も薄くなったというのに、毎日のお勤め
ご苦労さんです。もうしばらく頑張れば年金もらえるよになりますから。
そういえば、植垣さんなんかほとんど毛がないよな。
早々と毛思想の影響から縁切りしたということを頭で現した・・・なんてシャレを。
いや、失礼しました。

191 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 21:46:12
>>185
そんなあなたに↓

佐藤栄作訪米阻止・羽田空港闘争(1967)
http://www.youtube.com/watch?v=8dcllukjKvQ&search=%E9%81%8E%E6%BF%80%E6%B4%BE

佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争(1968)
http://www.youtube.com/watch?v=B6kY8gZoadQ&search=%E9%81%8E%E6%BF%80%E6%B4%BE

王子野戦病院開設阻止闘争(1968)
http://www.youtube.com/watch?v=Y7IbOtnMoks&search=%E9%81%8E%E6%BF%80%E6%B4%BE

国際反戦デー 新宿騒乱(1968)
http://www.youtube.com/watch?v=mkpE0KLPaq0&search=%E9%81%8E%E6%BF%80%E6%B4%BE

全共闘 日大闘争 東大闘争(1968)
http://www.youtube.com/watch?v=7DoM4hqygHE&search=%E9%81%8E%E6%BF%80%E6%B4%BE

全共闘 東大安田講堂攻防戦 70年安保闘争(1969)
http://www.youtube.com/watch?v=5VBW0DNiY3c&search=%E6%96%B0%E5%B7%A6%E7%BF%BC

192 :革命的名無しさん:2006/07/01(土) 22:23:23
>>186
それは臨中の議長、副議長、書記長は誰だったのか?に関連するね。
成島氏は当然日共MLには行ってないわな。
>>188
スレ数は5が精一杯だろ。
>>189
そうだね。
>>190
お疲れ様
>>191
ウォオオオオオッ!10.8羽田闘争だ。
「すべての労働者諸君!只今、全学連は果敢に空港突入を戦っています!」
鎌田公園で総評集会の宣伝カーに駆け上った全学連副委員長成島忠夫氏の
吼えるようなアジが耳の奥で今でも響く。


193 :革命的名無しさん:2006/07/02(日) 12:21:56
>>192
臨中の議長は山田はんでは?

194 :革命的名無しさん:2006/07/02(日) 13:59:00
怒涛派といえば石田寿一さんでしよ

195 :革命的名無しさん:2006/07/02(日) 18:08:07
>>193
山田氏はCC委員候補で臨中の議長代行ということですが、議長は他にいたんですか。それとも、
臨中は文字通り反中央委としてのクーデター勢力=臨時の中央委ですから、議長代行という名に
したんですか。
>>194
山田というのはは組織名ですよね。石田氏の組織名ですか?

196 :革命的名無しさん:2006/07/02(日) 21:17:08
>>195
私の友人(怒涛関係者に近い)から数年前に聞いた話では、議長代行というのは、議長が正式
に選任されていなかったからだそうです。中央委のメンバーは大会で承認されることになって
るが、既存の中央委が機能してないということで、反中央委派がその臨時大会を開催したと称
して、臨中委員を選任した。山田氏は関西地区委員会に所属してたので、臨中派は関西が拠点
となった。もちろん反臨中の都委や神奈川委はこれを認めなかった。
(友人いわく、相当古い話なんで記憶違いや党内闘争からくる曲解もあるかも、とのことでした)

197 :革命的名無しさん:2006/07/02(日) 22:44:59
臨中議長代行の山田氏は関西地区委員会だそうですが
何故、中央委員候補がたとえ代行であれ議長になったのですか。
成島忠夫氏は何故議長にならなかったのでしょうか。
成島氏は臨中ではどんな立場だったのでしょうか。
また臨中が山田氏との関係でのみ拠点を関西に移したのでしょうか。
当時の関西は労組にほんの少し足場があっただけで、さほど戦線化されて
いなかった、と記憶しています。
元臨中派の方に教示をお願いします。私は当時、都委員会の学生組織に所属していましたが分裂直後
戦線離脱しました。

198 :革命的名無しさん:2006/07/03(月) 09:40:43
>>197
確かにそうだったな。
関西地区委員会の労戦は、山田同志が専従ではいっていた近畿○○○労連や
教育や地方公務員が中心だったな。でも最大でも2,3人だったから労組内での
組織化の力量はなかった。(教組の彼女たちはどうなっただろうか?)

関西を拠点としたのは、釜があったからじゃないのかな?
潜伏しながら出撃拠点として組織化するという・・・「インテリ」(苦笑)には
到底できなかったことなんだがね。
臨中以前にも山田氏は釜の組織化を考えていたけれど、なかなか入りこめる
人材がいなかったというか・・・

199 :革命的名無しさん:2006/07/04(火) 18:20:31
>>198
当時、都委員会は東部地区に活動拠点を移行し労働運動との結合をめざしま
した。そしてそれが日共MLとの統合となり今日の労共党の礎となったといえるでしょう。
また、臨中派も関西へ拠点移行したのも釜ヶ崎を含めた南大阪労働運動との
結合を志向したものと、分裂状態であれ好意的に評価していました。
従って当時の労共委には従来の独善主義を清算し戦闘的労働運動の中から党建設を目指す
方向性があったように思います。但し、臨中派が後に「左派」と呼ばれるように唯軍事主義化
していたので、たとえ労働運動に分け入っても釜ヶ崎での運動展開で露呈したように
戦闘的経済主義のレベルにあったのではないでしょうか。その辺りは、臨中派が唯一公にした
機関紙「釜ヶ崎は燃えている」に収録されていた成島氏の獄中メモに現れていると
当時、中央委派内で議論されたのを記憶しています。


200 :革命的名無しさん:2006/07/05(水) 10:31:00

投降派がなにぬかしているか

201 :革命的名無しさん:2006/07/05(水) 13:19:51
いやどちらにしても、歴史のゴミ箱(僕はくそ箱でOK(w)に入ってしまったのが現実。
その過去を総括して自らの立場を確立するためにみんな苦闘しているのでは?
まぁ、僕は労共委に一時的にでも居れたのを誇りに思ってるよ(逃亡者と自己を責めていてもね)

ここを呼んでいる限り、関西のもう一人のM候補は元気に活躍しておられるようだし。
Mさん(山田氏)は本当に行方不明なの?九州で老後を過ごしていればいいんだけどね。

202 :革命的名無しさん:2006/07/05(水) 13:50:37
労共党へ行った若杉さんはとってもお元気ですが。

203 :革命的名無しさん:2006/07/05(水) 20:23:39
>>201
質問です。天皇訪米阻止闘争を闘ったのは、中央委ですか。都委ですか。
共闘デモでは赤ヘル隊列だったけど、共戦メットでしたか?記憶にないんですが。
まさか、数人でということは・・・

204 :革命的名無しさん:2006/07/06(木) 10:44:43
9.15闘争のあと「中央委員会」は瓦解状態に陥ってたのじゃないかな?
75年前には「共戦メット」なんてなくなってたのではないでしょうか?
ネームが書いてあったとしても「政闘委」だったような。

205 :革命的名無しさん:2006/07/06(木) 18:03:38
>>202
よかったな

206 :革命的名無しさん:2006/07/06(木) 20:39:03
>>203
臨中派の合法・公然部隊だよ。

207 :革命的名無しさん:2006/07/06(木) 20:53:03
>>206
またまた質問。
その頃、BOMBやったのは臨中なんですか?

208 :革命的名無しさん:2006/07/06(木) 21:01:31
つーか、分派活動はまだ公然となっていない時期だよ。
Bは当然Y。
B失敗で党内が混乱して、幕引きを臨中となるメンバーが主導で
行ったということじゃないかな。当然Yはそのメンバーたちが保護し
関西へと・・・・

209 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 04:25:09


ふふふふふっ オモシロイことを書くやつじゃな

210 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 08:52:19
ほー、あんたが知ってる真実とは?

211 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 18:55:00
>>206
既レス(25)では
>中央委は臨中の「左」の日和見主義、動揺する神奈川県委と
原則的に戦いながら、天皇訪米阻止闘争などの大衆運動、
機関紙活動に責任ある闘争を展開したんだよ

と正反対の解説になってますが、どっちがホントなの・・・


212 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 19:09:20
分裂が公然化していない時期だから両方ホントだよ

213 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 20:09:40
>>208 >>210

これが投降派というものだよ

214 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 20:15:28
多少、補足しておくと投降派というのは
当時の「中央委」派や神奈川県委は言うに及ばず
臨中の中にも存在した、というわけさ。
ねぇ、そうでしょ、>>208さん?

215 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 20:29:07
>>202
労共党機関紙「プロレタリア」編集部の若杉氏が、労共委の
7.7アピール連絡協の多木氏説が前提だが。(別人なら容赦)
彼は、分裂時期、中央委であった。彼は党内闘争の際にその経過を
報告書にまとめているが、それを各党員を本名で書いていた。
この当該報告書が後にガサで権力に持っていかれ、実名を基に全国33ヶ所に及ぶ
ガサ入れー弾圧を労共委がくらった。彼は、今どう考えているのだろうか。
厳しい試練を他人に負わせたら、そりゃ今は「元気」だろ。

216 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 20:33:56
>>214
投降派って、そういう意味ではみんな投降してしまっただろが(激藁
成忠だって、松井だって・・・以下略

217 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 20:53:35
>>216
投降派って・・・皆、離脱した「元活」というやつで、今は缶ビール片手に
昔を思い出して語って、青春時代をほろ苦くも懐かしんでるだけなんですけど・・・

218 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 21:03:33
あれ?みんな自らの運動を総括しながら生きてるんじゃないのケ?
おらいは投降派じゃなくて逃亡派だんけどもな。


219 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 21:33:51
いや いやスマソ 臨中にも投降派・・が気にさわったかな。
>>218
あんた東北ね。秋田かね?

220 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 21:36:26
>>216
松井って誰?おらいは知らね。

221 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 21:44:35
>>218
総括なんておおげさな気持ちはないけど、あの頃の生き方はそれなりに
充実してたし、今の自分のいい肥やしになってると思ってる。
運動からの離脱は後悔してないし、結果としては良かったとも思う。
だからといって、今、保守派になってるわけでもない。地域の人からも
「あいつは共産党のようで、そうじゃない。民主党でもないし変わったやつだ」
と言われてる。ある時、冗談で「労働党支持」だって言ったら、そんな党ある
かって言われたよ。

222 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 21:49:44
投降派は「運動からの離脱は後悔してない」と言っていますが何か?

223 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 21:51:18
「地域の人」にほめられて良かったでつね。

224 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 21:54:46
いや、みんなそうだと信じたい>いい肥やし

って、共革最終号の方針が正しかったとも思ってないけどね。
でも時代がそれを要求したことも事実。
という私も、もはやあのころの「共産主義者」でもないし。
まぁ、敵を包囲するコミューンは必要だと思っているけど(W


225 :革命的名無しさん:2006/07/07(金) 21:54:54
>>216
オマイと一緒にするな!と成忠氏と「松井」氏が怒っていますが。

226 :革命的名無しさん:2006/07/08(土) 11:08:02
消息しれずの耶麻だしはさておき、何の総括も公にせずしゃしゃりでる「投降」派など笑止千万

227 :革命的名無しさん:2006/07/08(土) 20:27:44
>>224
同意!
>>226
総括はしてるさ、それぞれに。それをなんで公にする必要があるんだ?
あえて公にというんなら日共MLへ行った連中が表明文出してたよ。

228 :革命的名無しさん:2006/07/09(日) 17:11:18
怒涛から日共MLへ行き、今は労共党にいる多木さんはこう語ってます。

労共委の総括のわたしの一番の問題意識としては、大衆に深く入った党を
実際に作り出したい、主要には労働運動で、というのがあった。さらに言
うと、労共委の第二次ブント批判として、「戦闘的経済主義」批判や組織
日和見主義批判という立場があった。前者の批判は諸闘争展開に党活動を
低めることへの批判だが、後者は、マル戦自身が第二次ブントから抜けた
ことの総括として、コミンテルン―日共の継承関係をあいまいにしないと
いう立場。




229 :革命的名無しさん:2006/07/09(日) 17:57:20
>>1さん、愚息は「市民の視点」で頑張っています。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワーク、LPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったと
か。最近、愚息が何を思ったか、「かあさん、これからの運動は権力と対峙しない市民運動だよ、おいら、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」などといい始めました。先週の日曜日、家の前を
通る小学生の鼓笛隊のパレードを見ながら、「かあさん、見てごらん、焼きソバやおでんの模擬店がないのはちょっと淋しいけど、あ〜いうのを新しい運動スタイルというんだよ、"普通の人、普通の人"というけど、
”共産主義者による建党協議会"のメンバーの高田健さん自体が、"普通の人"といえないじゃ〜ん」と少し批判的なことをいいつつも張り切っています。もう、家の中は笛、赤ちゃん用のラッパ、タンバリン、大きな
ボンボン、ペンライトなどの「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、LPGの犯行に間違いないと愚息が申しております。友人の母とて無関係では
ありえません。今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


230 :革命的名無しさん:2006/07/09(日) 20:51:52
>>228
>コミンテルン―日共の継承関係をあいまいにしないという立場。

だから日共MLへ行ったわけだ。日共を名乗る党派へ行ったのは 共産同国際主義派
もそうだよな。(日共行動派へ)
やっぱ、コミンテルンを意識してなんだろうかな。


231 :革命的名無しさん:2006/07/09(日) 21:49:07
>>228
継承問題では当時の労共委は「コミンテルンーコミンテルン日本支部(日共)−ブント」として
捉え、主要な問題意識はブント系党内闘争に分け入っていくことにあったよ。つまり
労共委はブント党内闘争に出生の根拠があることを確認したね。
だから、ブントを通り越して日共に戻るなんていう発想は当然無く、
それは「中央委」派が創造したスタ的「党史観」なわけだよ。

232 :革命的名無しさん:2006/07/10(月) 18:09:48
>>230
>>228のいう>>コミンテルン―日共の継承関係とは
BUNDを清算するための「正当性」でしか無い苦肉の口実。
労共委の「コミンテルン日本支部としての日共」という組織観は
世界党建設を展望するものとしてあった。
その意味で>>231の>スタ的「党史観」との指摘に激しく同意する。






233 :革命的名無しさん:2006/07/10(月) 19:30:01
多木さん、ご無沙汰しています。
党建設に健闘されておられるとのこと敬服します。
大衆に深く入った党、主要には労働運動・・との見解をお持ちですので
当然、ご自身、労働運動に参加されたのですよね。ユニオンや合同労組の
支部、分会一つ位は結成されご自身が委員長、書記長を務められましたよね。
まさか、塾の講師をアルバイトにしながら「労働運動」を偉そうに説教されていませんよね。
それではかっての怒涛派官僚と変わりませんから。
一度、多木さんが作業服姿で油にまみれながら江戸川や荒川、葛飾辺りで汗を流しながら働く
お姿を拝見したいものです。



234 :革命的名無しさん:2006/07/10(月) 20:08:24
>>233
荒川を舞台に江戸川競艇で労働者諸君とコミュニケートしてますが。

235 :革命的名無しさん:2006/07/11(火) 17:45:10
怒涛派の活動家が中小零細、寄せ場で労働運動を組織するなんて
世界革命より難しいだろうな。

236 :革命的名無しさん:2006/07/11(火) 19:49:35
>>232
そのとおりですね。労共委の系譜は、コミンテルン日本支部としての日共ー安保ブントー
革通派ーブントマル戦ー第6回大会ブントー労革派(準)−労共委結成。
つまり、コミンテルンの成立とその崩壊の総括から世界単一党建設を提起した。
また、労共委の組織性格は、理論に対する個人の結合という形で出発したから、
@労共委は党でもなく、同盟でもない。理論的・組織的基盤を獲得する組織であること。
A将来の同盟は、将来の革命的労働者党の中核であること。
としていた。
この「将来の同盟」とは、労働者共産同盟(仮称)のことであり、それを目指していた。
結果として、合流先で労働者共産党という名称が付けれたから、中央委の諸君は悲願(?)
を叶えたわけだ。


237 :革命的名無しさん:2006/07/11(火) 21:00:30
で、今の労働者共産党には烽火系(ML、ボリシェビキ)、赤軍系(ML、プロ独)、
労働党系(少数分派)、日共ML系、労共委(中央委系)、遊撃系(首都圏委員会
へ行かなかった少数派)がいるはずなんですが・・・

238 :革命的名無しさん:2006/07/11(火) 21:07:41
>>235
おやおや、それを今、労働者共産党は実践してますが。HPをご覧くださいね。

239 :革命的名無しさん:2006/07/12(水) 01:32:15
烽火のボル派なんて生田さんもやめたんだからいないんじゃないの。
赤軍のMLなんて労共党にいってるの?


240 :革命的名無しさん:2006/07/12(水) 12:27:54
>>239
それに、赤軍ML派つーても高原氏は現役ではないようだし
シュンちゃんも降りたらしいから誰が労共党に行ったのかな。

241 :革命的名無しさん:2006/07/12(水) 16:00:02
>>237
ふーん、労働党は民族民主の二段階革命論なのに
ブント系とうまくやっていけるのか?・・・・・



242 :革命的名無しさん:2006/07/12(水) 20:05:54
>>239
>>240
赤軍や烽火系も労共党へ行く前段の赫旗派結成、さらにその前の革命の旗派や
紅旗派結成の段階で彼らは順次離脱した。しかし、1〜2名は残り、労共党に
まで行き着いた同志もいると聞いた。
遊撃系のほとんどが赫旗派分裂で首都圏委員会へ行ったのはご存知のとおりです。
労働党については237さんの誤解で、日共ML系の一部が労働党に流れたということ
であって、労共党へは誰も行っていません。そういう意味では、241さんの心配は
無用ということです。ハイ。

243 :革命的名無しさん:2006/07/13(木) 00:00:01
烽火のMLって書き込みに興味ありますね。
烽火の分裂の中でMLっていうのはどういう人たちですか?

244 :革命的名無しさん:2006/07/13(木) 18:25:46
党派とも呼べないブザマな弱小会派でも
内部抗争だけは一丁前だな。

245 :革命的名無しさん:2006/07/13(木) 18:47:58
ブザマ私兵グループ?

246 :革命的名無しさん:2006/07/13(木) 20:49:38
>>244
アホッか

247 :革命的名無しさん:2006/07/13(木) 21:20:05
>>243
西田と統合したのが右派で、MLとボリシェビキは中間派・左派という
関係のはずです。MLとボリシェビキの差はそうありません。表面上は
当面の戦略的課題に対するアプローチの差異とか、他派との共闘関係の
捉え方の違いにすぎないんですが、内実は烽火指導者の日和見的態度に
対するアンチの部分も大きく、フラクごとの指導者にそれぞれ付いて
分かれた結果がMLとボリシェビキということのようです。
そして、両者は最終的には赫旗派の中で再合流を果たすわけですが、
合流以前に離脱した人も多く、また、最後の烽火系の人も赫旗派分裂
の際にはいなくなりました。

248 :革命的名無しさん:2006/07/14(金) 20:50:00
烽火の分派闘争で、本多ー加納一派とか、伊集院派とか
いわれましたが、それのどれが、ML派、ボル派なのか
訊かれるとサッパリわかりません。誰か教えてケロ。

249 :革命的名無しさん:2006/07/15(土) 08:43:45
ということは>>237はオオボラだったんだ。
ブントらしくてスバラシイ。


250 :革命的名無しさん:2006/07/16(日) 02:14:53
本田・加納というのがボル派。中心は生田さんで、プロ独派と合流。党派名は紅旗
ではなかったかな。紅旗の最初の分裂で、本田・加納は生田さんたちからは分派。



251 :革命的名無しさん:2006/07/16(日) 08:51:48
>>250
という事は生田はコムに、その本田・加納派は赫旗→労共党になるわけ?

252 :革命的名無しさん:2006/07/16(日) 18:49:02
赫旗も労共党に行く前に分裂するんだよね?

253 :革命的名無しさん:2006/07/17(月) 00:41:06
違うって。加納や本田はボルとプロ独が合同した直後に生田さんや松平さんたち
と分派事件を起こしていなくなるの。

254 :革命的名無しさん:2006/07/17(月) 10:09:11
う〜〜〜んと、読んでいて思ったのは、労脅威は系譜(含むコミンテルン)などというものは、
自らの活動を通して止揚し、世界党を建設するという立場だった。
まぁ、脱した俺らがいうことじゃないが、いくら系譜を辿って話しても、
現実の運動で自らの過去を総括していかないと、未来は永劫現れないだろうね。
って、もうすぐ俺にはあの世からのお迎えがくると思うけどな(W

255 :革命的名無しさん:2006/07/17(月) 21:34:30
>>253
そうか そうだったのか サンクス
で マッピラや生田と分かれた本田、加納ってどうなったの?


256 :革命的名無しさん:2006/07/18(火) 17:46:16
>>254
痛いほどおいらにはその気持ちわかるな〜。

257 :革命的名無しさん:2006/07/18(火) 17:49:37
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1153212278/l50

日本国民の命より重いものそれはたった一つの9条

258 :革命的名無しさん:2006/07/18(火) 20:03:13

痛いほどおいらにはその気持ちわかるな〜。




259 :革命的名無しさん:2006/07/19(水) 20:28:28
>>248
伊集院は東北地方委。分裂の時、機関紙「赤炎」を出していたんじゃなかったっけ?

260 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 01:45:17
72年の三戦士によるディルヤシン作戦のあと、パレスチナ共闘が赤軍(臨総)
怒涛、赤P上映隊の三者で作られましたが、その時の怒涛=パレスチナ支援
委員会の人たちは、怒涛の分裂ではどのような立場になったのですか?

261 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 05:00:48
さぁ

262 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 09:34:36
P支はメンバー的には臨中。P支自体はあかぐん系に収束されつつ・・・各自消耗戦に突入していき増田

263 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 09:37:19
つーか、あのころP支から回ってきた、火炎瓶を投げようとする片手を図案化した
エリトリア解放戦線のポスターが妙に記憶に残ってるわな

264 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 18:32:21
あれ?!パレスチナ支援委員会は中央委派じゃなかったの?
世界革命運動情報センター元関係者からそう聞いたけど?

265 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 19:37:07

正式名称はパレスチナ解放支援委員会と
世界革命情報戦線センターだろ。

266 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 20:50:49
>>264
世界革命情報センターって日本赤軍の足立正生がやっていたやつですか。

267 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 20:58:34
>>266
そうそう、足立正生さんです。
当時の住所は川口市大字戸塚806でした。関係ねえか。

268 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 21:10:23
>>264
ガセネタ流すなよ。P支は臨中だよ。

269 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 21:26:28
>>260>>266
ということは日本赤軍と怒涛派は共闘していたんですね。

270 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 21:31:37
>>267
臨中の最高実力者、成島が当時住んでいたのは浦和ですが、
埼玉つながりかな。

271 :革命的名無しさん:2006/07/20(木) 21:38:42
>>266>>277
あれれ?2001年発行の文藝別冊「赤軍総特集」で松田政男インタビューでは
大田竜、山口健二、松田政男、佐々木規夫の兄、大田昌国さんたちのレポルト社(67年2月〜)が「世界革命運動情報」を出していく、となっているけど?
それとは別の話なのかな?

272 :革命的名無しさん:2006/07/21(金) 19:43:11
当時、赤軍や怒涛系のいろんな支援組織があったからねえ。
テルアビブ闘争支援委員会
パレスチナ解放支援委員会
パレスチナ人民支援委員会
世界革命情報戦線センター
革命救援会
日本赤色救援会





273 :革命的名無しさん:2006/07/21(金) 20:16:40
テルアビブ闘争支援委員会はリッダ闘争の翌月に出獄した上野さんの呼びかけで結成。
その後、パレスチナ解放闘争支援委員会に名称変更じゃなかったっけ。
革命救援会ってなんだったっけ?
赤救は連合赤軍の支援組織でしょ

274 :革命的名無しさん:2006/07/22(土) 05:26:31
>>271
世界革命情報戦線センターはそのメンバーで誕生したが、その後、「映画批評」に移動したり
していたけど70年代中頃まで活動をしていた。足立正生は赤Pだが世界革命情報戦線センターにも
参加していて、世界革命情報戦線センターを最後まで継続したのは足立たちの組織だった。

275 :革命的名無しさん:2006/07/22(土) 18:12:08
今、ちょうど足立正生著の「映画/革命」2003年発行
読み始めているんだけど、そのあたりのこと詳しく書かれているね。
これ、かなりおもしろい。

276 :革命的名無しさん:2006/07/22(土) 21:10:16
怒涛+赤軍+世界革命情報戦線センター=?

277 :革命的名無しさん:2006/07/23(日) 06:54:33
足立正生は1939年生まれだから既に67歳か。
パレスチナに渡った頃には30歳を超えていたわけだ。
すごいといえばすごい。


278 :革命的名無しさん:2006/07/23(日) 06:56:15
自分自身を卑下する人間が朝日新聞を非難する。
奴らは自分の無知を隠したいが為に
何かを攻撃したい。朝日は悪くないのに朝日を攻撃しようとする。
しかも匿名のネットで誹謗を述べる。
本当は朝日のような一流企業に勤めたいと願っているくせに、
匿名で朝日を非難する輩どもは堂々とメディアの前に姿を現すべきだ


http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1153574641/l50




279 :革命的名無しさん:2006/07/23(日) 08:09:45
>>1さん、愚息は「市民の視点」で頑張っています。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワーク、LPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったと
か。最近、愚息が何を思ったか、「かあさん、これからの運動は権力と対峙しない市民運動だよ、おいら、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」などといい始めました。先週の日曜日、家の前を
通る小学生の鼓笛隊のパレードを見ながら、「かあさん、見てごらん、焼きソバやおでんの模擬店がないのはちょっと淋しいけど、あ〜いうのを新しい運動スタイルというんだよ、「九条の会」って本当に大江健三郎
さんたちが”作って、やっている”ものなんだだろうか、「事務局長 小森陽一」つ〜のは、「許すな憲法改悪・市民連絡会」と同じパターンだけど、偶然の一致だよな〜、まさか”単なる名義借り”つ〜ことはありえ
ないよな〜」と少し疑問を持ちながらも張り切っています。もう、家の中は笛、赤ちゃん用のラッパ、タンバリン、大きなボンボン、ペンライトなどの「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。
下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、LPGの犯行に間違いないと愚息が申しております。友人の母とて無関係ではありえません。今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


280 :革命的名無しさん:2006/07/23(日) 12:20:13
>>277
オマイと同い年?

281 :革命的名無しさん:2006/07/23(日) 21:27:41
>>276
世界革命情報戦線センターというのは組織的なもんじゃないよ。横浜のルビコン書房
が「神奈川情報センター」と名乗ってたようなもんで、応援団的存在だわな。
世界革命情報戦線センターやP解放支援委員会、P人民支援委員会でP革命連帯共闘
会議を組織して、Pの日本人医療支援隊へのカンパ活動なんかをしてた。

それと、労共委はブントからの訣別がアイデンティティだったから、赤軍派とは大きな方向性
では一致する部分もあったが、連赤以降は塩見氏らへの批判も強めていた。当時の労共委中央委
の態度はかなりスタ的だったが、一方臨中派も頑なすぎたな、とワシは思っている。

282 :革命的名無しさん:2006/07/24(月) 12:32:33
P支は俺たちの誇りだったもんな。何の役にも立たなかったけど・・・
まぁ、なんだな。俺はこの年になっても、この地域「日本」の革命は
日本地域に住む人民(日本古来から在住する民族に限らず)によって
なさなければならないと思ってるy。
だから、日本革命なんていわずに「日本地域」での革命と言って来たし。
これがWCCからの唯一の遺産(W。あとはすべて捨てた。
って、革命なんて言葉はどこにも使ってないけどさ、所属のNPOなんかでは
『この「地域」に限らず在住するすべての人々』なんて引きずった宣言文
書いてしもーたわw

283 :革命的名無しさん:2006/07/26(水) 18:38:16
>>281
>世界革命情報戦線センター
まぁ表面的にはそう見られていたかもしれないが、中心の活動家は原則的に
まじめで好感をもったな。

日本赤軍や赤軍派へのシンパシーは中央委派よりも後に臨中を形成していく
人たちの方が強かったように思う。

>>282
遺産があるだけ幸せだな。


284 :革命的名無しさん:2006/07/26(水) 21:48:57
でも、あまりにもPを世界革命戦争の聖地化しすぎた面はあるんじゃないか。
今から思えば、思い入れが過ぎたよな。

285 :革命的名無しさん:2006/07/27(木) 19:27:17
怒涛派は本家の赤軍派よりも熱心に日本赤軍を支持していたように見えたけど・・・。

286 :革命的名無しさん:2006/07/27(木) 20:47:19
60年代終わり〜70年初め頃に怒涛が関わってた組織
(記憶違いもあるかもしれないが思い出すままに書いてみた・・・)
全共闘連合、全国反戦、各地区反戦、反戦反安保成年連絡会議、反戦共闘、
入管地区実行委(東京、大阪、福岡)、全関東叛軍連絡会議、
朝霞基地闘争委、厚木基地闘争委、反対同盟(三里塚、北富士、砂川)
ああ、忙しかったねえ・・・

287 :革命的名無しさん:2006/07/28(金) 11:54:15
>>286
福岡に組織があったのは初耳ですが>入管地区実行委

288 :革命的名無しさん:2006/07/28(金) 21:04:42
>>287
いや、あったよ。反戦、入管、三里塚、天皇、と続いたけど、首都圏中心だったこと
は確かだ。でも入管は福岡で頑張ったよ。

289 :革命的名無しさん:2006/07/28(金) 21:46:44
>>288
先輩同志スマソ
70年代中期の党内闘争で作成したオルグ全国リストを当時みたたのですが
九州は全くあがっていませんでした。九州に組織があったのは何年ごろですか?

290 :革命的名無しさん:2006/07/28(金) 21:49:26
289ですが補足すると、分裂当時私は一応中央委派です。

291 :革命的名無しさん:2006/07/28(金) 22:54:03
入管の福岡って、大村アウシュビッツ関連とはまた別の話なん?

292 :革命的名無しさん:2006/07/29(土) 08:37:14
>>290 
あのあたりでは、山田同志の後輩で(海峡を隔てた)山口大学のT氏らが活動してたよな。確か・・・
って彼も後には関西地区委員会で活動したか・・・

293 :革命的名無しさん:2006/07/29(土) 08:41:30
>オルグ全国リスト

それがガサで盗られた実名リストかいな?
おかげで召還したあと、考案に住所把握されたあと1年間もこれみよがしに張られたぞ

294 :革命的名無しさん:2006/07/29(土) 11:17:45
>>286
>>60年代終わり〜70年初め頃に怒涛が関わってた組織

全共闘連合?全国全共闘のことでしょうか?
その他、では確か九州地方の生協闘争の組織に関わっていましたよね。
組織名は失念しましたが。


295 :革命的名無しさん:2006/07/29(土) 14:13:46
>>289
71〜72年頃までだったと記憶してるが・・・

296 :革命的名無しさん:2006/07/29(土) 15:03:12
>>295
その頃はもう活動してませんよ。入管闘争は69年に盛り上がり、
70年7月7日の華青闘告発により、中核・青解・共産同諸派などが
「抑圧民族」論を受容し、中核は「血債の思想」を言い出した。
その後、入管闘争が反差別闘争へと展開されていく過程で 怒濤は前衛との
党派闘争や、中央組織体制の見直し、共戦の立て直し等内部固めに忙しく、
71〜72年頃までというのは記憶違いと思いますよ。せいぜい、70年
までじゃないでしょうか。


297 :革命的名無しさん:2006/07/29(土) 19:25:57
>>294
全共闘連合とは、全国全共闘連合のことです。怒涛はこの運動内実を変革せんとしたが、
中核派はこれまでの運動を保守的に防衛しようとし、ブントは新たな組織=反軍行動委員会
にスタンスを移し、全国全共闘は運動の空洞化、そして瓦解へと進むわけです。
当時、怒涛に限らず統一戦線的な組織には各派が呉越同舟していたわけで、全国全共闘、
反軍行動委員会、全国反戦、東京入管闘などがありましたね。


298 :革命的名無しさん:2006/07/29(土) 20:55:19
>>297
>怒涛はこの運動内実を変革せんとしたが

 その運動内実の変革とは?

299 :革命的名無しさん:2006/07/29(土) 22:12:58
>この運動内実を変革せんとしたが

失礼ながら、どの党派もそのつもりだったんじゃないのかい?

300 :革命的名無しさん:2006/07/29(土) 23:10:03
>>293
そうそう、あれね。多木が作成してガサで押収されたやつね。
メンバーの実名をパーパー書いた報告書をガサった考案は
さぞかし喜んだよな。まさにお宝発掘W
実名を書き散らかした文書を書くド素人以下なんて言うとド素人に怒られそうだ。
まさか労共党でも同じことやってないだろうな。多木さん!

301 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 07:41:11
まぁ、確かに加盟誓約書では本名その他書いたんだけど、
対弾圧用に使われるのならまだしも、弾圧に使われるなんて・・・(W
そのころ当地では4トロさんが、お得意の「急進市民主義」で考案の最注目
団体となったようで、その事務所と開業した事務所が近く、ついでにって
感じで、見張られてましたよ。ま、30年も前の話だけどね。


302 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 08:41:01
ところで分裂後の中央委の議長は誰だったの?

303 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 08:41:42
>>299
ですね。学生の闘いをプロレタリアートの政治闘争を闘う機関に再編、といったとこですか。
ところで、当時怒涛は「全人民武装化ー赤軍創出」というスローガンを出してましたよね。
しかし、後にこのスローガンを何ら政治的保証もなく大衆運動組織にあてはめたのは誤りであっ
たと「怒濤」紙で総括してました。すなわち、大衆運動組織の自然発生的な武装化によって、
革命の勝利は保証されるものではない。全人民武装化はソヴィエト武装化の問題であり、その
実体化を推し進めるのは、元締めである党の武装化にある、とした。赤軍派は武装化が革命そ
のものであるかのように錯覚し、誤りを犯した。労共委は武装化は必要としながらも、その轍
は踏まないとしていた。ここに軍事中心主義が台頭し、数年後には爆弾闘争が展開され、さら
にはそれをめぐって党分裂へと進んでいくということになるんでしょうかね。

304 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 09:32:03
ソビェト武装や中核の自然発生主義を批判して「党の武装」を推進したんじゃなかったっけ。
>労共委は武装化は必要としながらも、その轍は踏まないとしていた。


305 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 10:49:42

臨中派が陥った唯軍主義を労共委の党の武装化方針にさかのぼって批判する視点は
極めて重要です。

306 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 14:11:13
>>303>>304>>305

なんか臨中が極左路線、軍事主義かのように当時から言われていたけど
臨中の最高実力者であった成忠氏は昔からどちらかといえば大衆運動主義者で
革命戦争云々とあまりイメージが結びつかない。

307 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 18:44:50
304さんの言うとおり、ソヴィエト武装から訣別し党の武装化を志向した。
確かに武装化を唱えていたから、軍事主義的とも見れるが党の武装化は
スローガンに終わってしまい、実態化は進まなかった。組織的いきづまりを、
臨中は軍事中心に持ってきて打開しようとした、と観たほうがいいんでは。
>>306
まあ、党と大衆運動との関わりは常に議論されてきたとこだが、当時、内部
批判されていたのが@大衆運動主義、A個別闘争主義、B組織日和見主義
であった。
そういう意味で、成忠が「大衆運動主義者」?



308 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 19:03:54
306ですが、成忠氏を大衆運動主義者と言ったのは
氏の路線というよりも性格のことです。
大衆運動に関してはいい感性をお持ちでしたよ。
党派活動よりもどこかの労組で活動した方が良かったのでは
と他人事ながら。

309 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 19:37:54
労組にはほとんど足場を持たなかったと言っていいんでは。オレの知ってる
範囲では、70年代前半までは郵便局と国鉄にいたけど、表面上は全逓と国労
に所属し、怒涛だというのは隠してたはず。

310 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 21:03:11

他に電電公社にもいたな。労組のなかで一本釣り方式だったが、増えなかったね。
結局、学生主体部分が中退してそのまま労働者化、指導部は学生主体部分のまま、
労働者部分の新規獲得は極少数、というのが組織実態だったんでは。

311 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 21:48:03
>>309
>>310
そう、そう郵便、国鉄、電電公社にいたね。
みんな元気にしているのかな。

312 :革命的名無しさん:2006/07/30(日) 22:15:36
それと民間では金属、繊維、造船にもあった。

313 :革命的名無しさん:2006/07/31(月) 08:33:03
そんなこといえば、日教組にも、市職労にも、自動車にも、ぬあんと某航空会社にもいたよな。
でも、ほとんど表面化させていなかったけどね。

314 :革命的名無しさん:2006/07/31(月) 08:42:14
あ、313は党員だけじゃなく、戦線に結集したシンパも含めてね。

武装に関しては、当時(今でもか・・・)中核などの自然発生性に依拠した
市民急進主義的運動を批判してたよな。そこで組織された暴力を党内に準備し
革命軍の中核にならんとした・・・
で、その軍に資質に関しては、「紅軍の人民への奉仕」にかなりの着目点を
おいていたな・・・<某M候
そのころ俺は、コミンテルンの会議録(もう書名は忘れた)を読まされてた(W


315 :革命的名無しさん:2006/07/31(月) 20:11:56
>>314
教員というのはオレも知ってるぞ。そうそう、出版にもいたぞ。てことは、
シンパも含めてそこそこいたのに、天皇訪米阻止の頃になると数えられる
だけの人数になってしまったのはどういうわけじゃいな。相変わらず共戦
の組織化が進まなかったからか。それとも関東学院勢力の衰退のせいか?
権力の弾圧は理由にならないと思うが・・・

316 :革命的名無しさん:2006/07/31(月) 20:34:20
「ブント系では、規約に基づいた活動という発想が弱いだけでなく、
権力闘争と軍事的な観点から官僚主義的集中制を成長させていった
傾向が強いように思われる。70年代当初までの段階で規約−組織
問題を真剣に総括しようとしていたのは怒濤派と73年当時の戦旗
派北海道地方委員会ぐらいではないだろうか?」

(国際主義 98年12月の記事より)


317 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 17:37:48

その頃、旧来テーゼは空想的社会主義的であるとして、政治テーゼ再編そして綱領確立の
ためにとかで政治テーゼ検討委員会が設置され、その論文が「怒濤」紙によく載ってたな。
テーゼ再編の闘いと称して、夏期学習会で政治テーゼの読み合わせしたけど、正直その内容
がよくわからなかった。
この時期、労共委には、まず理論研究を中心にという勢力がかなりいたんだよね。

318 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 18:24:59
「規約」を何か金科玉条とする傾向が当時の中央委派に強かった。
これが臨中派の弾圧への抵抗を「クーデター」と批判する根拠になるんだけど。
これに臨中派は「官僚主義」「行政主義」と応じていた。
それらの是非は一応棚上げしておくとして、興味深いのは、>>316が紹介した戦旗党内闘争から
分派した「国際主義」派が「規約」に注目していたことだ。何故、興味深いかといえば
怒涛の中央委派は日共ML派に、「国際主義」派は日共(行動派)へとそれぞれ合流し共にBUNDを
清算したことである。「規約問題」を突き詰めるとこうなるのだろうか。

319 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 19:06:00
だんだん面白くなってきたぞ。このスレは元関係者だけでなく、
趣味者もいますので勝手ながらもう一度整理しておきます。

77〜8年頃に中央委派、、神奈川県委派、臨中派に四分解。
77年9月に中央委派の「怒濤」紙とは別に、都委員会派がもう一紙
「怒濤」紙の発行開始し(77年12月まで)、78年より「労働新報」
に改題された。(5月〜9月まで計3号確認)
中央委派は、79年9月に日共(ML派)に吸収統合。
日共(ML派)は後に赫旗派と統合し労働者共産党結成。
神奈川県委は、「プロレタリア革命」なる分派機関紙の発行が82年頃ま
で確認されているが、以後不明。自然消滅?
臨中派は釜を拠点に活動し、後に労共委全国協を名乗る。

320 :319:2006/08/01(火) 19:11:35
>77〜8年頃に中央委派、、神奈川県委派、臨中派に四分解。

 失礼、これに東京都委員会派がいた。


321 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 20:55:15
多少補足すると、臨中派は釜ヶ崎に拠点を移行した後、この方針を巡り
論争が発生しその結果、議長が戦線を離脱し、全権は成忠氏に移行し
労共委・全国協議会が結成された。70年代末期、全協内で中国共産党が
提唱する反覇権国際統一戦線戦術を巡って反ソ重視か、反米重視か、
民族民主革命か、社会主義革命かの対立が生まれ、全協主流派はこれをカンボジア支援の
運動で突破しようと試みたが、毛派との党派闘争に巻き込まれる形で収束した。
これらの労共委ー臨中ー全協の党内闘争経過の背景には、赤軍派+怒涛派の統合を突破口とするBUND再編
への戦略があった。




322 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 21:11:05
>議長が戦線を離脱し、

ということは、ある種「ファミリー」化していた関西細胞はすべて
離脱したのでしょうか?少なくともT氏やM氏、後で参加していたT氏やK氏
などがいたと思うのですが・・・それとその周りの人々(意味深W

323 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 21:14:52
アメリカ帝国主義、シオニスト・イスラエルの侵略・反革命と戦う
パレスチナ、レバノン人民にパレスチナ解放支援委員会、関西パレスチナ解放支援委員会は連帯するぞ!

324 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 21:18:34
>>321
詳細を希望します。
>毛派との党派闘争に巻き込まれる

325 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 21:28:29
>>党内闘争経過の背景には、赤軍派+怒涛派

まぁ、それとは別にRに流れた同志は多かったと思われるけどね
僕らの中には党派闘争をしていても、Rコンプレックスが渦巻いていたな、実際。

326 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 21:35:10

Rとは共産同赤軍派または日本赤軍のどちらですか?

327 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 21:42:43
それは言えない・・・・でわかると思うがね

328 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 21:45:24
怒涛からパレスチナへ行ったの
結局、どれくらい いたんだろうな?

329 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 21:52:46
まだ、たたかいは続いているのかも知れないので封印しておきましょう。

330 :革命的名無しさん:2006/08/01(火) 21:57:01
>>324
社会党・佐々木派(社研)、労働者党、日共(左派)関東ビュロー、日本社研(塩見派)、「無産階級」編集委
立志社、「反覇権通信」編集委(花園派)、「ソ連問題」編集委、日共(革命左派)京築地区委員会・・・・・・

331 :革命的名無しさん:2006/08/02(水) 04:41:31

なんじゃ、これ?マジ?

332 :革命的名無しさん:2006/08/02(水) 08:37:43
>>1さん、愚息は「市民の視点」で頑張っています。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワーク、LPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったと
か。最近、愚息が何を思ったか、「かあさん、これからの運動は権力と対峙しない市民運動だよ、おいら、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」などといい始めました。先週の日曜日、家の前を
通る小学生の鼓笛隊のパレードを見ながら、「かあさん、見てごらん、焼きソバやおでんの模擬店がないのはちょっと淋しいけど、あ〜いうのを新しい運動スタイルというんだよ、何を目的としているかよくわからない
けど、早く”Be in 合体 9・11”来ないかな〜、"共産主義者による建党協議会"の高田健さんが、いつから”chanceの人”になったのかわかんないとこもあるけど、おいらも頑張る!」といって張り切っています。
もう、家の中は笛、赤ちゃん用のラッパ、タンバリン、大きなボンボン、ペンライトなどの「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、LPGの犯行に間違い
ないと愚息が申しております。友人の母とて無関係ではありえません。今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


333 :革命的名無しさん:2006/08/02(水) 18:48:02
昔、元臨中派関係者から聞いたんだけど・・・・
臨中派が70年代末期釜ヶ崎で弾圧された後に幾つかの重要な総括をまとめ
公然化した際に、日共系毛派との共闘を試行錯誤した。この時、最も注目した
対象が日共ML派だったそうで彼らの機関紙・誌は全て収集し理論検討をしたそうだ。
臨中派が当時の拠点だった関西でカンボジア支援の大衆運動を開始した際にも
最も配慮したのは日共ML派の当時関西の古参老革命家H同志に対してであった。
こうした経過がありながらも怒涛中央委派が日共ML派に統合される中で臨中派の戦略も
頓挫したのは実に歴史の皮肉だと消息筋は語っていた。

334 :革命的名無しさん:2006/08/02(水) 21:07:13
察するに、このスレの元関係者は69年〜71年頃の、まだマル戦というかブント
の残滓を引きずった先輩組と、70年代後半の分裂前後の後輩組が混在してる気がする。
それは、その中間の70年代前半のことがほとんど出てこないからだ。
かく言う私は74年終わり〜78年始め頃の、言わば遅れてきた参加者でした。
3年ちょっとほどの怒涛生活でした。ほろ苦いビールの味・・・ん〜
今日はちょっと晩酌が過ぎてセンチメンタルになったかなあ・・・

335 :革命的名無しさん:2006/08/02(水) 21:17:43
愛知グループが怒涛分裂後、日本革命党を名乗ったは、ワンダフルと言って
いいんでしょうか?

336 :革命的名無しさん:2006/08/03(木) 04:49:33
ワン ワンダフル

337 :革命的名無しさん:2006/08/03(木) 15:41:22
>>334
334は多分・・・釣りだな。ひっかからねえぞ。もしホントなら、天皇訪米阻止闘争
の時の、爆弾闘争について語ってみれ。

>>335
日本革命党は79年に結成。80年代後半まで存続してました。機関紙は「進路」。
拠点は名古屋。
怒濤の全党地下化なんてものに背を向けたのはワンダフルですが、日本革命党なんて
名称は、「オーマイ ゴッド」でしょう。

338 :革命的名無しさん:2006/08/03(木) 18:09:00
>>337
オマエこそ釣りだな。
第一、B闘争なんて語る椰子なんているとでも?
「全党地下化」は臨中派の方針で、中央委は
反対したんだから「怒濤の全党地下化」なんていうのは
ありえねえよ。

339 :革命的名無しさん:2006/08/03(木) 19:26:18

旦那、お早いお帰りで。それとも毎日が日曜日? いやごめん、からかう気はないから。
ほんで、マル共では、こう言ってるけど。
「分裂の直接的契機は全党地下化路線、副次的には毛沢東思想に対する
温度差では。日本革命党は愛知の人達が名乗りました。只、この人達は
元々独自サークルとしてやっていたのが、サークルごと怒涛派に入り、
集団で抜けて行ったのでBUNDや怒涛の理論的影響は無いでしょう。」

340 :338:2006/08/03(木) 19:50:28

残念!まだ職場ですが何か?
いけねぇ 釣られた!

341 :革命的名無しさん:2006/08/03(木) 20:58:23
>>338
いつまでも残業せずに早く帰りましょう。しかし、昔は学習会で遅くまでやっても
ぜんぜん気にならなかったよな。若かったせいかなあ。酒も飲んだなあ。地区に
よっては酒禁止のとこもあったらしいけど、オイラのとこはオープンだったな。
焼酎やサントリーレッドがなつかしい。

342 :革命的名無しさん:2006/08/03(木) 21:05:27
B闘争を思いついたのはCCですか? それとも反CCの跳ね上がり?

343 :革命的名無しさん:2006/08/03(木) 21:22:26
それについては、Pと同じくだれも言わないよ(W
でも、YとMは別系統で動くわけないと思うけどな、一般的に言ってね。

それと少なくとも私たちの地区では独自の行動部隊を作っていたし、
それへの兵站部門もあったのジャマイカ

344 :革命的名無しさん:2006/08/04(金) 04:12:51
>>342
それじゃ 教えてあげよう あんただよ

345 :革命的名無しさん:2006/08/04(金) 17:58:19

む・・・鋭いな。何故分かった? 
もしかして白石事務所で(^o^)合わせたことあったかな。
それとも、○○荘で・・・ (-_-;)

346 :リベラル派:2006/08/04(金) 18:02:49
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/eco/1154681699/l50

煽り、釣り、コピペ等には大人の対応で…。

質の高い経済の話をお願いします。


347 :革命的名無しさん:2006/08/04(金) 18:53:50
>>343
>独自の行動部隊
それって、Yではなくて共戦時代のRCのことじゃないの?


348 :革命的名無しさん:2006/08/04(金) 22:52:56
Protest Lebanon bombing in Tokyo 22th July 2006
http://www.youtube.com/watch?v=7bOj-a7lxhc&search=israel%20embassy%20japan

349 :革命的名無しさん:2006/08/05(土) 00:07:32
>>347
へーっ!怒濤にもRGがあったんですか?


350 :革命的名無しさん:2006/08/05(土) 00:12:20
へーっ、て、RGは多かれ少なかれどこにもあったんジャマイカ?

351 :革命的名無しさん:2006/08/05(土) 08:57:32
怒涛=RC(エルツエー)=赤い戦闘隊
ブント=RG(エルゲー)=赤い暴力

352 :革命的名無しさん:2006/08/05(土) 12:30:53
302の質問に誰も答えてないが、70年代前半までは形式的とはいえ、中央委員というのは
全国委員会の中から選ばれる仕組みだったはずだが。70年代後半にはもう各地区から
全国委員を出す組織体制は崩壊してたんだなあ。定期大会も開いてたのかどうか。
臨中派が「臨時中央委員会」を名乗ったのも、臨時全国委員会かまたは臨時大会を開催した
(あるいはしよう)としてクーデター的に強行したんだろうか。

353 :革命的名無しさん:2006/08/05(土) 12:53:36
>>352
臨中派に対して少なくない人たちが同情的なのは
天皇訪米阻止に向けた闘争に対するB取弾圧に
機能停止状態に陥った当時の中央委及び弾圧に
さらされている同志達を自己犠牲的に決起し防衛したたのが彼らだからだ。
当時の状況を少しでも知っている者なら、組織弾圧下で大会を
開くなどと言えるものではないし、中央委ですらそんな主張を
していなかった。俺は臨中派の「全党地下化」路線には反発したけど
彼らの行動を決して「クーデター」なんて思っていないよ。

354 :革命的名無しさん:2006/08/06(日) 07:37:33

たとえ「機能停止状態」でも大会で選出された中央委が存在している以上
中央委を強化し全党の同志達と共に弾圧に反撃すべきで、別個に臨中などと
名乗る必要は無かった。これをクーデターと言わずして何と呼べばよいのだろうか。

355 :革命的名無しさん:2006/08/06(日) 19:25:43
>>353
>天皇訪米阻止に向けた闘争に対するB取弾圧に

 この9月始め頃は、たしか中核派が横須賀のアパートで爆弾を誤爆させ、
 3人死亡させたはず。それでよけい弾圧がきつくなったんでは。
 臨中派に対しては354さんのような見解もある。既スレでは「左の日和見主義」
 というのもあったが・・・
 天皇訪米阻止デモに参加したオイラとしては、当時党員でなかったから内情がよく
 わからんし、なんとも言えないな。

356 :革命的名無しさん:2006/08/06(日) 20:51:16
天皇訪米阻止闘争で日学戦=後の立志社と共闘したのも、339のレスにあるように、
毛沢東思想での共通点があったことは間違いない。そして、その「温度差」は分裂の
一要因というのもなんとなくわかる気がする。

357 :革命的名無しさん:2006/08/07(月) 09:12:58
Y同志たちを見捨て、逃亡した一部の指導層に対して、
関西の同志たちが中心となって立ち上がった。
それをクーデタというならば言うが良い。

っていまだから、どっちもどっちといえることなんだが・・・
ま、俺はまだ山田同志を快く(尊敬もしている)思っているが・・・
(元気でいればいいんだけどね。弟君も行方を知らないのか?)


358 :革命的名無しさん:2006/08/07(月) 18:56:24

臨中の中でも山田議長代行を「快く」もましてや「尊敬」などしている者など
一人もいないわW 方針が違うだけで戦線離脱する奴なんか只のカツドーカW
こんないい加減な奴に臨中を任せたのがそもそもの路線破産だと、昔、臨中関係者が
言っていた。

359 :革命的名無しさん:2006/08/07(月) 19:59:06
松井はどうした?

360 :革命的名無しさん:2006/08/07(月) 20:52:46
このスレで臨中議長代行の山田氏に関して、「行方」をしばしば取り上げる
書き込みが目立つが、既に「行方」は確保されている。

361 :革命的名無しさん:2006/08/08(火) 08:55:04
>>358
てか、労共委はみんな破産したのちゃうん?
だれがだれを尊敬しようが、俺には関係ないよ。
なんか、臨中にジェラシー感じてるように傍からみえるけどな(爆

362 :革命的名無しさん:2006/08/08(火) 08:59:06
>>360

そっか、彼の人生だ。彼の考えの下で生を全うしていけることを祈るよ。
R同志も一緒なのかなぁ・・・・であればいいけど(なんて現世にどっぷりつかった言い方だけどな)

363 :革命的名無しさん:2006/08/08(火) 18:08:39
「全党地下化」、「革命戦争」、「毛沢東思想」が労共委で初めて登場したのは
分裂前の綱領作成に向けた論争で関西細胞が出した意見書じゃなかったっけ?
その内容が後に臨中へと継承されたように感じたけど。

364 :革命的名無しさん:2006/08/08(火) 19:29:10
綱領で結集する党を目指し、綱領確立のためにと一所懸命だったもんな。
綱領委員会なんか立ち上げて。そのうち内部理論闘争の様相を呈し、初期の
党内闘争のきっかけとなった。だから、分裂以前に離脱した人もあった。

365 :革命的名無しさん:2006/08/08(火) 20:16:55
>>363>>364
ということは、天皇訪米闘争での爆取弾圧の前に分裂の萌芽が既に生まれていたということですか?
知りませんでした。綱領論争の最中のフォード来日闘争では久しぶりに大衆動員出来ていたのに・・>分裂以前に離脱した人もあった

366 :革命的名無しさん:2006/08/09(水) 19:02:01
>>365
分裂の萌芽については、お見込みのとおり。どの党派でもよくあるパターンですよ。
フォード来日闘争は動員といっても共闘だったろ。あん時はほとんどの党派が空港周辺
というより大森や鎌田周辺の公園で集会、その後デモでマルキに旗竿突入というパター
ンで大量逮捕者が出た。近くの留置所が一杯になり、遠くの方まで送られたのもいたか
ら、救対は大変だったらしい。
空港にはプロ青が侵入し、マル青同が大使館を攻撃したんだっけかな。

367 :革命的名無しさん:2006/08/09(水) 20:21:59
>>366
>分裂の萌芽については、お見込みのとおり

 なんか最近の行政のQ&Aでよく使われる表現だな。アンタ、公務員かそれに
 近い人間だね。ま、いいか。そう深く詮索する気はないから。
 分裂の萌芽で言えば、結成当初の70年代初め頃から、常任委員の間で綱領論争
 とか、大衆運動と党の関係とか、共戦の組織化の行き詰まり総括とか、軍事につ
 いてもブランキズムに陥るなという批判とか諸々内部論争があったわけで、その
 過程で理論的乖離が大きいとして離脱した人も確かにあったわな。

368 :革命的名無しさん:2006/08/09(水) 20:45:02
>>366
>>367

委員会内部でいろいろあっても
フラクー中央を志向したのは成島派だけだったの?

369 :革命的名無しさん:2006/08/09(水) 20:45:32
>>367
>理論的乖離が大きいとして

 違うって。理論的乖離じゃなくて、旧れいめい系の組織観とかをひきずって
 た部分があり、「武装の準備ー革命戦争」や「単一の世界党建設」が旧来の
 路線や組織の上にくっつけただけの「空想的」なものという総括の過程で、
 綱領による結合の党か、それとも党の綱領かという、「ニワトリが先かタマ
 ゴが先か」論争のようになり・・・んーこれ以上言うのは止めよう。
 オレも混乱してきた。でも「ニワトリ・タマゴ」論争は確かにあったんだよ。
 昔は皆ホント、議論が好きだったよね。というかそれ自体が闘争みたいなも
 んだったから。

370 :革命的名無しさん:2006/08/10(木) 09:15:15
つーかさ、最近三里塚闘争を(少しだけ 笑)担っていた人と話をしていたんだが、
三里塚にしろパレスチナにしろ、それが日本地域の革命、世界革命の砦なんて
幻想で、実際の住民の利益と政治闘争をバランスをとるという現実的な解を捨てさった
70年代左翼の悲しさを改めて自認してしまったな。いや議会主義ではないよ<言っとくけど。

てなことを書くと、日和見・脱落派がなにを言ってると思われるが、
住民運動や民族解放闘争が世界革命と直結するなんて本当に思っていた(る)のだろうかね。

例えば、俺が支援している野宿者の運動では、確かに生存権を主張して反排除の原則的な立場を
維持するが、それと同時にその場を撤退することと引き換えにより安全な住環境に移行できる
交渉も必要なんだね。ま、それも中途半端な結果にしか結びつかないことは事実だけども・・・

で三里塚の闘いでは、われわれに兵隊ごっこじゃなく、もっと現実的な「実力」があったら、
トラスト運動で北総台地を人民の森にして、空港を無力化することが出来たのではないかと
いまさらながら思ってしまう。それとても、強制収用されれば同じだとは思うけど、
でも多数の死者を出して、大多数の人民から見捨てられる土壌をつくることもなかった
のではないだろうか?同じようにパレスチナでもね。

資本の抑圧を撥ね退ける闘いは必要だ。
しかし、それは労働者の一致団結した闘いでなければ勝利には結びつかない。

あ、それと兵隊ごっこについて、やっぱり俺たち世代は、プラモで戦闘機や軍艦を
作りながら、コンバットや忍者戦隊月光を楽しんでいた、「軍国少年」の息子・娘だったのだろう。

そんなことを思った8月の祭りだった。
(話した日和見話そのまま書いたので、その相手には俺がだれだかわかってしまったが 藁)


371 :革命的名無しさん:2006/08/10(木) 18:38:57
泣くな 怒濤 革命は近いぞ

372 :革命的名無しさん:2006/08/10(木) 21:03:59
>>370
当時の記憶を辿ってみると、こういうようなことだったはず・・・
大衆闘争については、他党派のような戦術における政治主義や戦闘的経済闘争を
克服し、プロレタリアート解放のための戦闘能力を高めるために指導する。
三里塚については、農民の闘争をプロレタリアート解放闘争を前進せしめる見地
から支援する。
民族解放闘争については、プロレタリア世界革命、世界共産主義社会実現の任務
における連帯と結合を勝ち取るために活動する。
そして、こうした闘争や活動を革命的に(この言葉がやたらと登場するのが新左翼
の特徴でもあるが)再編し、軍事を準備し、武装蜂起へ向けて前進する、という
ようなものだった。(もう何十年も前のことだからよく憶えてないが、こんなよう
な内容だった。)

373 :革命的名無しさん:2006/08/11(金) 09:00:20
いや、その原則は十分理解していたつもりだが・・・
ただね、今考えると軍事っていっても、
Y以外(もか?)はおもちゃみたいなものだった思うよ(W

だからその考え・原則自体が、「兵隊ごっこ」だったんだなと。
ただし、ある場面になれば、常に組織された暴力は必要となると思うけどね。
これが脱落派といわれる所以か?(爆

374 :革命的名無しさん:2006/08/11(金) 19:01:54
たしかに軍事については、ブランキズムを批判していた。だから、赤軍派のことを
「純粋ブランキズム」なんてな表現で揶揄してたよな。でも、後に8・25共闘で
赤軍派(臨総派)と組んだのは、臨総が「右派」だったからかな。
8・25共闘については、なんかよくわからんよね。なんで労共委が組んだのか。
臨総派、解放委(旧ML),烽火、赤色戦線、え〜とL研(後の国際主義派)も
だったかな?

375 :革命的名無しさん:2006/08/11(金) 19:26:08
>>374
 >なんで労共委が組んだのか

 これも分裂に至る過程のあるひとつのステージですよ。それから、既レス
 にもあったように、こうした共闘での毛沢東思想との相互作用が複雑にか
 らみあった関係は、理論闘争ー党派闘争重視の路線にキシミを生じさせて
 いった。

376 :革命的名無しさん:2006/08/11(金) 20:36:44
825集会(桧町公園)の実行委員会に烽火と怒涛が党派として関わっていたって
記憶はないな。その潮流の集会にその後関わったのかは知らないけど、怒涛がKGU
で関わるのは最初からなのかな。
赤軍派都委員会、解放委、L研(反戦共闘)赤色戦線の4派が当初の党派としての
関わりじゃないのかな。
詳しくは斉藤まさしあたりに聞くのがいいか。それとも戸田か。

377 :革命的名無しさん:2006/08/11(金) 20:55:06
8・25の流れで日学戦と怒涛が天皇訪米阻止闘争を共闘したはず。

378 :革命的名無しさん:2006/08/12(土) 03:59:06
1さんの指摘のように(愛知を含むか否かの評価は保留するとして)
怒濤は5分解した。現在、怒濤を名乗る組織、分派は表面的には
存在しないということは、色々フラク活動をやってはみたけど
最終的には個人に解体されたつーことですね。

379 :革命的名無しさん:2006/08/12(土) 13:04:37
そう、その各個人が過去を思い出しつつ、ここで懐かしんだり、振り返って確認したり、
はたまた、あの書き込みはもしかしてアイツかも・・・(-_-;)
てな感じで楽しんでるわけよ。

380 :革命的名無しさん:2006/08/12(土) 14:44:55
71年全国全共闘解体→明治公園 中核、インター、主革
           宮下公園 青解 ブント 構改 
           戦争派  赤軍 RG、革左
宮下派→反荒派、反革共同、反戦争派+ノンセクが8・25共闘に。
因みに>>374の>L研(後の国際主義派)は
勘違いと思われる。国際主義派は未だ当時、荒派に残っていたはず。
L研は後にマル青同ですね。
        

381 :革命的名無しさん:2006/08/12(土) 18:39:36
>>380
そうですね、L研(後の国際主義派)というのは明大のL研のことと混同してますね。
明大L研が国際主義派を名乗ったのは73年頃です。しかし、明大にはブント系を始め、
諸党派が雑居してたのに怒涛はいなかったねえ。

382 :革命的名無しさん:2006/08/12(土) 19:55:32
マル共連情報によれば、臨中派は、東京水産大、関西、静岡、埼玉、沖縄、
神奈川(の一部)ということですが、ホントにこんなにいたの?

383 :革命的名無しさん:2006/08/12(土) 20:24:22
>>1さん、愚息は「市民の視点」で頑張っています。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワーク、LPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったと
か。最近、愚息が何を思ったか、「かあさん、これからの運動は権力と対峙しない市民運動だよ、おいら、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」などといい始めました。先週の日曜日、家の前を
通る小学生の鼓笛隊のパレードを見ながら、「かあさん、見てごらん、焼きソバやおでんの模擬店がないのはちょっと淋しいけど、あ〜いうのを新しい運動スタイルというんだよ、そうすれば大きな世論ができて、やが
ては政治を変えることができるんだよ、イラク攻撃から一年目の夏、”夕涼みがてら、ゆかた姿で宮下公園にお集まり下さい"という呼びかけには感動した!」といって張り切っています。もう、家の中は笛、赤ちゃん用の
ラッパ、タンバリン、大きなボンボン、ペンライトなどの「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、LPGの犯行に間違いないと愚息が申しております。
友人の母とて無関係ではありえません。今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


384 :革命的名無しさん:2006/08/13(日) 00:18:03
>>381
仰せの通り明治にはいませんでした。何せBUNDの牙城ですので。
>>382
当時の中央委の足場は都委員会しかなかったです。
それも後には中央委ー都委員会は日共MLを巡って分裂しました。
都委員会以外は、YやP支も含めて臨中に行くか中間派または脱落。


385 :革命的名無しさん:2006/08/13(日) 09:09:05
>>384
ということは、中央委(大半は都委員会メンバー)は少数派で、臨中が多数派だった
んですね。

386 :革命的名無しさん:2006/08/13(日) 09:41:30
>>382

つーか、各一人かせいぜい二人がいいとこだろうよ。
つーことは根こそぎ集めても10人+αが精一杯W

387 :革命的名無しさん:2006/08/13(日) 16:49:14
>>365
フォード来日阻止闘争か、なつかしいなあ。オレは狸穴公園で参加した。
その後、田中ーフォード会談粉砕ということで三河台公園でも。

388 :革命的名無しさん:2006/08/13(日) 22:45:40
>>387
狸穴公園?日学戦?事情に疎いので須磨疎

389 :革命的名無しさん:2006/08/14(月) 00:57:44
マミアナ公園と読む(六本木・麻布)。昔は六本木駅から歩いていったが
今では麻布十番ができたから便利になった。初めて行った時、こんな小さな
公園で集会やるのとおもったが、数十人の集会には丁度良いかも。
日学戦は8・25にあつまった赤ヘルの学生たちによって結成された。中心
人物の斉藤まさしが荒袋介のインタビューに語っているから(「破天荒な人々」)
読んでみたら、

390 :革命的名無しさん:2006/08/14(月) 01:02:56
>>389
斎藤まさし本人はノンセクと言い張っていたね。
あの本では、青砥とかの方がおもしろかったね。
青砥は出獄してから、全然登場してこなかったからね。

391 :革命的名無しさん:2006/08/14(月) 10:54:30
それは(「破天荒な人々」) 読んでないけど、斉藤はML同盟出身だろ。
って、「がんばれ日本」の戸田と同じか。
そういえば立志社と「がんばれ・・」は似ているな。

392 :革命的名無しさん:2006/08/14(月) 18:42:12
>>389
狸穴公園てのはあまり知られてないね。フォード来日阻止闘争の時であれば、
反帝戦線系?


393 :革命的名無しさん:2006/08/14(月) 19:24:54
>>391
立志社の機関紙「アカハタ」創刊号を法大の友人にもらったが、もう手元に
無い。今もってたら希少価値あるだろうに。
>>392
叛旗だよ。叛旗派最後の街頭闘争と言ってよい。以後、叛旗派は党内論争が
始まり、そして指導者三上離脱と続く。

394 :革命的名無しさん:2006/08/14(月) 20:31:57
反帝戦線はブントの大衆組織だったが、各派は分裂してもそれぞれの
自己系列の反帝戦線を名乗っていた。
それに対して怒涛はブントと訣別する意味で共戦を組織した、と思う。


395 :革命的名無しさん:2006/08/14(月) 21:35:57
さて明日は、亡き怒濤派の墓参りでもするか。


396 :革命的名無しさん:2006/08/15(火) 00:43:02
「アカハタ」は狭山一審判決糾弾集会でもらった記憶がある。あれは代々木公園
だったでしょうか。
ポルポト支持のとんでもない党派だなあという印象。
あの人上智なの?

397 :革命的名無しさん:2006/08/15(火) 04:58:38
狭山一審判決糾弾集会で斉藤まさしは傘で私服ポリを殴りかかってパクられた。

398 :革命的名無しさん:2006/08/15(火) 06:14:29
>>396
斎藤は上智ですね。
最近は喜納昌吉の選対を実質、仕切っていたような。

399 :革命的名無しさん:2006/08/15(火) 09:43:37
んで、その斉藤まさしというボーヤは怒涛派や労共党の関係者なの?

400 :革命的名無しさん:2006/08/15(火) 12:33:51
>>399
関係はなし。ただ、斉藤まさし率いる日学戦は怒涛と共闘している。
共通点は毛沢東思想? 日学戦ー立志社の学習テキストは、毛沢東
の「実践論」と「矛盾論」だった。オレも東方書店刊を買わされた。 

401 :革命的名無しさん:2006/08/15(火) 13:46:19
齋藤は田英夫の娘婿。J戦の後MPDで宇都宮徳馬を担いだりしてた。
堂本の選対もやってたはず。市民派選挙請負人と言ったところか。
ベースの毛沢東思想はどうしたのかな。J戦の合宿でたくあんを
食い過ぎて腹痛を起こしたのが笑えた。とにかく弁は立つ男だった。


402 :革命的名無しさん:2006/08/15(火) 16:16:31
荒さんも一時期斉藤まさしさんを評価していました。

403 :革命的名無しさん:2006/08/15(火) 17:03:30
>>391
そういえば立志社と「がんばれ・・」は似ているな。

たしかJ戦もマル青同の結成大会に出てるはず。
その後の足どり(右旋回・保守政治への接近)も共通している点が多い。
まあ、ひいき目に見れば斉藤の方が市民志向が強いというぐらいか。
しかし、斉藤の主催する「市民の党」も結局のところ、政治過程の
表舞台に出るためのアイテムなんだろうな。確かに昔から政治志向の
強い連中ではあった。

404 :革命的名無しさん:2006/08/15(火) 21:43:20
そうそう、マル青同=戸田・穂積殺人鬼一派が結成後に実権を握るために党内
粛清を行なった。
目撃者情報としては、明大キャンパス内で文革の飛行機とかいう両腕を締め上げて
つるし上げるリンチを旧L研の幹部に対して行なったとか、斉藤たちのグループ
を地下鉄内で追い掛け回した、とかいう話があった。
その後、岡大での殺人事件が発生した。

405 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 09:47:51
結成直後のマル青同がフォード来日阻止闘争で、アメリカ大使館とソ連大使館に
火炎瓶を投げたけど、その内の一人が京大L研からマル青同に行ったやつ。
出獄してしばらく消耗していたが、その後、某集会で立志社の隊列にいるのを見たな。

406 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 19:07:42
こんなの読んだら成忠さんなげくだろうな・・・
オレは酔っ払いのナルさんが大好きだ!
長生きしてくれ〜!又、行くから・・・

407 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 20:00:16
成忠かぁ、懐かしいなあ〜
俺の世代では怒濤といえば、吉川(北田)、石田、成忠だもんね。


408 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 20:30:46
>>407
オレなんか吉川(北田 肇)の論文読んで、なんか内容はよくわからんが
気持ちだけは高揚した覚えはある。その中で、反軍と叛軍の違いを解説
したのがあって、叛軍という表現にこだわってこそ労共委の思想性があ
る、というような論文があったのを記憶してる。
まあ、吉川、成忠らはイデオローグでもアジテーターとしても、かなり
の人物だったと思うよ。
成忠氏はそれを、不動産業や行政書士として生かしてるんだってね。
いやー、衷心から拍手を送りたい。

409 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 20:46:56
怒濤の新中央委と臨中の分裂は、マル戦多数派の分裂なんだよね。
旧中央委 石田
新中央委 吉川
臨中   成島
なんとかならなかったのかな。今更言っても仕方ないけどね。

410 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 20:47:25
吉川(北田 肇)さんはなかなかの理論家だったと思う。赤軍派の塩見氏に
対して、「総括がなされていない。ミイラとりがミイラになった」と批判
してた。

411 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 21:07:29
>>408
>反軍と叛軍の違いを・・・
 党の武装との関係で、小西決起を契機とした軍隊に対する闘争も反軍(中核派や
 ブントの諸派にもこの表現があった)は大衆運動主義へと解消してしまうもので
 あり、叛軍の思想性云々・・・といったようなことだと記憶してるが、もう今は
 あいまい。

>>410
塩見氏の総括の仕方や、氏の言う「プロレタリア革命主義」の内容について「未だ
 克服されざる観念論」と、厳しい批判だったね。  

412 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 21:33:02
理論といえば東大出身の石田寿一だろ。
今どうしているんだろ。元気ならいいけど。

413 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 21:43:12
電脳ブント http://www.bund.ne.jp/
の3.27三上治出版パーティに成忠さんの写真があるよ

414 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 22:01:43
○中山(正)委員 
共産主義者同盟赤軍派と申します共産同系と、
それから労働者共産主義委員会、怒濤派、
これはマル戦系でございます。
それから青年共産同盟、前衛派、これもマル戦系・・・


415 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 22:04:53

ソースは衆議院会議録情報 第068回国会 地方行政委員会 第2号
第2号 昭和47年3月2日. 第068回国会 地方行政委員会 第2号. 昭和四十七年三月二日(木曜日)


416 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 22:14:46
どうして臨中派の拠点が関西だったのか今でもわからん。
関西でも拠点は釜ヶ崎だけだったのですか?

417 :革命的名無しさん:2006/08/16(水) 22:15:58
>>416
関西大にいたべ。

418 :革命的名無しさん:2006/08/17(木) 18:42:14
>>416
先ず、70年代中頃は全金や全港湾など南大阪労働運動が大きく前進していて、
ここに橋頭堡を構築しようとしたこと。第2に東京の労働運動は各党派の伝統
があって新たに参入するのが難しかったこと。第3に全党地下化ー非合法党を
建設する上で面が割れていない関西の方が活動が容易だったこと。実際、釜ヶ崎
で小規模な暴動を組織して逮捕者がでるまで考案は実態を把握できていなかった。
釜以外の拠点は黙秘。

419 :革命的名無しさん:2006/08/17(木) 19:20:39
>>418
臨中の議長代行が関西の山田はんだったからその流れで、という説も
関連してるんですかね?

420 :革命的名無しさん:2006/08/17(木) 20:34:44

そういう田舎サークル根性の親分を観念的に肥大化させたのが
山田議長代行でっせ。あんた、本人に会うたらびっくりしまっせ。ほんまに。
こんなスターリニスト、まだこの世におったんかいな、てな議長代行ですわ。


421 :革命的名無しさん:2006/08/17(木) 20:39:48
>>420
あはは、ほんまかいなあ。じゃあ、労共党へ行った多木さんの方がまだまし?

422 :革命的名無しさん:2006/08/17(木) 20:49:37
吉川さんはどうしたんですか。日共MLへいったんですか?
確かな記憶じゃないいですが、佐藤訪米阻止闘争のときにアジ
演説聞いたような記憶があるんですけど。
共戦の隊列で。

423 :革命的名無しさん:2006/08/17(木) 21:11:33
その山田ナントカとかヌカスヴォケがトンズラした後
歯を食いしばりWCC臨中を守った仲間のことなんか山田は知らんわな。
>>421
そりゃ、あんた多木同志などと比べようがないわな。

424 :革命的名無しさん:2006/08/18(金) 18:29:51
臨中クズレがよく泣くわなW

425 :革命的名無しさん:2006/08/18(金) 19:33:05
>>420
>こんなスターリニスト、まだこの世におったんかいな、てな議長代行ですわ。

 でも議長代行に就任したということは、それを推す人や容認する人達がいたと
 いうことですよね。とんでもスターリニストの方がさらなる組織分裂に歯止め
 をかけ、組織防衛上からもバランスをとりやすかった、との計算があった?
しかし、現実はその逆方向へと進んでしまった・・・?

426 :革命的名無しさん:2006/08/18(金) 21:04:41
>>425
420じゃないのでレスになるか解らないけど、今思い出したのは
成忠さんが分裂を極力回避していたこと。
山田議長代行のキャラクターに責任を負わせるのは慎まなければならないけど
彼の場合、フラク→中央形成には充分能力を発揮できたが、多数派形成の段階に
なるとボロボロだった。彼の路線の狭さが暴露され飛躍の弊害になってしまったわけだ。
それに気づいた成忠さんは臨中の後半、路線の狭さを克服するため人事の面で様々な補強を
したけど時は既に遅かった。






427 :革命的名無しさん:2006/08/18(金) 22:09:28
中央派と臨中派が分裂した以降、臨中派にとって少なくとも
3度WCC再統一のチャンスがあった。
第一は、77年大阪を中心にした爆取弾圧の最中、中央委派の救対を
担当していた××さんが臨中派を訪ねてきた。××さんとはマル戦時代
からの古参党員。当時、これに臨中側で対応したのが○○氏で突っ張るだけが
生甲斐の方。うまくいくわけがない。で、中央派と臨中派の協議はあえなく頓挫。
第二は、当時、獄中にいた成忠さんは、上記の事態の報告を受け、直ちに論文を
書き上げた。これは後に「釜ヶ崎は燃えている」というパンフに収録され刊行された。
この論文の趣旨は、毛沢東思想と「三つの世界論」、「四つの基本矛盾」ををテーマに
したもので、論争対象は中央派であった。
第三は、カンボジア支援の大衆運動。ここで、当時既に日共MLに統合された中央派との
共闘を実現するのが旧臨中派の戦略的課題であった。この時、旧臨中では毛派政治への
対応を巡って多少の論争が生まれていたので(中央委派同様に)、成忠さんを中心に毛派への
工作活動が秘密裏に進んでいた。それは実際に、成忠さんの秘密指導(他の旧臨中に対しての
秘密という意味で)によりブント毛派と日共毛派、社会党毛派の再編ー統一を戦略的目標に
動く工作者委員会を形成させた。この事実を掌握しているのは臨中でも数人だけだ。
この成忠さんの動きを「陰謀政治」と呼ぶ者がいるかもしれない。だが、ここで言いたいのは
成忠さんは、誤解を恐れず言うならば「臨中」に投機的に結集した者達とは別個に再編ー統合に
向けた戦略を志向していたことだ。
これは、昔、成忠さんの「秘密指導」により某毛派に加入戦術した方から聞いたことなので事実の真意は不明なことをお断りしておく。

428 :革命的名無しさん:2006/08/19(土) 10:37:27

おお、すごく詳しい内部事情ですね。「聞いたことなので」とおっしゃるが、当事者
かまたはそれにごく近い関係者と推察いたしますが。このスレ(過去スレも含めて)
も、通りすがりの方のカキコ以外は、基本的にはあなたと元都委関係者、そして労革派
(準)から労共委結成時の事情を知る方の3名で維持(?)されてきているように思い
ます。趣味者の私としては、大変興味深い内容に溢れていると考えますので、ぜひこの
調子で当時の内部事情を展開していただければ幸いです。(感謝)

429 :革命的名無しさん:2006/08/19(土) 21:12:24
>>427
その「某毛派に加入戦術」というのは、日共左派ですかそれとも労働党?
それと、赤軍派との統合も、というよな既レスがありましたが、八木さん
のグループということでしょうか。
あと、面白かったのは「『臨中』に投機的に結集した者達」という表現。
当時の閉塞状況打開のためには、エイヤーってのも理解できますが、んー
ま、これ以上のコメントは控えましょう。

430 :革命的名無しさん:2006/08/26(土) 13:46:22
>>1さん、愚息は「市民の視点」で頑張っています。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワーク、LPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったと
か。この黒目という方は、「大阪の恥さらし!どアフォ!」といわれ、近所の子どもたちに、淀川に投げ込まれること、数えきれないそうです。毎日のように電話をよこして、「まっぺんさんよ〜、馬鹿はかぜをひかな
いというけど、あれ嘘だぜ、おれ、昨日、川に投げ込まれてかぜをひいてしまった、LPGはいつも「おいら馬鹿だから絶対にかぜひかない!」と自慢しているけど注意した方がいいぞといっておいた、まっぺんさんも
気をつけてな」と注意を促してくれたそうです。最近、愚息が何を思ったか、「かあさん、これからの運動の主役は権力と対峙しない市民運動だよね、僕、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」
などといい始めました。「子どもさん連れのために金魚すくいやウルトラマンショーも必要だ〜い」といって張り切っています。もう、家の中は笛、赤ちゃん用のラッパ、タンバリン、大きなボンボン、ペンライトなどの
「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、LPGの犯行に間違いないと愚息が申しております。友人の母とて無関係ではありえません。
今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


431 :革命的名無しさん:2006/08/26(土) 20:57:31
東アシア反日武装戦線に怒涛メンバーがいたという話が流れたことがあるが、
ホント? 爆弾がらみ? 公安の釣りねたかな。

432 :革命的名無しさん:2006/08/26(土) 21:56:05
>>431
UとKだろ?現役じゃなく、元がつく。
それいうなら、もう一人のKは、元中核だが、
反日に中核メンバーがいたなんていわないだろ?
しかし、よく考えれば、「さそり」は、元何とかばっかだな。

433 :革命的名無しさん:2006/08/27(日) 08:47:59
考案ネタはかなり飛び交っていますた。つちぐもとかぐりことか・・・
なんでも結びつけて持ってこうするやらしさを感じましたね。<当時

434 :革命的名無しさん:2006/08/27(日) 19:37:39
>>432
二人(UとK)は、「さそり」となる前は山谷や釜で活動してたんだよね。てことは、その頃
は怒涛だった?

435 :革命的名無しさん:2006/08/27(日) 20:56:33
>>434
もうUさんらは刑を終えて一般市民生活送ってるんですから、あまり
詮索しないようにしましょうよ。

436 :革命的名無しさん:2006/08/27(日) 23:03:10
土蜘蛛の往き来も夢や花の家 

437 :革命的名無しさん:2006/08/27(日) 23:07:17
さそり座の尾の刺さりたる芒山

438 :革命的名無しさん:2006/08/27(日) 23:10:14
狼のごとく消えにし昔かな

439 :革命的名無しさん:2006/08/27(日) 23:18:43
天の川怒濤のごとし人の死へ

440 :革命的名無しさん:2006/08/30(水) 20:15:42
無名にて死なば
 星らにまぎれんか
  輝く空の生贄として

  (寺山修司)
 


441 :革命的名無しさん:2006/09/07(木) 20:26:13
労働者共産主義委員会を再建する方法をみんなで考えてみよう。

442 :革命的名無しさん:2006/09/08(金) 08:26:24
誰も思わねーよ(W <漏れもメンバーだったけどね

443 :革命的名無しさん:2006/09/13(水) 18:41:54
怒濤派は東アジア反日武装戦線や日本赤軍と関係あったんですね

444 :革命的名無しさん:2006/09/13(水) 20:02:07
またこのスレをageたんか。
もういいよ。>>440のように無名にて死ねばいい。
そもそも怒濤派じゃなく、労働者共産主義委員会と言って欲しい。


445 :革命的名無しさん:2006/09/13(水) 20:15:21
>>444
そんなあなたのためのスレです

446 :革命的名無しさん:2006/09/14(木) 23:25:27
>>443

はい、関係ありましたが何か?

447 :革命的名無しさん:2006/09/14(木) 23:56:13
革命っていう言葉は死語です

448 :革命的名無しさん:2006/09/15(金) 19:05:46
怒濤っていう言葉は死語です

449 :革命的名無しさん:2006/09/15(金) 21:02:14
怒濤っていう言葉は亡くなっても、一応、労共党にその命脈は息づいてるよ。
まあ、臨中派からすれば、なにおーということになるかもしれんが。

450 :革命的名無しさん:2006/10/01(日) 02:29:10
怒涛の皆さんを討論を楽しむ趣味者の書き込みがあってからなにやら話しがとだえたようで残念です。
きにせずにガンガン回想を語りましょうよ。
私もかつての怒涛紙の読者としてここがおもしろかったので。

451 :革命的名無しさん:2006/10/01(日) 18:14:48
>>450
怒濤のネタも切れたのかなあ。


452 :革命的名無しさん:2006/10/01(日) 20:11:42
元全学連活動家達が6.15に集会、デモをやったけど
この賛同人に石田寿一氏と成島忠夫氏が名前を連ねていたね。
石田氏といえば分裂する前の最後の中央委議長、成島氏は
ご承知のように臨中を立ち上げた方で感慨深い。
そういえばお二方はマル戦の学対でしたね。


453 :革命的名無しさん:2006/10/01(日) 20:25:05
>>451
ああ、過去スレだが労共党スレや関東学院スレで語り尽くしたよ。オレが
推測するに、怒涛関係者は4〜5人で書き込んでたかな、という感じ。
中央委派寄りのものもあればや臨中寄りも。少数派セクトだから、詳しく
書くと人物特定されるんで、あいまいさを加えて。オレもその一人だが。

454 :革命的名無しさん:2006/10/01(日) 20:49:13
おい、おい、人物特定されるのがそんなに恐いのかい。
俺らはB鳥にも抗してやってきたんじゃないの。
俺なんかここではとっくの前に特定されているよ。
だからどうしたの?

455 :革命的名無しさん:2006/10/01(日) 21:48:57
454は臨中で決まあ〜り〜

456 :革命的名無しさん:2006/10/02(月) 04:49:41

そんなあなたのための板です

457 :革命的名無しさん:2006/10/02(月) 22:56:23
久しぶりに上がったんだから みんな書き込めよ

458 :革命的名無しさん:2006/10/03(火) 20:18:54
今でも、成さんの手の平は、ごつくて逞しいぞ〜
酒飲ましたら、ただの爺なんだが、それが半ば転向した爺より遥かにましで、
今でも、「戦争!」って叫んでいます。

459 :革命的名無しさん:2006/10/08(日) 10:25:45
関東学院スレで「機関紙・怒涛」のことを誰かが書き込んでいたが、
実は俺の家にも「怒涛」が束になって保存してある。

俺の親父の部屋の物置に、60年代後半から70年はじめの頃の過激
派(ここではこんな表現はボツかな?)機関紙が保存してあるのを発
見した。親父は今、中国に長期単身赴任中だが、若い頃は結構過激派
活動をやっていたらしい。

460 :革命的名無しさん:2006/10/08(日) 10:39:31
私には、彼氏がいます。彼とわたしは、デートの時、どちらかの家に行き、だれもいないとき
、部屋で横になって裸でだきあいます。それがだんだんエスカレートしていって、学校の体育倉庫で
服をぬがされ、まだ3年生ですが学年で1番大きいおっぱいを、つかむように触られたり、しゃぶった
りされます。最初は、苦手だったんだけどだんだん気持ちよくなりサイコーです。しかも、わたしは
、学年1美人でもてます。彼も同じで、美男美女でよくみんなにうらやましく、思われます。
: : このカキコ見たあなたは4日後に不幸がおとづれ44日後に死にます。それがイヤならコレをコピ
ペして5ケ所にカキコして下さい。私の友達はこれを信じず4日後に親が死にました。44日後友達は
行方不明・・・・。いまだに手がかりもなく私はこのコピペを5ケ所に貼り付けました。すると7日後
に彼氏ができ10日後に大嫌いな人が事故で入院しました。
: :     信じる信じないは勝ってです

461 :革命的名無しさん:2006/10/08(日) 10:40:33
私には、彼氏がいます。彼とわたしは、デートの時、どちらかの家に行き、だれもいないとき
、部屋で横になって裸でだきあいます。それがだんだんエスカレートしていって、学校の体育倉庫で
服をぬがされ、まだ3年生ですが学年で1番大きいおっぱいを、つかむように触られたり、しゃぶった
りされます。最初は、苦手だったんだけどだんだん気持ちよくなりサイコーです。しかも、わたしは
、学年1美人でもてます。彼も同じで、美男美女でよくみんなにうらやましく、思われます。
: : このカキコ見たあなたは4日後に不幸がおとづれ44日後に死にます。それがイヤならコレをコピ
ペして5ケ所にカキコして下さい。私の友達はこれを信じず4日後に親が死にました。44日後友達は
行方不明・・・・。いまだに手がかりもなく私はこのコピペを5ケ所に貼り付けました。すると7日後
に彼氏ができ10日後に大嫌いな人が事故で入院しました。
: :     信じる信じないは勝ってです

462 :革命的名無しさん:2006/10/08(日) 20:50:47
>>459
それは貴重な歴史的資料ですので大切にしてください。私も72年頃から75年まで
頃のを持ってましたが、結局ゴミとして処分してしまいました。その当時は、活動か
ら訣別する意味で完全にきれいにしてしまいたかったんですが、今は惜しいことした
なあという気持ちでいます。

463 :革命的名無しさん:2006/10/08(日) 20:55:25
おー!
久しぶりに臨中がトップにいる。
ちょっと嬉しいです。

464 :革命的名無しさん:2006/10/08(日) 22:44:01
私は、関東学院の中核にいた友人の兄から大量の68年ごろからの機関紙を頂戴し
その後私自身が求めたものものも含め75年くらいまで、赤軍(紙)、戦旗(何派に
分かれても)怒涛、赤報、などなど多数あり、今思い起こせば惜しいことをしたと
悔やんでおります。たぶん462さんと同じ心境だったかも知れませんし、何回かの
引越しの中で散逸していまったようです。
お父様はずっとお持ちだったのですね。
今、私の手元にあるのは査証のTさんが編集された赤軍ドキュメントただ一冊だけ
です。このプロ革に依拠した唾棄すべきものとして、当時買わなかったものだけが
なぜか実家に置き放しにしていたためか今でも手元にあります。

465 :革命的名無しさん:2006/10/09(月) 18:09:31
分裂後に発行された「怒涛」紙は臨中派のと中央委派のと2種類あるらしいが、
両方持ってればまさに歴史的資料だが。誰か持ってないんか。

466 :革命的名無しさん:2006/10/09(月) 19:13:30
>>464
関東学院に中核派っていたんですか?それとも、怒涛派の中核(中枢)に
いたって事ですか?

467 :革命的名無しさん:2006/10/10(火) 18:36:27
マイナー党派が群居してたのが、関東学院、東洋、明治、明治学院
黒ヘル(アナキスト)が一定勢力保持してたのが法政
関西は知らねえ。

468 :革命的名無しさん:2006/10/10(火) 21:57:17
>>465
どうして臨中が「怒濤」誌を発行したのをご存知なのでしょうか。
極少数発行され全て手渡しで勿論一般には販売されていません。
確か、神奈川県委員会が分裂して臨中に合流する前のことです。
私などB取弾圧の最中でシンパに買ってもらう時には緊張しながら
喫茶店のテーブルの下から渡した覚えがあります。
スローガンは「帝国主義打倒!社会帝国主義打倒!の旗の下
マルクス・レーニン主義・毛沢東思想で武装した非合法・地下党を建設せよ!」
だったと記憶しています。内容は「東アジア反日武装戦線への態度」、「
「世界党組織の現状」、「坂東国男同志の『日本における労働者階級の状態』批判」
「第3世界論と世界革命」、「赤軍(プロ革)への態度」、「日本革命戦争の戦略と戦術」・・・。
2号まで発行されましたが分裂が表面化する中で停止されました。
その停止を決定した直後、どうしてか臨中の名の下に発行された」「怒濤」誌が存在
したこと事実を「極秘」とする指示があって現在まで公にされていません。



469 :革命的名無しさん:2006/10/11(水) 13:53:58
10・21国際反戦デー
銀座−日比谷公園デモ
http://www.jca.apc.org/kyujokaikensoshi/index-2.html

-呼びかけ人-
青山 到/旭凡太郎/足立正生/生田あい/井形和正/井汲多可史/池田宏/
石原朱美/ 泉 康子/岩田吾郎/江田忠雄/江藤正修/大賀達雄/大下敦史/
奥田直美/小川 登/ 川島 宏/宮信郎/木下道彦/木村愛二/藏田計成/
栗山一夫/黒田 憲/黒羽純久/ 今野宏子/最首悟/佐藤秋雄/佐藤浩一/
佐藤 保/佐藤路世/佐野 剛/沢田兪之介/ 塩川喜信/塩見孝也/
司波 寛/下山公子/下山 保/新開純也/杉本健太郎/鈴木達夫/ 鈴木迪夫/
春原豊司/篠原浩一郎/鈴木顕介/攝津 正/瀬戸栄三/高木郁子/高幣真公/
多田康男/戸崎真太郎/仲尾 宏/中村幸安/成島忠夫/成島道官/西村卓司/
林 幹郎/ 葉山岳夫/樋口篤三/平井和子/平井吉夫/平坂春雄/渕上太郎/
星宮昭生/前田知克/ 正清太一/松平直彦/三上 治/望月 彰/安田峻司/
柳田 真/山田恭暉/松原利光/ 山中 明/山中幸男/由井 格/吉川 駿/
吉本昇/米田隆介 (9/30現在)


470 :革命的名無しさん:2006/10/11(水) 20:39:58
>>468
いやいや、「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)」と言うじゃありませんか。同志諸君!

471 :革命的名無しさん:2006/10/12(木) 19:48:36
1週間ほど前からこのスレ呼んでる。労働者共産主義委員会も過去(歴史)のものとなったことを改めて実感した。
No50の何とか区役所の人、君がだれかは解る。「臨中」系はこのスレでだいたい解ったでしょう。その他都委員会系、労働新報系は君は知ろうと少し労力をすぐに知ることが出来ます。まさかここに消息をいくまいで。
No110の救援の人、多木の「奥さん」件。多木とは別れてM氏(中央のMじゃないぞ)と一緒になって東京以外で暮らしている。これの解るはず。
実はこんな話をしたくてこのスレに参加したのではない。多木の件だ。多木はアホだが憎めないヤツ。ヤツのために言う。多木は断じて若杉ではない。多木の中身で「安庫」にいくはずがない。
おれの知る若杉は当時、かなりローカルな場所にいたので知られていない。話したことがあるが、かなり毛派的たった。「臨中」成忠、鬼の目こぼしかな。

472 :革命的名無しさん:2006/10/12(木) 20:16:51
>>1さん、愚息は怒涛派をやめました。

私、「共産党の単独政権、もうすぐだね、おかあさん」が口ぐせの反戦ネットワーク、LPGの友人、HN、「まっぺん」の母、「かめ」でございます。「たまさん」のお話では、LPGというお子さんは、愚息、「まっぺん」同様、
子供の頃は、「おいら、頭の悪さと給食の早食いは誰にも負けない!」と自慢するとても自覚にあふれた素直な子供だったのに、いつの頃からか大阪の「黒目」という方の影響を受け、ますますひどくなってしまったと
か。最近、愚息が何を思ったか、「かあさん、これからの運動は権力と対峙しない市民運動だよ、おいら、高田健さんのお弟子さんになって”平和を表現”するんだ〜」などといい始めました。先週の日曜日、家の前を
通る小学生の鼓笛隊のパレードを見ながら、「かあさん、見てごらん、焼きソバやおでんの模擬店がないのはちょっと淋しいけど、あ〜いうのを新しい運動スタイルというんだよ、そうすれば大きな世論ができて、やが
ては政治を変えることができるんだよ、おいら”9・26 院内集会”に行って”市民の声”を国会に届けて来ちゃった、これが”市民はいかに議会に働きかけるべきか”の実践だよね〜、”議会制民主主義への幻想を
ふりまくな"などと批判する人を、おいら許さない!、"共産主義者による建党協議会"の高田健さんが、いつから”chanceの人”になったのかわかんないけど、おいらも頑張る!」といって張り切っています。もう、
家の中は笛、赤ちゃん用のラッパ、タンバリン、大きなボンボン、ペンライトなどの「鳴り物、光り物グッズ」で足の踏み場もありません。下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、LPGの犯行に間違いないと
愚息が申しております。友人の母とて無関係ではありえません。今までの大罪をお許し下さいませ。深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/


473 :革命的名無しさん:2006/10/12(木) 21:02:05
>>471
かつての同志(?)よ。だいぶ晩酌の酔いが回ってるようで。ところで、
「多木はアホ」とは失礼な。あれほど頑張ってた人はないずら。

474 :革命的名無しさん:2006/10/12(木) 21:18:58
だから「憎めない」といったろ。「安庫」と一緒にしちゃ気の毒だから書いたんだ。

475 :革命的名無しさん:2006/10/12(木) 21:51:39
>>473
多木が頑張っていた?!  ふふふっ
奴が書いた実名入り報告書がガサられて弾圧喰らったのを忘れたのかい?
それとも知らないのかい?

476 :革命的名無しさん:2006/10/13(金) 01:38:33
マル学同中核派のことです。70年頃にはいらしたのでしょう。
別の党派のKGUの著名な方に当時確認したらご存知でした。


477 :革命的名無しさん:2006/10/13(金) 20:46:15
>>475
誰だってミスるというか、警戒心希薄な部分もあるよ。多木さんの性格がおおらか
だったということさ。それは当時の労共委の組織的欠陥(未熟)な部分でもあるわけだぎゃ。
おみゃーさん、そんな責めるなよ。

478 :革命的名無しさん:2006/10/14(土) 19:57:04
>>471
多木=若杉は規定路線ですが。

479 :革命的名無しさん:2006/10/14(土) 20:25:19
信じられませんが、事実なら大変残念です。余計な書き込みをして、しらけさしたようで。
もう書き込みはしません。さようなら。

480 :革命的名無しさん:2006/10/15(日) 17:51:18
安庫爺にうまく丸め込まれたもの、爺が亡くなってからは路線がかなり修正され、
結果オーライと思えばいいさ。

481 :革命的名無しさん:2006/10/15(日) 21:45:27
>>469
吉川駿、成島忠夫、成島道官かよ。すごいメンバーだな。マル戦古参揃い踏みだよ。
同窓会といえばそれまでだけど楽しそうだな。
俺も10.21に行って同窓会に混ぜてもらおうかな。


482 :革命的名無しさん:2006/10/16(月) 09:50:58
おらもいくっぺよ。>同志、現場で逢おう。ってだれもわかんないだろうけどね。


483 :革命的名無しさん:2006/10/16(月) 18:37:56
>>481
6.15の賛同人には石田寿一氏が入っていたけど10.21には無いな。

484 :革命的名無しさん:2006/10/16(月) 19:42:10
>>479
労共委出身で今は労共党にいるTという人の発言内容がネットに載っているから、
T=多木=若杉説となったようだが、デマだよ。労共党関係者の話では、若杉氏は
Sという名だそうだ。ただし、かつての組織名か本名かははっきりしないとのこと。

485 :革命的名無しさん:2006/10/17(火) 18:19:51
俺は若杉=多木じゃないと思うな。多木は大衆集会でワーワーアジルだけが
取得の奴で、機関紙編集なんか出来るとは思えん。
むしろ怒濤の編集を担当していた線から追った方が若杉に当たるのでは?

486 :革命的名無しさん:2006/10/17(火) 20:26:20
>>485
怒濤の編集ねえ・・・白石ビルに出入りしてた連中から洗い出すか。

487 :革命的名無しさん:2006/10/18(水) 18:46:51
たまに多木に関するネタが登場するけど、当時の関係者、元活動家にとって
多木が今何をしていようが、ましてやその若杉という者と同一なんて何の関心無いだろう。
多木は分裂当時色々動いていたけど何の影響も無かった。

488 :革命的名無しさん:2006/10/19(木) 20:52:14
怒涛から日共MLへ行ったときはかなりのメンバーがいたが、日共MLが赫旗派と
統合する前後には離脱者もあり、現在の労共党にいる元怒涛はT氏以外はほとんど
いません。

489 :革命的名無しさん:2006/10/20(金) 22:06:31
>>488
吉川氏も社長になられたご様子ですしね。

490 :革命的名無しさん:2006/10/21(土) 04:20:38
■2006年8月26日 東京会文化会館
「9条改憲阻止!8.2論集会」 (7分00
主催:9条改憲阻止の 会
9条改憲阻止闘争は、 勝てる闘いである。
9条改悪阻止を掲げ、 60年安保世代を中心200名が参加した「6.15樺美智子追善国会デモ」に続き、
その第二波ての「国際反戦デー10 .21行動」へ向けて討論 集会が行われた。
約50名が参加し、現在の改憲情勢の分析、既成の憲法 論の問題点、改憲阻止 へ向けた運動論の模索 、
そして、立場の違いを越えた世な再結集への意味までを含めて、多視点から幅広い問題提起、議論、
意見表明がなされた。

小川登さん(9条改憲 阻止の会・代表世話人 )、江田忠雄さん(9条改憲阻止 の会・世話人)、
河内謙策さん(平和への結 集をめざす市民の風) 、三上治さん、木村愛 二さん、
蔵田計成さん (9条改憲阻止の会・ 世話人)の発言を収録 。
(撮影:杉本健太郎・ 小峰雄太、編集・報告文:杉本健太郎)
http://www.youtube.com/watch?v=TPk38ftLoMM


国際反戦デー 新宿騒乱 - 1968
http://www.youtube.com/watch?v=mnrgvmxEkdQ

491 :革命的名無しさん:2006/11/02(木) 21:57:16
10・21国際反戦デー
銀座−日比谷公園デモ

最後の2枚に成忠氏の近影が掲載されています。

http://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji/diary/200610230000/


492 :革命的名無しさん:2006/11/02(木) 23:05:53

10・21国際反戦デー 銀座デモ
http://www.mkimpo.com/diary/2006/ginza_06-10-21.html



493 :革命的名無しさん:2006/11/03(金) 21:23:52

ハゲと白髪ばっかじゃん。
って俺もかあ(自爆)・・・・。

494 :革命的名無しさん:2006/11/04(土) 23:26:53
>>492
>>491

オオッ!三派全学連の我が栄えあるナルチュウ副委員長だ!

495 :革命的名無しさん:2006/11/07(火) 20:50:19
あのな、おまえらな、成忠氏が老体に鞭打ってガンガッテいるんだから
俺らももう少しやろうよ。

496 :革命的名無しさん:2006/11/07(火) 21:22:12
臨終の青い鳥

497 :革命的名無しさん:2006/11/09(木) 18:59:40
臨中は臨終

498 :革命的名無しさん:2006/11/09(木) 19:38:27
異議無し

499 :革命的名無しさん:2006/11/11(土) 15:13:37
ついでに怒濤派も臨終

500 :革命的名無しさん:2006/11/11(土) 23:08:12
ついでにこの板も臨終

ついでに500ゲット

501 :革命的名無しさん:2006/11/24(金) 21:12:50
誰も俺を捕まえられない。さて俺は誰か?

502 :革命的名無しさん:2006/11/24(金) 21:41:34
バカな椰子。
あんま、俺俺いってると、
官憲にパクられても知らねえぞ。

503 :革命的名無しさん:2006/11/24(金) 21:53:55
>>501
革命的名無しさんだろ?

504 :革命的名無しさん:2006/11/30(木) 01:22:07
最近、労共党ネタってないね


505 :革命的名無しさん:2006/11/30(木) 11:41:50
あれッ、労共党って解党したんだろ?

506 :革命的名無しさん:2006/11/30(木) 19:55:27
解凍したんだったら機関紙「プロレタリア」の定期購読代を返してくれ

507 :革命的名無しさん:2006/11/30(木) 21:07:58
>>505
マジですか? ショックです。

508 :革命的名無しさん:2006/11/30(木) 21:11:56
もう飽きたというか、ネタがなくなった。

509 :革命的名無しさん:2006/12/01(金) 18:19:37
労共党が無くなるなんて・・・人生の希望も消えました。
労共党は人民の太陽でした。
再建を心から祈っています。


510 :革命的名無しさん:2006/12/01(金) 19:30:36
家に帰って、パソを開けて2チャンネルを見た時、怒涛の話題が
上位にいると何故かうれしくなってしまうのは漏れだけか!?
成さんが元気でいるうちは、漏れも頑張ってみる!

511 :革命的名無しさん:2006/12/01(金) 21:09:42
労共委が無くなるなんて・・・人生の希望も消えました。
労共委は人民の太陽でした。
再建を心から祈っています。


512 :革命的名無しさん:2006/12/01(金) 21:21:20
結局、中央委の無能が最大の崩壊要因かな?

513 :革命的名無しさん:2006/12/02(土) 09:57:58
大衆組織もないの?

514 :革命的名無しさん:2006/12/02(土) 21:39:06
全ての責任は中央委が取る

515 :革命的名無しさん:2006/12/02(土) 21:39:29
mo
http://www.mo.com/

516 :革命的名無しさん:2006/12/03(日) 17:36:29
>>514
いまさら責任どうこうは意味ないことだが、当時中間派的対応を取った神奈川委
はどうなんよ。
まあ、臨中が理論闘争ばっかりの毎日に業を煮やして、クーデターを企てたのも
大きいが。



517 :革命的名無しさん:2006/12/07(木) 10:50:33
>>510
最近復活してきた成忠さん以外にも、頑張ってる同志は多いよ。
まぁ分母が極少だから、実際の人数はそれなりだけどな(笑


518 :革命的名無しさん:2006/12/07(木) 19:11:39
今の労共党に労共委(怒涛)のDNAは引き継がれているか。
労共党での思想的影響力は、
日共ML派>紅旗派>労共委(怒涛)>革命の旗派
といったとこか・・・

519 :革命的名無しさん:2006/12/07(木) 20:23:04
足立正生監督35年ぶりの新作『幽閉者』公式HP
http://www.prisoner-m.com/


520 :革命的名無しさん:2006/12/08(金) 09:25:42
>>518
日共ML派に参加した時点で終わってるね。
DNAを引き継いでいるのは労共党だけでは絶対にないと思うよ。
ただ、レーニン党(組織論)での結集はありえないだろうけどね。


521 :革命的名無しさん:2006/12/08(金) 22:55:48
>>520
だいたい毛派の影響を受けたころからおかしくなったんだよなあ。

522 :革命的名無しさん:2006/12/09(土) 00:49:35
労共党まだあるじゃん。解党なんてガセかよ。

523 :革命的名無しさん:2006/12/09(土) 23:45:51
>>517
ナルチューさんの戦線復帰は意外(?!)といろんな影響がでるかもしれないな。

524 :革命的名無しさん:2006/12/10(日) 00:04:15
元ML派(反主流)の方がblog立ち上げ
ttp://whoisjack.cocolog-nifty.com/blog/

525 :革命的名無しさん:2006/12/10(日) 13:11:15

日共MLに関心を持っていたのは何も怒濤派だけではなく
赤軍の高原派・ML派なんかも仲良かったな。

526 :革命的名無しさん:2006/12/16(土) 15:05:29
>>488
現在労共党に残る元労共委がT氏だけとは正直驚いた。

527 :革命的名無しさん:2006/12/16(土) 20:57:11
>>526
元労共委が分裂後どうなったかは、過去スレでだいたい語られてるが、ワシを含めて
大半が実践的運動からは身を引いてるね。思想としてはいまだに・・・の部分も無く
はないが、まあ現実には大半が醒めた感覚だろうな。労共党に行った者、労働党に行
ったのもいる。ヤマギシにも1人いたな。ヤマギシは人生の選択肢のひとつとしては
否定はしないが、社会変革の観点から言うと自己完結の運動で、う〜んと思うが。
ワシも開き直るわけじゃないが、労共委時代のことは今の自分のいい肥やしになって
る。人生だいぶ回り道した感もあるが、逆にこの歳になってみると充実してたという
気もする。あ〜今日はワインを飲みすぎたかなあ。

528 :革命的名無しさん:2006/12/16(土) 22:37:00

オマエはワインか。いいなぁ。おれは焼酎だわ。

529 :527:2006/12/17(日) 18:43:45
>>528
いやいや、たまたま酒量販店で発泡酒の特売やってたんで大量に買い込んだら、
おまけでワインをくれたんでそれ飲んでただけ。普段は発泡酒と焼酎。
でもなぜかあの頃運動に関わった世代には焼酎党が多いなあ。ワインと日本酒党
は少数派。唯一オレの知ってるので日本酒党がいたが、そいつは叛旗派だった。
党派によって嗜好傾向がある?

530 :革命的名無しさん:2006/12/17(日) 19:14:13
焼酎=底辺の労働者というイメージがあり、それに共感というか依拠する意味で
焼酎を飲み始めたが、安くてなかなか味わいがあるので、常習となった人も多い
のでは。

531 : ◆JrNMd471Nk :2006/12/17(日) 19:37:58
ポン酒は身体の負担が大きい(疲れる)から
健康面の都合でも焼酎党は多いと思われ。  おいらは呑まないけど(^w^;

532 :革命的名無しさん:2006/12/19(火) 00:18:25
味わいからいけばワインと日本酒では、
しかしワインは金がかかる。
十四代の限定酒も5万円で取引されているなんて、日本酒もいいものは高いね。

533 :RK:2006/12/19(火) 02:15:16
関東学院の怒濤はどうしたんだろうね。

534 :革命的名無しさん:2006/12/19(火) 20:23:19
♪人民の酒 焼酎は〜
 さらば去れ 特級酒 我らは焼酎守るう♪


535 :革命的名無しさん:2006/12/19(火) 21:20:42
>>533

神奈川県委員会→消滅
       KGU細胞→臨中派→消滅


536 :RK:2006/12/20(水) 19:12:05
消滅かあ。反怒濤だった赤ヘルグループもいたけど、連中はどうしたんだろう。

537 :革命的名無しさん:2006/12/20(水) 21:19:56
>>520
労共委にレーニン主義は、マル戦時代も含めて存在していなかった。
これを中央委は機関紙によって(つまりレーニン主義的に)
サークル主義、分散主義を克服しようとしたが
臨中を名乗る反レーニン主義主義分派によって解体を余儀なくされた。

538 :RK:2006/12/20(水) 22:45:03
意味がよく分からんが、要するに怒濤は雲散霧消してしまったってことか。
そんな潰れた怒濤より俺は関東学院の赤ヘルグループがどうなったかのほう
が興味があるよ。

539 :RK:2006/12/20(水) 23:35:27
関東学院の怒濤では筋金入りだったのはガンとかいってた奴ぐらいだな。そう
いえば少し年下で小さい男女のカップルがいたよな。女の子はちょっと可愛い
感じのの子だったな。

540 :革命的名無しさん:2006/12/21(木) 15:12:36
関東学院の怒濤・・・あの眼の大きいのか?

541 :RK:2006/12/21(木) 16:19:03
ちっちゃいのがいたよな。結構熱心に活動してたよな。

542 :革命的名無しさん:2006/12/21(木) 16:43:38
全学戦線でアジっていたよね

543 :RK:2006/12/21(木) 16:55:31
そうそう。全学戦線なんていってたよな。何が全学なのかわからんが。

544 :革命的名無しさん:2006/12/21(木) 18:48:42
あの二人別れたんじゃなかったっけ?
ヤローの方はショーモーしたけど女の子はガンガッテいたような。

545 :革命的名無しさん:2006/12/21(木) 19:27:02
赤ヘル諸君にはオレの記憶では、ひょろ長の男とガッシリタイプの男
それに小柄の髪長い女がいたように思う。

546 :革命的名無しさん:2006/12/21(木) 20:29:30
そういう風体のやつはどこにもいる

547 :RK:2006/12/21(木) 20:52:17
怒濤のことを赤ヘルと称してほしくないな。正統ブントの赤ヘルは別にいたん
だからな。一緒にするなってこと。

548 :革命的名無しさん:2006/12/22(金) 20:02:46
>>547
正統ブントは共産同戦旗派です

549 :RK:2006/12/22(金) 22:20:36
正統ブントが戦旗だというのは恐らく正しいと思う。でも関東学院の赤ヘルは
戦旗の流れだったということは548さんは知ってるのか。当時、すでに戦旗
ではなかったけど。それに俺にとっての正統は自分がいたところだよ。


550 :革命的名無しさん:2006/12/22(金) 22:59:57
その「正統」の戦旗派荒さんはとっくの昔にマルクス主義やめましたがナニカ?

551 :革命的名無しさん:2006/12/22(金) 23:00:15
ブントは四分五裂し、その結果党派を名乗らない、サークル的な
いわゆる「ブント系ノンセク」もかなり存在してた。

552 :革命的名無しさん:2006/12/22(金) 23:38:09
825共闘を中心に、パレスチナ共闘での集会などで他派にも著名なアジテーター=トマトさんのことはすでに紹介されていますが、
私などはメット越しに薄暗い集会でしか見たことが無いので、可愛いとか髪が長いとかわからないのですが。


553 :RK:2006/12/22(金) 23:49:31
そうだ、トマトだな。彼女の愛称は。他派にも著名だったんだ。しかし、怒濤
も825にいたんだったっけ。もう記憶が定かでない。

554 :革命的名無しさん:2006/12/23(土) 09:37:12
トマトさんはショートカットでつ

555 :革命的名無しさん:2006/12/23(土) 09:38:28
トマトさんはショートカットでつ

556 :革命的名無しさん:2006/12/23(土) 19:54:01
>>553
いましたよ。怒涛も天皇訪米阻止闘争の頃まではまとまってた(?)が、
その後B取のことで地下潜伏、そして4分裂は皆さん承知のとおりです。
もっとも党内闘争は70年代前半からその萌芽があったという人もいま
すが、私にはよくわかりません。

557 :RK:2006/12/24(日) 00:04:27
トマトももう50代だな。ガンはずっと活動してたんだろうかな。

558 :消息筋:2006/12/24(日) 08:59:10
御両名共々健闘されています。

559 :革命的名無しさん:2006/12/24(日) 09:05:00
あのー、ちょっと言わせて下さい。
私は現役の大学4年生のものなんですが、ここで怒涛とかいう組織のことを
語っている方々は、もう60歳近いと思うんですが・・・・

孫がいてもおかしくない方々が、「トマトさんはショートかっとでつ」とか
「ヤローの方はショーモーしたけど女の子はガンガッテいたような」みたい
に「でつ」「ガンガッテ」という語句を使うのはちょっと悲しくなってきま
す。

私は、現在某大学の自治会で執行委員をしていて、「闘う自治会」を作る為
時々ここを覗いているんですが・・・・・しっかりしてくださいよ、むかし
闘ったであろう「諸先輩」方。

560 :革命的名無しさん:2006/12/24(日) 09:49:16
そうか。それで就職決まったのか。ニートになるなよ。

561 :RK:2006/12/24(日) 12:31:31
トマトもガンも頑張ってるのか。それは素晴らしい。尊敬するよ。

562 :RK:2006/12/24(日) 13:23:16
それより538でも書いたが、怒濤と対立していた関東学院の赤ヘルグループ
の消息知ってる奴はいないか。559君。所詮ここは昔を懐かしがってる中年
たちが言いたいことを言ってるところだよ。闘う自治会も結構だが、書き込む
暇があれば一人でも多くの仲間を集めて若者のパワーを発揮してくれよ。全共
闘世代としては今の若い連中からだけは非難されたくないな。

563 :革命的名無しさん:2006/12/24(日) 17:28:55
>>562
懐かしがるのはいいんですが、いい年した人が「がんがって」とか「でつ」
などという言葉を使うのはどうかと思っているんです。こちらが赤面して
しまいますが、みなさんはなんとも思わないですか?繰り返しますが、昔
を懐かしがるのは、なんとも思っていません。

564 :革命的名無しさん:2006/12/24(日) 19:04:12
>>562
変な突っ張りによって生協を解散させてしまった人達のことですか?

565 :遅れた来た全共闘世代:2006/12/24(日) 19:06:15
RK対559+563!
563の勝ち!



566 :革命的名無しさん:2006/12/24(日) 21:30:50
よかったね

567 :RK:2006/12/25(月) 16:55:40
生協が解散したいきさつは知らないが、564さんの「変な突っ張りに…」と
いうのは怒濤の諸君なんでは。怒濤のほかに赤ヘルグループがあったでしょ。

568 :革命的名無しさん:2006/12/25(月) 17:07:05
ウィキペディア反核運動

もともとの記事
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8F%8D%E6%A0%B8%E9%81%8B%E5%8B%95&oldid=8641107
↑これには
反核団体に民潭が入っていること、 原水協が北朝鮮に抗議してないこと、 抗議や要求を使い分けていること、が記されている。
それを隠すために、削除や印象操作を行って、反核団体が北朝鮮に積極的に抗議しているかのような記事に書き換えて保護したのがこれ↓。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8F%8D%E6%A0%B8%E9%81%8B%E5%8B%95&oldid=8673340

共産党の必死さが伝わるww

ちなみに反論したい人は原水禁の声明を原水協の声明を読んでからにしろよ。
原水禁(社民系)「北朝鮮の核兵器開発に断固抗議し、即時中止を求める声明」
http://www.gensuikin.org/e_asia/N_N_sttmnt.htm
原水協(共産系)「北朝鮮の核開発問題についての談話」
http://www10.plala.or.jp/antiatom/html/j/j-gensu.riso-dec/05/jg-050210_northkorea.html

569 :RK:2006/12/25(月) 17:50:08
568は何のことか意味不明。563君の言い分だが、俺もその通りだとは思
う。いい年したおっさんがねえ。でも所詮はネット上のたわいもない書き込み
であり、そう思うと怒ったり嘆いたりするほどのものでもないのではと思うが
、どうだろうか…。

570 :革命的名無しさん:2006/12/25(月) 21:05:36
革命的労働者、学生の新聞(中央機関紙)「怒濤」を読もう!!



571 :革命的名無しさん:2006/12/26(火) 15:33:20
模索舎で買えますか?

572 :革命的名無しさん:2006/12/26(火) 19:16:13
最後の発行は78年か? 復刻版は無いと思うが。

573 :革命的名無しさん:2006/12/26(火) 19:41:32
中央委員会派→ 「怒濤」 最終号は赤刷りだったね
都委員会が中心の中央委員会 「労働新報」 何号まで出たんだろう?
臨時中央委員会 「釜ヶ崎は燃えている」という赤表紙のパンフが「臨時」(W)に出ますた
神奈川県委員会 「プロレタリア革命」 「左」右の日和見主義とバッサリ切る日和見主義に乾杯

574 :革命的名無しさん:2006/12/26(火) 21:09:06

それUPしてホスイ。

575 :革命的名無しさん :2006/12/27(水) 16:17:59
労共委には限界と誤りが沢山あったが、胸を張れる成果もある。
そのひとつがパレスチナ支援活動。P支を担っていた当時のメンバーが今どうしているか
党内闘争のゴタゴタで不明だが健闘していることを祈っているよ。

576 :革命的名無しさん:2006/12/28(木) 18:33:20
怒涛派はアカ軍をどう見ていたの?

577 :革命的名無しさん:2006/12/28(木) 20:28:37
>>576
やっぱりコンプレックスあり、かな?

578 :革命的名無しさん:2006/12/28(木) 20:44:41
パレスチナ人民とともにたたかう日本人医療隊支援に結集してた団体。
パレスチナ革命連帯協議会
(パレスチナ人民支援センター、パレスチナ解放支援委員会、世界革命情報センター)
この他、革命救援会、下獄対委員会、新左翼社


579 :革命的名無しさん:2006/12/28(木) 21:09:16
P支援は怒涛にとって、世界革命戦争統一戦線のメルクマールだったわけだ。



580 :革命的名無しさん:2006/12/29(金) 02:04:05
だんだん薄れてくる記憶をもとに。
パレスチナ協議会は、72年11月のパレスチナ週間にむけた実行委員会の発展版だったのでしょうか。
5月にリッダ闘争があって、8月に2戦士追悼の京都のイベントがあって(その間に東京でも集会があったような)、11月になったんでしょうが。
板垣先生たちが組織されていたグループもありましたが、怒涛のP支とは関係ないでしたっけ。
どうもこの辺の記憶はあいまいです。
それと、革命救援会なるものは何ものでしたか?

581 :革命的名無しさん:2006/12/29(金) 09:35:54
>>580
>だんだん薄れてくる記憶をもとに

 いや、まさに我輩も同様であります。断片的にしか。記憶違いも多分かなり。

 2戦士追悼の京都のイベントは8.16京大でありましたね。前日夜は西部講堂でロック・ストリップと称するものを開催。
 これは2戦士(安田、奥平)が「葬式をせずにお祭りを」と希望したためとのことだが、ただの 馬鹿騒ぎではないかと、
 関係者の間で言い争いになりました。このイベントはテルアビブ闘争支援委員会が中心になってたと思います。党派としては、
 赤軍派、労共委、共産同(RG)などだったと思いますが、赤軍派は東京都委員会派だったような・・・
 革命救援会は連赤の裁判闘争支援組織ではなかったでしょうか。日本赤色救援会というのもありましたが、両者の関係はよく
 知りません。

582 :革命的名無しさん:2006/12/29(金) 17:29:33
>>580
>72年11月のパレスチナ週間にむけた実行委員会の発展版

 11月に千駄ケ谷区民会館でパレスチナ革命連帯集会(というような名称だった)
 が開かれたが、その時はパレスチナ革命連帯共闘会議の呼びかけだったはず。
 実行委員会とはそのことでしょうか。とにかく似たような名称の組織がたくさん
 ありましたからねえ。
 というのもありました。

583 :革命的名無しさん:2006/12/29(金) 17:47:18
>>553
8.25共闘は
怒涛、蜂起、烽火、RG、戦旗、赤軍、え〜とあとどこだったけか

584 :革命的名無しさん:2006/12/29(金) 19:37:49
パレスチナ人民支援センター→ 怒涛派
パレスチナ解放支援委員会→赤軍派(臨総)
世界革命情報センター→赤P上映委員会



585 :革命的名無しさん:2006/12/29(金) 20:48:12
世界革命戦線協議会を組織し、世界党ー世界赤軍建設の第一歩を。てなスローガンも
あったよな。でも、今からすりゃ大言壮語だが当時としては新左翼普通の世界観だ。

586 :革命的名無しさん:2006/12/30(土) 00:12:40
世界革命戦線情報センターではないですか。IRFって略していたから。
825は、ベトナム革命支援委員会(赤軍派都委員会)、反戦共闘(L研=佐野、吉国派)
解放委員会(ML分派=戸田・穂積派)赤色戦線(共労分派=黒木=笠井潔派)
の4党派分派に後に日学戦となる上智の斉藤あつしたちの「赤ヘルノンセクト」による檜町公園での集いが最初。
怒涛の参加はその後ではないかな。丁度、相模原があったし。

587 :革命的名無しさん:2006/12/30(土) 00:14:48
11月の集会は明大記念館じゃなかったかな。

588 :革命的名無しさん:2006/12/30(土) 13:04:03
皆、中高年といわれる世代になり、記憶もあいまいに・・・
>>586
怒涛の参加は確かにその後かもしれませんね。8.25の仲間、特に日学戦とは
不思議とウマがあったんでは。でも天皇訪米阻止の頃には怒涛は共闘とは名
ばかりで、動員では日学戦に大きく差をつけられてたぜ。
>>587
11月に千駄ケ谷区民会館というのは11月2日のことです。ボクのある記念日
ですからよく覚えてます。

589 :革命的名無しさん:2006/12/30(土) 19:49:36
825の最後は怒濤派+烽火+国学院全学戦線とマル青同のゲバ


590 :革命的名無しさん:2006/12/30(土) 21:26:51
国学院全学戦線てのは、ブント系なんですか。

591 :革命的名無しさん:2006/12/31(日) 03:48:51
赤ヘルを被っていたが、代表は元中核で東大闘争の被告。

592 :革命的名無しさん:2006/12/31(日) 04:20:08
>国学院全学戦線

革マルとはゲバやらなかったの?

593 :革命的名無しさん:2006/12/31(日) 07:47:33
>国学院全学戦線
関東学院全学戦線と同じ系統なんでしょうか?

594 :革命的名無しさん:2006/12/31(日) 09:03:35
なんかすごい流れになってきたな
>>589
怒濤派らとマル青同の内ゲバ過程で、マル青同から斉藤らの日学戦が分かれた。
そして法大で全学戦線(日学戦とプロレタリア軍団の残党他)を結成した。

全学戦線という名称はあちこちでかなりあったが、有名なのは同大で烽火系だ。
関大は赤報派(RG)系。え?関東学院はか?ふふふ・・・

595 :革命的名無しさん:2006/12/31(日) 14:56:39
>>関東学院はか?ふふふ・・・
これってどういう意味の「ふふふ・・・」なの?


596 :革命的名無しさん:2006/12/31(日) 20:48:10
8.25も分解。怒涛もB取で全党地下潜伏の指示。中央委に対し成島がクーデター。
東京と大阪(釜)に別れ、神奈川は独自路線、愛知は離脱。
みないつしか馬糞の川流れに。

597 :革命的名無しさん:2006/12/31(日) 21:36:02
紅白歌合戦を観ていたが出てくるアンちゃん、ネエちゃんは
まるで知らないのばかり。それでテレビ東京の年忘れ日本の歌に
チャンネルを変えた。八代亜紀、前川清・・・を堪能した。
もう紅白なんか観てやるか。
嗚呼、労共委も昭和も遠い霧の彼方にかすんでいく。

598 :革命的名無しさん:2006/12/31(日) 23:01:57

早く受信料を払って下さい

599 :革命的名無しさん:2007/01/01(月) 07:56:05
今年こそ、誰か機関紙怒涛をUPしてくれないかな。


600 :革命的名無しさん:2007/01/01(月) 20:38:29
怒濤創刊号第一面
「労共委結成宣言」 
怒濤14号第一面論文
「佐藤訪米阻止闘争の教訓に踏まえ、70年への進撃を阻止せよ!」
怒濤15号第一面論文
「階級情勢の現在的特徴と革命党に問われている問題」
怒濤18号論文
「共産主義運動の前進のために」
怒濤19号スローガン
「帝国主義軍隊解体! 全人民武装、革命の軍隊=赤軍創出!」


601 :600:2007/01/01(月) 20:42:54
御屠蘇で酔って間違えた
×70年への進撃を阻止せよ!
○70年への進撃を組織せよ!

602 :革命的名無しさん:2007/01/01(月) 23:34:59
「怒濤」第3号
われわれは「怒濤」1号以来民族防衛主義、議会主義と闘う任務を提供してきた。
「国民の自衛権」、「国家の安全保障」というブルジョア的立場から出されてくる
安全保障政策こそ民族防衛主義にほかならない。それゆえ民族防衛主義との闘争は
大衆内部にある安全保障政策に対する幻想を粉砕することによって遂行されると
いわなければならない。
        中略
かかる組織的中核による大衆的実力闘争は、職場反戦の建設をバックとする街頭に
おける戦闘的デモ、学園無期限ストをバックにした学生の街頭実力闘争、労働者
学生の政治ゼネスト実現の活動などとして目的意識的に追及されねばならない。

603 :革命的名無しさん:2007/01/02(火) 01:00:32

まるでマル戦だな。岩田「前衛」派とどこが違う?

604 :革命的名無しさん:2007/01/02(火) 03:15:38
>>603
>まるでマル戦


意味不明。

605 :革命的名無しさん:2007/01/02(火) 10:23:01

学園占拠・地区占拠・職場工場占拠闘争

606 :革命的名無しさん:2007/01/02(火) 12:51:39
>>603
「怒濤」第3号に見られるマル戦からうけついだ抜きがたい主観主義的な闘いは「怒濤」第8号
ではエネルギーという名のみの大衆高揚主義=「エネルギー理論」として、さらには「怒濤」
第12・13号では「新たなる自然発生性」として常に論争されてきた。
そしてそれを怒濤」第15号論文で総括し、マル戦的なものから訣別したのである。

607 :革命的名無しさん:2007/01/02(火) 22:51:19
「怒濤」は結局第号まで発行されたんだ? 50号くらいまでか?
最後に中央委と臨中が同名で同時発行したのは特例としても。

608 :革命的名無しさん:2007/01/02(火) 22:57:18
具体的な号数は知らないけど、当時のBUND系では珍しく機関紙活動を
真面目にやっていて月2回の発行を守っていたから1年に24号×8年としても
ざっと100号は越えていたんじゃなかったっけ?

609 :革命的名無しさん:2007/01/02(火) 23:19:24
>>607
「怒濤」紙は中央委のみで臨中派の「怒濤」は確認されていません。

610 :革命的名無しさん:2007/01/03(水) 12:17:48
体をなしていたのは140号位まで。後は定期発行を回復することができなかったようだ。

611 :革命的名無しさん:2007/01/03(水) 14:13:59
140号位つまり76年春頃。分裂というより分解過程が強まり、その後の各種「怒濤」は
労共委のタガの外れた別物と考えた方がよい。

612 :革命的名無しさん:2007/01/03(水) 15:52:10
9条は日本人の心の故郷なのです。変えさせません。


故郷を変える人が居るのですか?


http://that4.2ch.net/test/read.cgi/diplomacy/1165452884/l50


613 :革命的名無しさん:2007/01/03(水) 17:05:33
印刷会社を持っていたしね

614 :革命的名無しさん:2007/01/03(水) 17:25:40
そう、そう。確か練馬の関町あたりだったけ?

615 :革命的名無しさん:2007/01/03(水) 17:28:46
思い出した。アポロだ。

616 :革命的名無しさん:2007/01/03(水) 19:54:58
>>611
おー、そうか、ん〜。
609さん、臨中派の「怒濤」じゃなく都委員会の「怒濤」ならあるんでは?

617 :革命的名無しさん:2007/01/03(水) 20:32:27
>>611
>76年春頃。分裂というより分解過程が強まり

 当時、機関紙編集委員会はだいぶ混乱してたんじゃないでしょうか。75年秋以降、
 ウニタなどで見た記憶がないんですが。なにしろ、地下活動へということで指導者
 とは接触がなく、機関紙もウニタで買ってた状態でした。
 党内理論闘争は相当以前からあったと聞いてましたし、それに費やすエネルギーの方が
 大衆運動への関わりや組織化よりも大きかったはずですから。

618 :革命的名無しさん:2007/01/04(木) 14:00:20
>>616
都委員会が中心の中央委員会が出したのは「労働新報」

619 :革命的名無しさん:2007/01/04(木) 14:30:09
臨中派の「怒濤」は関係者に配布されたことがある、とのレスがあったが。

620 :革命的名無しさん:2007/01/04(木) 18:25:38
神奈川県委は「プロレタリア革命」を発行。82年頃まで。

621 :革命的名無しさん:2007/01/04(木) 23:36:09
>>619
臨中の「怒濤」紙は機関紙ではなくフラク内部通信だったので公然化されてはいない。
神奈川県委員会が分裂して旧KGU細胞指導部が臨中に結集した以降は停止されている。



622 :革命的名無しさん:2007/01/05(金) 18:50:29
では77年秋から冬にかけて発行された「怒濤」紙はどこが出したのか。臨中派
でなければ中央委派か。「労働新報」は78年に何回か発行されたが、その後は?
611さんの言う「別物」があれこれ出回ったということか。
中央委と神奈川県委の分裂した一部は79年9月に日共MLに合流したわけだが。
神奈川県委分裂後残った連中が「プロレタリア革命」を82年まで発行(年1回程度)。
それと、そのちょっと前頃に愛知グループが集団離脱して日本革命党を名乗ったんだな。
機関紙が「進路」。
もうややこしくて、なんか絡まった糸ほぐしていくみたいな感じだなあ。



623 :革命的名無しさん:2007/01/05(金) 19:31:25
その頃の「怒濤」でしたら後に日共MLに合流した中央委が発行したものです。


624 :革命的名無しさん:2007/01/06(土) 21:10:39
その「怒涛」発行をB取弾圧下に「中央集権主義」とかいって自己目的化していた
投降派が安庫派に吸収された。

625 :革命的名無しさん:2007/01/07(日) 10:34:55
お! するどい。

626 :革命的名無しさん:2007/01/07(日) 18:48:48
まぁ、機関紙活動が中央集権主義の基礎なんだけど、労共委の場合は一方で××闘争を推進する
Yがあった。路線的に機関紙とYを有機的にどう位置づけるかの組織戦術がまったく無かったわけ。
組織現状がその段階にあった時期にB取弾圧がされて組織が持たなかったわけよ。

627 :革命的名無しさん:2007/01/07(日) 20:58:46
こんな文書が残ってたよ。
[労共委第3回大会決議]
「われわれは、全国機関紙『怒濤』だけしか発行できなかった限界、および全国機関紙は、活動家
への戦術駆使のための方針提起を行い、細胞、地区組織が宣伝、煽動を行うという、宣伝、煽動に
関する狭い理解に陥っていたことを認め、プロレタリアートの解放に向けて闘う労働者共産主義委
員会の政治的、組織的、理論的指導を強化するために『怒濤』の紙面の内容を変革し、月2回刊を
堅持すること、理論機関紙を季刊で発行すること、必要に応じて小冊子を発行することを決定する。」

628 :革命的名無しさん:2007/01/07(日) 21:53:03
その3回大会って何年ごろですか?

629 :革命的名無しさん:2007/01/08(月) 09:29:03
70年11月 労働者共産主義委員会第3回大会開催される。

この大会は労共委がそれまでの組織を根本的に変革させ、綱領の党として再出発を図るものとし
て、記念碑的意味を持ちます。以下もやはり保存してた70年の総括文書の中からの抜粋です。

「労共委は旧共産同以来あった組織形態において、@旧黎明系の政治革命観の残滓を持っていた
こと、A組織問題と切り離して理論総括から直ちに組織を作るという誤った組織観、B階級闘争
の全領域に対する指導を貫徹できない限界、C単一の世界党結成の闘いをうたいながらも、現実
にはこの闘いを口先だけのものにし、それに甘んじていた。」

630 :革命的名無しさん:2007/01/08(月) 10:12:18
おお!この板で初めてソースを元にやりとりできた!

631 :革命的名無しさん:2007/01/08(月) 12:51:08
>>629
それ昔「査証」に掲載されたやつ?

632 :革命的名無しさん:2007/01/08(月) 20:30:52
怒濤派の最後の大会は何回大会ですか?

633 :革命的名無しさん:2007/01/08(月) 21:41:38
みんなが認めるのは第六回大会まで。その後、各派が7,8,9……回大会をやったかも。

634 :革命的名無しさん:2007/01/09(火) 18:47:05
労共委の路線的破産を露呈した六回大会Mのイズミ、ハヤカワは今どうしているのかな。

635 :革命的名無しさん:2007/01/09(火) 18:58:04
イズミ(泉)=石田、ハヤカワ(早川)=西陰。さあ皆さん、情報を。

636 :革命的名無しさん:2007/01/09(火) 19:03:42
イズミさんって東大出の秀才 ハヤカワさんは小樽商大の空手オタク

637 :革命的名無しさん:2007/01/09(火) 19:14:33
復讐するは我にあり、と言ったところか。
もういいではないか。ゆるしてやれ。

638 :革命的名無しさん:2007/01/09(火) 19:24:51
六回大会Mはそれだけでねえぞ! ミネヤマ、モウリはいかにおわす。

639 :革命的名無しさん:2007/01/10(水) 18:48:01
ミネヤマ氏は古巣で社長 モウリ氏は予備校講師をしていたが今はどうしているやら

640 :革命的名無しさん:2007/01/10(水) 18:50:22
>>631
「査証」に掲載されたやつではありません。労共委が「査証」に掲載したのは、次のものだけだったはずです。

「査証」第三号 72年4月発行 
ブントを総括する@ 労働者共産主義委員会に結集し、世界プロレタリア独裁樹立・革命戦争の先進闘士の
任務を共にせよ!
(連載物のはずだったが、これ以降掲載されることはなかった。)

「査証」第七号(解散号) 73年10月発行 
塩見君の「連合赤軍問題」の総括の仕方と「プロレタリア革命主義」の内容
(これは北田肇同志の塩見批判論文です。)

641 :革命的名無しさん:2007/01/10(水) 19:36:45
労共委の秘密主義(非公然主義)は組織防衛に役立ったかも知れないが、
一部の会員を除いて知らないことが多すぎて他の会員の総括活動を難しくしている。
たとえば、峰山と北田の区別が混乱している。北田は社長、峰山は労共党へ行き患部になっている。



642 :革命的名無しさん:2007/01/10(水) 20:13:58
>>641
知らないことが多すぎて、ということですが共戦と委員会との関係では、かなり
筒抜け状態でしたよ。もっとも70〜72年ころのことですが。その後のことは私は
離脱したからよく知りません。このスレは中央指導部クラスだった人の書き込みも
あるみたいですね。たしかに共戦クラスの私にはよくわからないことも多いです。

643 :革命的名無しさん:2007/01/10(水) 20:55:00
東アジア反日武装戦線のスレも読もう
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1034091563/

644 :革命的名無しさん:2007/01/10(水) 21:15:14
あれ?!30年以上勘違いしていた・・ 北田=ミネヤマじゃなかったんだ

645 :革命的名無しさん:2007/01/10(水) 21:22:17
北田さんは第6回大会時には中央から退いている。

646 :革命的名無しさん:2007/01/11(木) 18:37:16
>>640
これ「共革」に掲載されたじゃなかったっけ?わしの記憶もかなり危なくなったので・・・
→塩見君の「連合赤軍問題」の総括の仕方と「プロレタリア革命主義」の内容

647 :革命的名無しさん:2007/01/11(木) 18:55:28
第六回大会はいつ行われたんですか。それと,池袋の白石事務所はいつ頃まで
あったんですか? 興味あるとこですので、お願いしますら。

648 :革命的名無しさん:2007/01/11(木) 19:18:21
>>646
「共革」ではありません。「査証」です。現にオレがここに持っている。
サブタイトルが「その未だ克服されざる観念論について」ですから、
手厳しいですね。

649 :革命的名無しさん:2007/01/11(木) 20:08:32
第六回大会は確か1975年、月は忘れたが、沖縄に台風がきていた。

650 :革命的名無しさん:2007/01/11(木) 20:38:11
じゃ、ヨシカワは北田、峰山のどちらなの?さっぱり解らなくなった・・・。

651 :革命的名無しさん:2007/01/11(木) 20:41:42
ゴメン、第六回大会は74年だったかもしれない。ちょと自信がない。

652 :革命的名無しさん:2007/01/11(木) 20:49:37
75年だと、皇太子訪沖だろ。75年は党内理論闘争始まってて、もう大会開催する余裕
なかったと思うけど。

653 :革命的名無しさん:2007/01/11(木) 20:51:39
吉川(ヨシカワ)さんが北田さんです。この方は労共委の開祖みたいな人ですので、お間違えなく。

654 :革命的名無しさん:2007/01/12(金) 20:48:21
臨中議長代行の山田はんをお忘れなく。議長代行ということは、臨中が労共委大会
をクーデター的に開催して山田はんをとりあえず議長代行にしたんですかね。

655 :革命的名無しさん:2007/01/12(金) 21:08:04
ずーと前から知りたかったのですが、山田さんはどんな人なのですか、キャリヤなども。

656 :革命的名無しさん:2007/01/12(金) 21:14:46
656の追加
成忠さんのことはよーく知っています。何回かお会いしました。しかし山田さんは私にとって
謎の人です。

657 :革命的名無しさん:2007/01/13(土) 09:15:51
>>655
M候 山口大学出身。近畿マツダ労連書記。

658 :革命的名無しさん:2007/01/13(土) 09:23:35
>>654
山田CC候補が議長代行というのは、全国委の議長という意味では。

659 :革命的名無しさん:2007/01/13(土) 10:34:50
まるきょうネタでやんす

「ドキ!懐かしい指導幹部の名前が出てきましたね。臨中は後に労共委全国協を名乗り
党内的には東京水産大、関西、静岡、埼玉、沖縄、神奈川の一部など、が結集していま
した。山田氏が議長代行という事もあり臨中の活動の拠点は関西でした。また当時、
都委員会の人たちとの確執、党内闘争もあり関西に拠点を移したのでしょう。」


660 :革命的名無しさん:2007/01/13(土) 17:18:38
647 白石事務所の件
手持ちの怒濤160号(1978年1月1日号)に以下のように報じられている。
怒涛社移転のお知らせ
「怒涛」編集局
 都合により、東京都豊島区池袋2-11-2、白石ビル内の怒濤社事務所を十一月一日で閉鎖しました。
 以後の怒濤社への連絡は、次の所になりますので、お知らせします。
164 東京中野郵便局私書箱九八号
怒濤社
中川 進

661 :革命的名無しさん:2007/01/13(土) 20:13:47
怒涛派=労共委の歴史検証作業は進みます。
理論機関誌「共産主義革命」は何号まで発行されたんですか。

662 :革命的名無しさん:2007/01/13(土) 20:22:10
6号まで。

663 :RK:2007/01/14(日) 00:30:18
怒濤OB諸君の懐かしい会話はまだまだ続くようですね。俺は怒濤ではなかっ
たからこの間の諸君の会話は全く意味が不明だ。まあ、でも麗しいね。お互い
共通の青春時代の思い出を共有しているのはやはりいいことだよ。

664 :革命的名無しさん:2007/01/14(日) 07:16:46
ヨシカワの組織名が峰山で機関紙ペンネームがキタダじゃなかったっけ?

665 :革命的名無しさん:2007/01/14(日) 09:26:55
山、川、田か・・・ なるほど

666 :革命的名無しさん:2007/01/14(日) 09:50:13
赤崎次郎さんをお忘れなく

667 :革命的名無しさん:2007/01/14(日) 09:55:28
「ヨシカワ、キタダ」と峰山は全く別人です。

668 :革命的名無しさん:2007/01/14(日) 20:27:39
何故こんなにレスが伸びる。今晩はモツ煮込みを作って食べたぞ。女房にはまかせられない、
オレの得意技。アレ、関係ないか。
まあまあ、ということでRKさんもどうぞ参加してください。

>>662
そうか6号まで発行か。オレは創刊号と3号を持ってるぞ。昔、田舎の実家に他の荷物と
一緒に送ってたんで残ってた。「怒濤」やビラ類もそうしときゃよかった。

669 :RK:2007/01/14(日) 20:38:31
668さん、ありがとうございます。よそ者に温かい言葉をかけていただきま
して感謝します。でもほんとに意味が不明で話には入れません。それにあなた
方怒濤派とは対立していたもので、30年ほど経ってもやはり何となく距離が
ありますね。



670 :革命的名無しさん:2007/01/14(日) 21:34:01
RKさん、昔はご迷惑おかけしたようですね。当時は、怒濤中央もご多分にもれず、
官僚主義に陥ってしまってたんですよ。末端もその指示で動く・・・

671 :RK:2007/01/15(月) 13:20:20
670さん、それはお互い様です。今思えばそれこそ他愛のないことが原因だ
ったのでしょうが、当時は青年らしい必死さ、純粋さのあまり、ついつい対立
してしまったのでしょう。むしろ同じ時代を生きてきた同志という気持ちの方
が今となっては強いですね。

672 :革命的名無しさん:2007/01/15(月) 20:33:00
まあ、このスレも言わば「昔々シリーズ」のひとつだから。
ということで、話題をちょっと前に戻すと、組織名云々があったが、オレは
北田=石田と思ってたんだが。もう昔のことだからはっきりしないよな。
今も労共党で頑張ってる若杉さんに聞くのが一番かな。でも、「ばあっかも〜ん」
と怒られそうだが。

673 :革命的名無しさん:2007/01/16(火) 04:56:21
若杉=峰山かあ?

674 :革命的名無しさん:2007/01/16(火) 08:10:18
労共党への戦術(態度)は233,624で決まりだな.

675 :革命的名無しさん:2007/01/16(火) 18:54:03
この板の看板が臨中[怒涛派]労共党っていうのが面白いな。
怒濤が臨中と労共党に分裂したという意味?
労共党は現存しているからわかるけど臨中って何よ?



676 :革命的名無しさん:2007/01/17(水) 20:32:27
臨中とはプロレタリア民主主義を破壊して中央をクーデターで
乗っ取ろうとして敗北した極「左」集団。
議長代行は中央委員候補の山田某だが黒幕は元三派全学連委員長の成島。
山賊集団らしく活動拠点は釜ヶ崎でルンプロを相手に「革命戦争」を
オルグ活動をするが自らの小ブル性により撤退。その後、山田某の逃亡、
成島の静岡への帰郷によって活動を解消。
ホラは威勢がいいが責任を取らず、逃げるのが早いのが特徴とは釜ヶ崎の
昔話


677 :革命的名無しさん:2007/01/17(水) 23:58:19
676の補足
成島は委員長ではなく副委員長。委員長は中核派の秋山。
しかし、原則派のスレが出たのはうれしい。この人、誰。

678 :革命的名無しさん:2007/01/18(木) 21:18:54
>>675
68年、ブントマル戦が3分裂し(労共委、L協、前衛派)、77〜8年頃に
労働者共産主義委員会=怒涛派は中央委員会派、東京都委員会派、神奈川県
委員会派、臨時中央委員会派に4分裂。その後中央委員会派は日本共産党
(マルクスレーニン主義派)に合流。その日共ML派がブント赫旗派と統合
して労働者共産主義党を結成。
従って、怒涛派の流れが労共党に息づいてる、と言う意味からこのスレタイ
となった。その意味では臨中は対極ということになる。676は中央委よりの見解。
臨中の見解からすると、無能力集団の中央委、右派の都委員会、日和見の神奈川
県委ということになる。



679 :革命的名無しさん:2007/01/18(木) 21:34:51
>>677
青山さん?

680 :革命的名無しさん:2007/01/18(木) 23:14:46
神奈川県委員会はその後どうなったのですか?

681 :革命的名無しさん:2007/01/18(木) 23:25:41
676の様な馬鹿がいるから解体していくんだよな・・・ポツリw

682 :革命的名無しさん:2007/01/19(金) 21:33:58
>>680
80年代前半まで数人の残党(失礼!)が細々と機関紙を年1〜2回発行
したり集会参加する程度の活動だったようだ。
>>681
いやいや、中央委や都委から見ればそういうことさ。でも中央委のスタ官振り
も問題だったから、臨中の危機感も理解出来なくはないな。オレとしては。

683 :678:2007/01/19(金) 21:47:46
間違ったよ! 
×労働者共産主義党を結成→○労働者共産党を結成

労働者共産主義党じゃあ、まさに労共委の党結成になるもんなあ。
歳とると思いと手の動きが一致しない。ちなみに要介護度は「要支援1」だから
オレは。介護予防の筋トレとデイサービス通所に忙しいよ。はは・・・


684 :革命的名無しさん:2007/01/20(土) 08:12:35
>>676
オモテに出ろ!

685 :革命的名無しさん:2007/01/20(土) 14:36:29

そんな単純な燐廚が好き

686 :革命的名無しさん:2007/01/20(土) 19:36:42
もう「歴史」になってしまったんだよ。ゴミ箱かどうかは別にして。
でも、僕は労共委(にいたこと)の誇りを胸に今も生きている。
だから、名も顔も知らぬ同志諸君、戦線でまた会おう!それが僕らの使命だ。

687 :革命的名無しさん:2007/01/20(土) 19:55:18
このスレの書き込み信頼度

真に事実を書いてる・・・1割
事実に近い部分もあるが記憶違いや錯誤もある・・・4割
趣味者の質問や元関係者から情報を引き出そうとする釣り・・・3割
とおりすがり・・・1割
コピペ・荒らし・・・1割


688 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 08:51:34
このスレの書き込み信頼度

事実を書いてる・・・1割
記憶違いや誤情報にもとづているため信用度は著しく低い・・・3割
確信犯的大嘘・・・6割

689 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 09:54:57
70年中盤以降(特に75年以降)の文書が散逸してしまったため、
それ以降の流れがわからず仕舞になってますよね。
だれか、国内に客観的に評価できるライブラリ作ってくれませんかね。
もしできれば、デジタルアーカイブ作りは私がやってもかまいません。
途中で逃げた罪滅ぼしに・・・(笑)

690 :689:2007/01/21(日) 09:56:32
ワイハへ行けつーのは勘弁してね。逝けない理由があるから(苦笑

691 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 18:07:10
臨中議長代行ヤマダ様、成島様がお呼びです。

692 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 18:21:43
ん?中央委が労共党になったの?
そんな上のような事を書くやつらが、釜が崎NPOやってるの???

693 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 18:49:12
>>692
違うってば。労共党は日共ML派と共産同赫旗派が統合してできたんだから。
中央委は日共ML派に合流した時点で安庫じいさんの影響力があまりに強い故に、
「怒涛」的なものから遠ざかざるを得なくなった。従って、現在の労共党に怒涛
の旧中央委派メンバーがいたとしても、継承性は希薄なわけさ。
労共党には赤軍派出身で後に赫旗派議長してた松平直彦さんがいるが、「赤軍派」
的なものを何も継承してないのと同じことだわな。


694 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 19:49:06
川田を逃亡に利用するなよ、うちはだいこ
うちはだいこ、お前さんは共産主義者なのか? 趣味者なのか?

695 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 19:53:02
>>690

690サマ♪、高沢皓司サマがお呼びで〜す♪

696 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 20:59:57
>>694
判りきったこと聞くなよ。趣味者以外の何者でもないだろ。

697 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 21:09:00
我が老境党はブント赤軍派、烽火派、怒濤派などの「左」翼日和見主義
現代修正主義宮本一派の右翼日和見主義を革命的に止揚し誕生した真の
革命的前衛的労働者党である。全ての闘う労働者は全国政治新聞「プロレタリア」を読もう!
全ての工場ー生産点、寄せ場、地域に革命的細胞を建設せよ!
マルクス・レーニン主義・毛沢東思想万歳!万歳!大万歳!!

698 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 21:20:49
>>693
>労共党には赤軍派出身で後に赫旗派議長してた松平直彦さんがいるが

塩見さんはこう言ってますが・・・
「松平君は、僕の後追いをし、それで、僕の総括が、未完成で、一時破綻した時、
僕等「止揚派」が創造した成果を、幾度か簒奪し、あたかも清算主義が勝利したか
のごとく、カン違いしています。山谷、釜での「山統労」(山谷統一労組)運動の
底辺労働運動然り、赤軍派(プロレタリア派)解散後の、僕の誤った二段階戦略、
日共政治への接近に付け込み、ブント(赫旗派)を創りだした、経過等等。しかし、
いずれも、破綻しています。」



699 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 21:21:10
寄せ場労働者への位置づけ

赫旗派・・産業予備軍
解放旅団・・流動的下層労働者
怒涛派・・日雇い労働者+流動的下層労働者
赤軍派(プロ革)・・下層労働者
RG+L研・・・建設・土木労働者
フロント・・日雇い労働者
日共(ML)・・未組織労働者
□○・・・・ルンプロ

700 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 21:26:15
>>699
つーことは怒濤派というのは解放旅団とフロントの合体ですか?

701 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 21:27:30
つーか解放旅団って何よ?

702 :革命的名無しさん:2007/01/21(日) 21:31:15
寄せ場労働者への位置づけ

流動的下層建設土木未組織日雇い産業予備軍


703 :革命的名無しさん:2007/01/22(月) 19:02:42
★正月号の発行パターンには、各党派紙でも、およそ毎年決まっていて多くは
年内に出るが、早い遅いがある。本紙の前身の一つである旧『赫旗』は、一月
下旬に出ていた。これは釜ヶ崎で越冬闘争が終わらなければ正月は来ないから。
★この号と正月号は連続して作るような感じになりますので、原稿をよろしく。
年内に正月号を発行するのは、雑誌業界では商業的意味だが、我々は正月休みに
紙面をゆっくり読んでもらいたいから。なに、三が日ぐらいは左翼文献は見たく
ない、その気持ちも確かに分かる。(若杉)


704 :革命的名無しさん:2007/01/22(月) 19:07:18
>>696
葉寺やTAMO2を執拗に攻撃している。ただのあらしだ。

705 :革命的名無しさん:2007/01/22(月) 19:32:16
けっ、気色の悪いもののせるんじゃネェ!

706 :革命的名無しさん:2007/01/22(月) 19:44:18
労共党に行かれた方々のお気楽さは戦術的演出でしょうか。
それとも世界党ー革命戦争の任務から解放された安堵でしょうか。

707 :革命的名無しさん:2007/01/23(火) 09:21:28
いや、年齢(加齢)によるものです。
仕方ありませんね。

708 :革命的名無しさん:2007/01/23(火) 16:50:13
確かに世界党を僕らは目指した。そして敗北(逃亡)した。
でも、今も、本気で世界党ー革命戦争を夢想してたら化石もんだな。
足元から築く。もいちど。いま僕らが必要なこと。

709 :革命的名無しさん:2007/01/23(火) 20:41:22
石田、成島、吉川らの確執がこれほど深いとは想像していなかった70年代。

710 :革命的名無しさん:2007/01/24(水) 19:02:32
労共委内の「確執」を革命的に止揚したのが労共党である。

711 :革命的名無しさん:2007/01/24(水) 19:55:01
>>710
いや違うと思う。労共委が分裂して、そのイズムを止揚しようとしたのは臨中
だよ。日共MLから労共党へ行った人たちは、もうすでに無縁な存在さ。
「確執」というのは、つまり理論闘争であり、党内闘争であったわけで、日和見
のスターリニストとの、党内というより党派闘争に近かったわけだ。

712 :革命的名無しさん:2007/01/24(水) 20:06:52
言葉のみで止揚(解決)しようとした6大M、その悪しきもの流れ込みたる労共党。
言葉だけなら、何とでもいえるさ!

713 :革命的名無しさん:2007/01/24(水) 20:55:37
ふーん臨中が労共委を「止揚」して、自分は霧散したんだ

714 :革命的名無しさん:2007/01/25(木) 00:30:31
塩見さんという人はどこまでも自分中心に世界がまわると思っているんですね。
まあ、獄中で議長気取りでいた時代はしょうがないとしても。


715 :革命的名無しさん:2007/01/25(木) 13:25:13
>>711
労共委の分裂は、マオイズムが注入してきたことが大きな原因とみるが・・・

>>714
なにしろ塩見さんという人は「日本のレーニン」を自称してましたから・・・

716 :革命的名無しさん:2007/01/25(木) 18:58:35
>>715
いつ頃からマオイズムが入ってきたんだろうか。70年代初め頃までは
ML派を「毛沢東思想への下属」と批判してたのに。

717 :革命的名無しさん:2007/01/25(木) 21:39:02
革共同の「反スタ」への批判として「理念ではなくソ連と中国の具体的行動を
具体的に評価」するという立場から相対的に中国共産党を支持する態度を取った
70年初期からその萌芽があったのでは。

718 :革命的名無しさん:2007/01/26(金) 18:54:18
>>717
当時出された「情勢と任務に関する決議」の中には、次のように記してある。
「中共における文革の結果は、劉小奇ら『実権派』による『調整期』路線の若干の手直し
以上にはでていず、−−中略ーー プロレタリア独裁という名の共産主義社会実現の任務
を完全に忘れた官僚支配を自己目的化する道に迷い込んだことである。」

719 :革命的名無しさん:2007/01/27(土) 10:35:34
塩見が赤軍(プロ革)を結成したことに影響されて急激にマオ支持に転換したんじゃ?

720 :革命的名無しさん:2007/01/28(日) 09:34:35
労働者共産主義委員会=怒濤派の思想的党内事情

68年  共産同労革派(準)を経て労働者共産主義委員会=怒涛派を結成。
    ブント岩田理論と決別したが故に、前衛派=岩田ー水沢派との党派
    闘争激化。
70年頃 委員会内理論闘争展開。この頃離脱者かなりあり。
73年頃 パレスチナ支援展開。他党派との共闘関係も。毛思想も顔を出し始める。
75年頃 B使用。B取法で追われ、全党地下潜伏の指示。離脱者も出始める。
76年頃 党内理論闘争、というより指導部内での対立が大きくなる。
以後、理論闘争は党内闘争へと激化し、臨中の革命的蜂起で(クーデターと言われ
ることもあるが)組織は4分裂。愛知Gはもともと思想的な一致で活動してたわけ
じゃないため、グループごと離脱。中央委の多数派は日共MLへ吸収合併され、
都委と神奈川委は数年後には自然消滅。臨中は労働者共産主義委員会全国協議会を
名乗る。従って、労共委の思想的継承者は臨中ということになる。


721 :革命的名無しさん:2007/01/28(日) 09:53:34
無茶苦茶なこと言うな!
労共委を継承しているのは「左」右、中間派の組織日和見主義、召還主義を
全国政治新聞をもって粉砕した中央委による労共党以外に無い。

722 :革命的名無しさん:2007/01/28(日) 17:11:20
臨中のクーデターは失敗に終わり関西へ逃亡し、中央委は組織原則を保持したという
のが大方の評価でしょう。

723 :革命的名無しさん:2007/01/28(日) 17:59:46
>>721
でもなんで日共MLへいったの? 先祖還りかな。

724 :革命的名無しさん:2007/01/28(日) 20:16:23
六大Mとワイ防衛軍事戦=クーデター
根拠地建設=逃亡
見ているだけ=組織原則


725 :革命的名無しさん:2007/01/28(日) 20:55:33
>>723
世界党ー革命戦争をやらないならどこでも良かったのです。

726 :革命的名無しさん:2007/01/29(月) 19:19:08
臨中と反臨中の闘いがいまだに続いてるようだが、いやあ誠に結構ですね。
団塊(ポスト団塊)世代の脳活性化に、まさに革命的な効果があると思う。
2ちゃんが闘争会場なら実害なしだ。
認知症を予防し、介護保険のお世話にならないようにして、市町村の介護
保険財政健全化に貢献しよう。若い時はさんざん迷惑かけたんだから。
なお、介護保険適用は65歳以上だけじゃないよ。40歳以上で、早老症や脳
血管障害等で介護状態になった人も該当するからね。


727 :革命的名無しさん:2007/01/29(月) 21:04:30
臨中だって最後は解散して大隈労働党への加入を本気で考えたそうだ。

728 :革命的名無しさん:2007/01/30(火) 13:58:35
1967年3月、日共(日本共産党)佐賀県委員である大隈鉄二が除名された。
大隈は佐賀県内で独自に「親中共派」の組織づくりを進めていたが、その後
1967年暮、山口県の「日共左派」と合流し、「日共左派佐賀県委員会」の
責任者となった。しかし、綱領問題をめぐって山口派と意見が対立し、1968
年10月「日共左派」からも除名され、1969年6月「日共革命的左派」を結成
した。1970年12月10日に党名を「日共革命左派」と改め、ここに「日共革命
左派九州党」が確立されるに至った。「日共革命左派九州党」は、1972年に
は九州のほか、関西、関東の地方委員会を確立し、同年9月には全国委員会
を結成して、全国組織としての基礎を確立した。1974年1月、「日共革命左派
九州党」は発展的に解消して「日本労働党」を結成した

729 :革命的名無しさん:2007/01/30(火) 19:12:40
親中国派はなぜか個人崇拝党派へとなるんだよな。日本労働党の大隈、
日共左派(山口左派)の福田、日共行動派の大武。
崇め奉れば革命成就か・・・

730 :革命的名無しさん:2007/01/30(火) 19:14:46
毛派自体が個人崇拝色が強いから当然といえば当然

731 :革命的名無しさん:2007/01/30(火) 20:53:51
>>727
ほんまかいな。臨中と赤軍派との合流話なら聞いたことあるが。
労働党への合流なら赤軍派の八木グループが一時それで動いたとの話もある。

732 :革命的名無しさん:2007/01/30(火) 21:50:13
>>729
日本共産党(マルクス・レーニン主義)全国委員会は
安斉庫治同志への個人崇拝をしません。

733 :革命的名無しさん:2007/01/31(水) 00:13:53
労働党結成時の集会に行ったけど、大隈だったか大隈だったかのオッサンがやけに毛派の違和感を感じた。
あのころは、北京週報で張春橋だの四人組の論文を読んでいたな。


734 :革命的名無しさん:2007/01/31(水) 00:49:20
ちょうしゅんきょう・おうこうぶん・ようぶんげん・江青

735 :革命的名無しさん:2007/01/31(水) 11:33:08
 張春橋、姚文元の論文は、今から振り返ってみても、斬新だったと思う。たぶん彼らは、
立場上べトレームやアルチュセールを参照することができたんだろう。
 初藍=江青は、「ベートーベンの無表題音楽の階級性」と言うラカン的迷論文が、示し
ているように、とほほな物が多かった印象がある。
 幻の「姚文元回想録」が読める日は来るのだろうか。

736 :革命的名無しさん:2007/01/31(水) 20:04:54
>>731
>労働党への合流なら赤軍派の八木グループが一時それで動いたとの話もある。

その話なら72年〜73年頃、赤軍派の都委員会と関西地方委員会のいわゆる
「清算派」と言われる人たちの動きのことでしょう。解体的出直しという
ことで、京大C戦線との共闘やブント再建の模索とともに、一部の人たち
は労働党の結成にも一枚噛んだはずです。
臨中と赤軍派との合流話は知りません。臨中と反臨中との復縁話も個人的
交流を糸口として、一時探られたようですが、これはさすがに進めようが
なかったようです。



737 :革命的名無しさん:2007/01/31(水) 20:52:16
70年代中期後期辺りの赤軍派と怒涛派の動向が妙に連動しているんだよね。

738 :革命的名無しさん:2007/01/31(水) 23:39:34
>>737
ふーーーん。まだ「歴史」になりきってないからね <意味深(謎

739 :革命的名無しさん:2007/02/01(木) 19:19:51
>>737

サソリ、オオカミもお忘れなく

740 :革命的名無しさん:2007/02/01(木) 20:45:47
そうか、中央委派、臨中派どちらも最後は草刈場か。

741 :革命的名無しさん:2007/02/02(金) 20:04:06
結局個人になった

742 :革命的名無しさん:2007/02/02(金) 20:08:23
それで正解。これ以上解体されないからね。
さて、同志の皆さん、隊伍を揃えましょう。

743 :革命的名無しさん:2007/02/03(土) 02:12:09
日本帝国主義への正規の攻囲を組織せよ

744 :革命的名無しさん:2007/02/03(土) 14:23:32
労働組合の役員やって党の機関紙を組合員に義理で買ってもらい月1回の細胞会議を酒飲みながら適当にやって・・
これが「正規の攻囲」の中身。

745 :革命的名無しさん:2007/02/03(土) 14:26:09
少なくともうちの細胞ではないな。

746 :革命的名無しさん:2007/02/03(土) 22:39:40
そうか よかったな

747 :革命的名無しさん:2007/02/04(日) 11:20:39
正規の攻囲という主張は労共委ではされてなく、
赫旗の主張だな。

748 :革命的名無しさん:2007/02/04(日) 18:48:50
73年3月 赤軍派臨時総会開催
74年7月 労共委6回大会
   11月 赤軍派(プロ革)結成
   12月 赤軍派(日本委)結成
75年   労共委に綱領論争
   9月 労共委へB取弾圧 中央委、臨中、神奈川に分裂
      赤軍派(プロ革)からML派分裂
以降年月省略
赤軍派臨総派と烽火ボルシェビキ派が合流し紅旗派結成
赤軍派ML派と遊撃派が合流し革命の旗派結成
労共委(中央委)が日共(ML)に合流
革命の旗派と紅旗が合流し赫旗派結成
日共(ML)と赫旗派が合流し労共党結成

749 :革命的名無しさん:2007/02/04(日) 20:56:52
日帝への正規の攻囲を組織せよは72年の佐野茂樹の著作。ようするにL研ですね。
ここからマル青へどうやったら一足飛びに行けるのか。

750 :革命的名無しさん:2007/02/04(日) 22:07:14
佐藤政府を倒せ!武装闘争と大衆路線を結合・発展させよ!
ーニクソン訪中・世界革命闘争の新局面とわれわれの任務ー
と71年獄中からアピールを発した共産同7回大会議長である
佐野茂樹は出獄後、レーニン主義研究会を組織し、解放委員会と
統一し74年マルクス主義青年同盟を結成するも党内闘争に敗北し
離脱。その後、北大阪を拠点に共産主義同志会を組織。80年代に
大塚有章の毛沢思想学院を拠点に活動しつつ中国への植林運動に
参加する中でエコロジーに傾斜しマルクス主義を放棄。
現在はGENという市民運動を主催しネパールへの支援、チベット支援
運動を進め中国批判を展開。
ブントの大田竜と称される。これが「正規の攻囲」の帰結。
マルクス主義を放棄。

751 :革命的名無しさん:2007/02/05(月) 19:08:52
土・日にかけて大阪出張だった。ついでに30年ぶりに釜に行ってみようと思い、
太子のホテルに宿を取った。1泊2,100円。周りには1,000〜1,500円の宿も
あった。あいりんセンターや三角公園のへん回ってみた。昔の雰囲気と随分
変わってた。昔ほどの汚さが無い気がした。昔は作業服にニッカボッカズボ
ンと地下足袋。土・日のせいもあるだろうが、今はジャンバーにベストとス
ニーカー。でも路上に寝てるのや朝から酒飲んでるのがいるのは一緒だな。
彼らに混じって軽トラ屋台のホルモンと酒飲んだが、セーター姿だったんで
じろじろ見られた。朝は189円の納豆定食。どんぶり飯で喰いきれなかったよ。
労共党のみなさんとは会えませんでした。


752 :革命的名無しさん:2007/02/05(月) 21:02:33
労共党は今、ナガイ公園の方で忙しいです。

753 :革命的名無しさん:2007/02/05(月) 21:15:42
>>748
少し補足します。
共産同全国委からボル派が分裂して赤軍派臨総派と統一して紅旗派
        ML派が分裂して革命の旗派と統一して赫旗派



754 :革命的名無しさん:2007/02/05(月) 21:35:19
俺はこの土日、立山に登山してた。

755 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 00:27:57
あした、もう一度いって、滑落しなおせ。

     立山なんて、アヒルでも登れるし・・・

756 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 00:44:36
そのML派ってどこのML派。
ちょっと違うんじゃないの。ねえ、生田さん、松平さん

757 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 18:51:24
>>752
TV見てたら、大阪市側は白ヘルにマスク。支援者側は無帽。どうせならヘル姿で
ぶつかりあって欲しかったね。なお望むなら、労共党は赤ヘルにWCPの文字で
登場して欲しかった。全国ニュースで存在感示すいい機会だったのに。

758 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 19:15:47
>>757
蜂起がいたぞ。労活評は?

759 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 19:19:11
労共党は逃亡しますた

760 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 20:43:48
ナガイ公園には統一共産同もはせ参じますたよ。

761 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 20:48:11
>>760
ワーカーズか?

762 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 20:54:58
>>756

共産同(全国委)→ボルシェビキ派+赤軍臨総=紅旗派
       →ML派+革命の旗派+紅旗派=赫旗派
共産同赫旗派+日共(ML)=労共党

763 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 20:59:16
大阪・十三の関単労事務所にはジーさん、バーさんが常駐していますが
老体に鞭打ってナガイ公園に進撃したのかな?

764 :革命的名無しさん:2007/02/06(火) 21:05:45
山谷 山統一労組 赤軍プロ革
   山谷日雇労組 元フロント
   磯江氏を支持する会
釜ヶ崎 釜ヶ崎日雇労組 共産同紅旗派
    釜ヶ崎働く仲間の会 怒涛派臨中
    釜ヶ崎爆取救援会 赤軍派

765 :革命的名無しさん:2007/02/07(水) 01:56:10
この国を見限ってやるのは俺のほうだと
追われながらほざいた友からの手紙には
上海の裏町で病んでいると
見知らぬ誰かの下手な代筆文字
なのに永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる
永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか

中島みゆきが作ったこの歌を去年の嬬恋のライブで初めて聴きました。
このサイトの一部のP関連の皆様にご紹介します

766 :革命的名無しさん:2007/02/07(水) 02:07:11
曲名教えてチョ

767 :革命的名無しさん:2007/02/07(水) 19:41:38
パレスチナ支援と軍事が70年代労共委の生命線であり綱領のストライクゾーンであった。
少なくない同志達がそれに命と青春をかけた。
だが70年代中期ではパレスチナ支援や軍事が党内闘争のけん引力にならなかったのは何故だろうか。
その点を切開せず中島みゆきを聴いても何にもならないのではないだろうか。

768 :革命的名無しさん:2007/02/07(水) 23:30:48
永遠のうそをついてくれ  だよ

769 :革命的名無しさん:2007/02/08(木) 08:26:16
Yに関しては話せる部分もあるかもしれないが、Pに関しては。。。。
永遠の嘘となるんだろうな。

770 :革命的名無しさん:2007/02/08(木) 21:19:25
♪折れたあ〜タバコの吸殻でえ〜アナタの嘘がわかるのよ〜♪
ってかあ。

771 :革命的名無しさん:2007/02/09(金) 20:45:15
>>764
釜ヶ崎働く仲間の会の大○氏はどうしている?

772 :革命的名無しさん:2007/02/10(土) 20:03:57
>>769
では、Yに関して話してください。当時の立場により、その歴史観の違いは生じると思い
ますが、まあそれはお互い認容範囲でしょうから。

773 :革命的名無しさん:2007/02/11(日) 09:30:59
春浅しワイもYも流されて

774 :革命的名無しさん:2007/02/11(日) 12:05:59
Yに特別な話あったんかいな?見てのとおりだと思うけど。
それ以上でもそれ以下でもないYな。<おやじギャグ

775 :革命的名無しさん:2007/02/11(日) 19:21:29
労共委の分裂は表面的には(ここでも)B取弾圧に対する方針の対立によって
後に日共安庫派に合流する中央委派と、軍事路線を追求する臨時中央委派が
生まれた事になっているが(取りあえずは)、より本質的核心的な問題はY自身に
内在していた事は明らかではないだろうか。


776 :革命的名無しさん:2007/02/11(日) 20:31:20
竹石圭佑…中国で生まれ名古屋で育つ20歳。小学生を狙う強姦魔

777 :革命的名無しさん:2007/02/11(日) 21:28:39
もうすぐ還暦の爺さんがコレ↑ですかw

778 :革命的名無しさん:2007/02/12(月) 08:50:30
労共委の機軸がYとPであったにもかかわらず
その両者が党内闘争で牽引力を発揮しなかったな。

779 :革命的名無しさん:2007/02/12(月) 19:02:22
怒涛派のYって何人いたの?
あの頃はブント系のほとんどにはYがあったね。

780 :革命的名無しさん:2007/02/12(月) 20:50:48
結局、「綱領に結集する党」を作りきれなかったことが、分裂・離散の原因だ。

781 :革命的名無しさん:2007/02/13(火) 18:58:52
↑綱領に結集したはずのベニバタは霧散しましたが・・・

782 :革命的名無しさん:2007/02/13(火) 21:05:52
そういえば、綱領委員会というのがあって、「怒濤」紙や「共革」誌に
よくその論文が載ってたなあ。「政治テーゼ再編の闘い」に始まって、
「綱領確立への闘い」ってな具合で、理論闘争は労共委の十八番でもあった。

783 :革命的名無しさん:2007/02/14(水) 21:01:48
>>771
>>釜ヶ崎働く仲間の会の大○氏

80年代初期の頃、社会党、塩見派、立志社の間を飛び回っていたのを
見た。彼は臨中派のオモテ看板だったのであの動きは不思議だったな。
当時、侵略阻止共闘で話題になったのを覚えている。彼は東京農大だったっけ?
大○氏は赤軍派プロ革の分裂時期には東京水産大に常駐していて赤軍高原派を
支持するようなことを言っていたな。


784 :革命的名無しさん:2007/02/14(水) 21:24:58
少し記憶がよみがえった。
大○氏って、長身ではないが力士のような体格をしていた方ですか?

785 :革命的名無しさん:2007/02/14(水) 21:47:37
そんな風体だったね。

786 :革命的名無しさん:2007/02/14(水) 22:00:19
大○氏に関してもう一つ付け加えると
某集会で久しぶりに再会した時、お互い頭を七三に分けて似合わないスーツ姿
なので笑ったな。生意気だけど真面目でいい奴だったな。

787 :革命的名無しさん:2007/02/15(木) 19:32:03
>>783>>784>>785>>786
サンクス 仲間の会の大○氏とは昔、反日支援や山谷で一緒にやっていて、つい、懐かしくなって。

788 :革命的名無しさん:2007/02/16(金) 12:18:37
へぇ 怒涛派は反日を支援してたの?

789 :革命的名無しさん:2007/02/16(金) 12:35:53
仲間だもん♪

790 :革命的名無しさん:2007/02/16(金) 16:05:46
仲間イナイモン

791 :革命的名無しさん:2007/02/16(金) 19:07:18
東アジア反日武装戦線に元怒涛がいたとのウワサが、当時流れてましたが
ガセ情報です。ただ、Bの点でシンパシーはあったと思います。

792 :革命的名無しさん:2007/02/16(金) 19:56:45
火の無いところに狼煙は立たず

793 :革命的名無しさん:2007/02/16(金) 20:48:51
怒涛は臨中派が寄せ場で下層労働者に依拠した革命エネルギー転化実践、
中央委派は機関紙(怒濤)発行活動中心、というのが実態です。
(70年代後半)

794 :革命的名無しさん:2007/02/16(金) 21:06:19
だから、そのまんま東アジフライ戦線と労共党は無関係です

795 :革命的名無しさん:2007/02/17(土) 05:13:12
怒涛派 寄せ場 反日を結ぶものは何か よーく考えよう

796 :革命的名無しさん:2007/02/17(土) 20:10:45
怒涛の一部の者達がBを志向したのは、明らかに間違いであった。全世界に
単一の革命党を組織し、世界プロ独樹立ー労働者階級を解放(人間の解放)
するという、あの崇高かつ真摯な労学青年達の想いの戦術化としては、短絡
的と批判されても仕方のないものと言えよう。つまり、東ア反日武装戦線の
B闘争とはまたスタンスの異なるものだということ。

797 :革命的名無しさん:2007/02/17(土) 20:54:38
投降派・清算主義者がマイクを握りました。

798 :革命的名無しさん:2007/02/18(日) 18:58:12
投降はしないが清算はした。だからこそ今がある。現実から出発するのが
共産主義者じゃなかったのかい。

799 :革命的名無しさん:2007/02/18(日) 20:11:30
投降も清算もしてないが、逃亡はしたって悪質か?俺。

800 :革命的名無しさん:2007/02/18(日) 21:02:39
いやいや人は「逃亡」と言うが、「転進」なんですよ。外野のヤジ気にしてちゃ
生きてけませんよ。

801 :革命的名無しさん:2007/02/19(月) 19:20:11
このスレもネタ切れと言われながらそれでも800まで来たか・・・
ひとえに臨中派と反臨中派の書き込み対抗戦のおかげだ。感謝。
それぞれ歴史は語るたびに美化される。ま、いいか。

802 :革命的名無しさん:2007/02/19(月) 19:35:43
我が軍は全人民による歓呼の嵐の中に進軍しています。

803 :革命的名無しさん:2007/02/19(月) 21:07:09
>>801
では、800レス達成記念に、労共委結成宣言(68年9月)から、ちょこっと。

「全国の革命的労働者学生諸君! 我々はここに労働者共産主義委員会の結成を宣言
し、諸君の結集を呼びかける。ーーー中略(あまりにも長いので)−−−我々はその
道の険しく、厳しいことを知っている。だが我々は前進するであろう! 全国の革命
的労働者学生諸君! わが労働者共産主義委員会に結集し、共に闘わん!」  

804 :革命的名無しさん:2007/02/19(月) 22:24:08
左翼だが嫌韓国、嫌北朝鮮、嫌中国の人たちへ!
http://money5.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1171617676/


805 :革命的名無しさん:2007/02/20(火) 20:47:26
東アジア反日武装戦線スレで怒涛の展開です。

806 :革命的名無しさん:2007/02/21(水) 19:30:18
俺はどちらかといえば、反日よりも赤軍派にシンパシーを持っていたけどね。


807 :革命的名無しさん:2007/02/23(金) 20:51:26
同じブントだからね。でも多木さんたちは毛派を選択したんだよね。

808 :革命的名無しさん:2007/02/24(土) 08:02:29
毛派と半日といえば、阪神VS巨人 布亀VS富士薬品 

809 :革命的名無しさん:2007/02/24(土) 09:14:18
ブントと毛派が野合した連合赤軍という事例もある。

810 :革命的名無しさん:2007/02/24(土) 19:21:20
ブントと毛派が野合した労働者共産党という事例もある。

811 :革命的名無しさん:2007/02/24(土) 21:39:22
今月の労共党の編集後記はジーンときます。
「一九六九年大菩薩峠に登る前日の隊長会議が、彼との別れとなった。振り返ればそれは、その後の人生のあまりに大きな別れ道となってしまった。」

812 :革命的名無しさん:2007/02/25(日) 10:21:14
赤軍派史でボサツはどう位置づけられていますか?

813 :革命的名無しさん:2007/02/25(日) 20:43:40
ボサツとしてるからパクられるんだ 菩薩峠福ちゃん荘

814 :革命的名無しさん:2007/02/26(月) 20:32:39
怒涛派板って面白いね。ネタが切れると反日や赤軍関係が揚げる。

815 :革命的名無しさん:2007/02/27(火) 18:25:09
怒濤の兵站であった神奈川・関東学院の全共闘が敗北した以降、
大衆動員が出来なくなってから、生協へのデタラメナ「指導」も
あって活動家が離反する中で、GAN−MOGU−TOMATO達が神奈川県委を
分裂させ臨中に逃げたのですか?

816 :革命的名無しさん:2007/02/27(火) 20:37:11
懐かしゅう 岩山 小倉 松本・・・

817 :革命的名無しさん:2007/02/28(水) 21:42:45
おまえら 一日一書き込み任務を真面目にやれ!

818 :革命的名無しさん:2007/03/01(木) 04:45:44
今日も朝からあいりんセンターで職探しだ。

819 :革命的名無しさん:2007/03/01(木) 20:25:42
今日の職探しはどーだったあああ?

820 :革命的名無しさん:2007/03/01(木) 21:01:38
もう焼酎飲んだか? 軽トラ屋台のモツ肉喰ったか?
明日も早いぞさっさと寝ろ! 曙光の前に起きろ。

821 :革命的名無しさん:2007/03/02(金) 04:59:15
夜明け前の職探しは50代にはキツイ

822 :革命的名無しさん:2007/03/03(土) 22:02:32
底辺からの革命路線はもう止めようや。

823 :革命的名無しさん:2007/03/03(土) 22:15:48
イズミ、成島、峰山・・・
誰がオイラの人生の責任取ってくれるのか。

824 :革命的名無しさん:2007/03/03(土) 22:32:12
>>823
自分で責任とりなさい

825 :革命的名無しさん:2007/03/03(土) 23:10:05
お前の人生、俺の人生、奴等の人生、仲間内に殺されたやつ、いまでも身体に障害を持った奴。
だれでも自分の責任だよな。

826 :革命的名無しさん:2007/03/04(日) 08:07:17
>>823
一言言っておくけど、左翼も自力自助が基本だ。
年金なんかあてにせず、老後のためせっせと貯金しろ。

827 :革命的名無しさん:2007/03/04(日) 11:09:30
>>823
いい歳こいて、まだ「依存」ですか?w

828 :革命的名無しさん:2007/03/04(日) 12:18:38
>>822

流動的下層労働者に依拠してやり返すぞ。

829 :革命的名無しさん:2007/03/04(日) 22:01:40
渡したカンパは もうあきらめた。
でも 青春をかえせ。


830 :革命的名無しさん:2007/03/05(月) 02:03:31
俺もあんなに情熱を注がなくてもよかったなあ、なんて思うことあるけど

831 :革命的名無しさん:2007/03/05(月) 20:55:43
分裂時期の各拠点(と言っても5人以下だが)の状況を熱く語れ!

先ず、東部、南部、北部、水産大、工学院、中央大などで形成された都委員会は
臨中のクーデターには一致して反撃した。

832 :革命的名無しさん:2007/03/06(火) 21:00:22
その都委員会は東部、工学院を中心にして日共MLに解消、これに反発する
南部などが離反し「労働新報」を発行。都委員会の分裂は親ソ、親中の
対立が背景にあった。

833 :革命的名無しさん:2007/03/07(水) 13:00:34
都委員会でも水産大は臨中派を支持していたな。

834 :革命的名無しさん:2007/03/07(水) 18:49:30
静岡は大量の脱落が生まれたけど、臨中支持。

835 :革命的名無しさん:2007/03/07(水) 21:07:47
>>831
工学院・・・ ん〜初めて聞きました・・・


836 :革命的名無しさん:2007/03/07(水) 21:29:01
工学院全学戦線だよ 会津出身者が多かった

837 :革命的名無しさん:2007/03/07(水) 21:50:54
ああ、沖縄青年同盟のSさんが関係したね

838 :革命的名無しさん:2007/03/07(水) 22:19:50
さて 今晩は頭脳警察の「世界革命戦争宣言」を子守唄にするか。
http://www.youtube.com/watch?v=vNnjrCopMKY&mode=related&search=

839 :革命的名無しさん:2007/03/07(水) 22:36:11
「終曲」 (斎藤和 作)
  凍てた花はすぐ枯れる。
  でも新しい芽は割れ
  水は音を立てて流れ始める。
  君と一緒なら
  でもわたしには
  戦が待っている。


840 :革命的名無しさん:2007/03/08(木) 04:58:27
>>838
よく眠れたか?

841 :革命的名無しさん:2007/03/08(木) 19:30:16
朝4時に起床。6時からビルの掃除バイトを8時に終わり9時から6時まで仕事。
月末の土日はバイトの新聞代の集金バイト。50代後半の身体にはもう、ヘトヘトだ。
でもな、こんなゴキブリみたいなオイラでもな、胸には真紅のヘルメットが輝いているんだよ。
労働者共産主義委員会がいつか世界党になる夢が。


842 :革命的名無しさん:2007/03/08(木) 20:51:07

ガンバレ オヤジ 涙がでたぞ

843 :革命的名無しさん:2007/03/08(木) 21:01:48
>>841
おかしな釣りすんな!
労共委は単一の世界党を組織化することを任務としていたのであり、労共委が
そっくり世界党になるわけじゃないんだよ。だからこそパレスチナ支援もあった
わけだし、「怒濤」紙や各種パンフに力を入れてたんよ。

844 :革命的名無しさん:2007/03/08(木) 21:39:51
>>841

アル中やホラフキの大風呂敷を信じたオマエが悪いのさ。


845 :革命的名無しさん:2007/03/09(金) 05:06:16
さ、今からビル清掃のバイトに出かけるか・・・。

846 :革命的名無しさん:2007/03/09(金) 20:00:20
今日の仕事は辛かった。あとは焼酎飲んで寝るだけ。
こんなゴキブリみたいなオイラでも
胸の 胸の奥には真紅のヘルメットが輝いているんだ。


847 :革命的名無しさん:2007/03/09(金) 20:59:24

オヤジ、ガンガレ!世界革命は近いぞ!
それまで赤ヘルを磨いておけ!

848 :革命的名無しさん:2007/03/09(金) 21:02:23
底辺の労働者のエネルギーに依拠した革命を夢見たのは臨中。
赤軍プロ革や蜂起もそうだが、戦略的誤りだった。
過渡的世界論の中で、ルンペンプロレタリアートを何かしら
意味あるものと考えてしまったんだな。

849 :革命的名無しさん:2007/03/10(土) 17:08:34

それからベニバタ、カクキもお忘れなく。

850 :革命的名無しさん:2007/03/10(土) 19:05:34
紅旗や革命の旗は、ちとスタンスが違ってたんじゃないかい。

851 :革命的名無しさん:2007/03/10(土) 20:25:39
寄せ場で活動するんなら警察だけじゃなく、ヤー公との対決もきっちりやって
欲しかったよな。チンピラどもの脳天に革命的鉄槌を期待してたんだが。

852 :革命的名無しさん:2007/03/10(土) 20:40:54
>>848
むしろ逆。
ネグり、ハートのマルチチュード概念に正接される基本的に正しい志向だったにも
関わらず、革命の主体としてのプロレタリアートと言う20世紀的謬論に拘泥して
理論としても運動としても何も生み出せなかった、と総括すべきだろう。

853 :革命的名無しさん:2007/03/10(土) 20:54:02
>>851
ヴォケ!何ぬかしておるんじゃ!クソガキ!
ヤマの戦いで金町一家の白色テロに倒れた佐藤さん、山さんを知らんのか!
その前には釜で三角公園を根城にしていた反革命ヤー公が経営するスナックを
粉砕したんじゃ。

854 :革命的名無しさん:2007/03/10(土) 20:56:06
>>853
スナックの女の子の乳でもシャブリながらゲロでも吐いてたんか

855 :革命的名無しさん:2007/03/10(土) 21:30:26
神奈川ー関東学院の品格の無さよ。

856 :革命的名無しさん:2007/03/10(土) 21:57:18
臨中・神奈川一派が中央委=現労共党に敗北した疑問が解けました。
>>乳でもシャブリながら

857 :革命的名無しさん:2007/03/10(土) 22:02:47
ホラフキ、アル中、色情マニアの臨中ー関東学院なんか相手にするな。

858 :革命的名無しさん:2007/03/11(日) 09:53:50
10.8羽田闘争
http://www.youtube.com/watch?v=wvUJN9rhD3Q&mode=related&search=

859 :革命的名無しさん:2007/03/11(日) 20:36:16
>>853
なに言ってんだ。ほとんどやられっぱなしだったじゃないか。(新婚初夜の花嫁か)
ヤー公事務所に火炎瓶ぶち込むとか、やつらの脳天に鉄パイプやバールを叩きこめ
なかったんか?

860 :革命的名無しさん:2007/03/14(水) 20:25:39
で、結局、日共MLに解消した中央委派で労共党に今残るのは若杉=多木(7.7連協)一人。
中間派の神奈川はGAN、MOG、TOMATOが臨中に行ってしまい残った基督教徒さんの連れ合いも霧散。
臨中は山田議長が逃亡し自然消滅。
愛知県委は日本革命党とかいうサークルをでっち上げても世間知らずの田舎者の末路に至る。
こんな集約でよろしいか。

861 :革命的名無しさん:2007/03/17(土) 10:10:02
>>860
ワシはちと見解が異なる部分があるが、おみゃーさんがそう思うんならまあ
そう受け止めておこう。(ワシも寛容さが出てきた。昔これがあったらな。)

ついでに労共委のルーツを述べると、
@統一再建ブント内で旧黎明系分派を形成していた。(マル戦派と呼ばれていた。)
A68年のブント7回大会で統一関西派に敗北。
B労革派(準)を結成。
C前衛派(岩田ー水沢派)との分派闘争。
Dブント的なものから決別して労共委を結成。


862 :革命的名無しさん:2007/03/17(土) 10:13:20
元怒濤派で今公然と顔を外に晒しているのはチューさんだけだな。

863 :革命的名無しさん:2007/03/17(土) 10:34:54
「欠点が意識されていさえすればよいのだ! 革命の事業にとっては欠点を
意識することは、それを半ば以上訂正したに等しいのだ。」
(レーニン 「何をなすべきか」)

864 :革命的名無しさん:2007/03/18(日) 16:29:53
>>860
労共委解体から四半世紀が過ぎ初めてまともな総括に出会えて感涙が頬を伝わっている。
ヤッテテヨカッタ♪労共委!

865 :革命的名無しさん:2007/03/18(日) 20:39:52
>>864
勘違いすんなよ。860のは総括じゃなく、労共委分裂後の動向の様々な解釈
をただ集約してみただけだ。

866 :革命的名無しさん:2007/03/18(日) 20:56:17
>>861
>Dブント的なものから決別して労共委を結成。
E労共委的なるものから決別して日共MLに合流。

867 :革命的名無しさん:2007/03/19(月) 11:57:36
F日共ML的なるものから決別して日共に合流。長い回り道だった。

868 :革命的名無しさん:2007/03/19(月) 20:15:35
>>867
なんで日共に合流だ? それを言うなら、
F日共ML的なるものから決別して、労共委的なるものへの先祖還りとして
 赫旗と統合し、労共党結成。

もっとも旧労共委で残ったのはTさん一人。
気が付けば、誰もいなくなっていた・・・ お〜怖〜。


869 :革命的名無しさん:2007/03/20(火) 19:13:09
>>868
>労共委的なるものへの先祖還りとして

 労共党という名前だけならそうかも。怒濤死して名を残す・・・

870 :革命的名無しさん:2007/03/20(火) 20:52:50
WCCへの先祖帰に関連するかもしれないが
労共党には日本共産党(マルクス・レーニン主義派)全国委員会(WCCを統合する前
統合後を含めて)の旗色がまったく見えないんだよ。これが気になるんだな。


871 :革命的名無しさん:2007/03/20(火) 21:05:08
革命の旗派の色がかなり影響してると思うが、違うかなあ・・・

872 :革命的名無しさん:2007/03/21(水) 12:21:38
870ですが、分裂前の労共委に席を置いていた時代から日共ML派に関心を持っていました。
分裂時期に組織を離れたのでそれ以降の経過は知りませんでしたので、多木さん達が7回大会で
日共MLへの解消を決議したのには正直驚きました。

>>871
そうですね。革命の旗派の雰囲気を引きずっているとも感じられます。
その場合、赤軍臨総派か、それとも赤軍ML派のどちらかと言うと
臨総派っぽいですね。マツピラ氏が労共党の代表らしいですから。
いや、赤軍ML派は労共党に残っているんですか?高原氏は引退したらしいですし。

873 :革命的名無しさん:2007/03/21(水) 20:58:20
>>872

ブントを清算したからブント系との統合を志向できないし
革共同や構革派とは無縁だし、そこで思いついたのが5回大会
以降の中国共産党への消極的支持路線に乗っかって相手ができる毛スタ潮流
を探しつつも「反米愛国」の民民革命=2段階革命戦略に組み出来ない
苦肉の策として当時毛派としては珍しく社会主義革命=一段階革命を
掲げていた安庫派に逃げ込んだ。


874 :革命的名無しさん:2007/03/23(金) 14:23:06
4.28東京で会おう!
成島氏も塩見さんらとがんばってるぞ!
http://www.geocities.jp/okinawaday428/

875 :革命的名無しさん:2007/03/23(金) 21:34:28
うぉぉおおお!
ナルチューさんの呼びかけに応え4.28に決起するぞ!!


876 :革命的名無しさん:2007/03/24(土) 18:11:00

元臨中派は根こそぎ動員だな。

877 :革命的名無しさん:2007/03/24(土) 19:19:21
成忠は嫌いじゃないが、塩見は嫌いだ。

878 :革命的名無しさん:2007/03/24(土) 19:50:26
お名前
: まつき

登録日
: 2007年3月23日19時25分

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どうして、それほどの由緒ある旗が成島氏の手に入り(系統上の正嫡全学連は
革マル系のはず)、そして成島氏の手に残ったのかも気になるところです。

ヨセフさんは「全学連旗について」で書きました。

>塩見孝也氏の話によると、
>今、国会前ではためいている全学連旗は「三派全学連副委員長の成島忠夫氏」
が提供したものだそうです。
>また、「この旗は、由緒あるもので、50年代「全国学生自治会連合」が、
当時本部を持っていたチェッコ・プラハに置いていた「国際学連」認証のもの
(多分プロヒンテルン指導下)を、ずっと継承して来たものらしいです。」
とのこと。



879 :革命的名無しさん:2007/03/25(日) 17:33:23
オマイらがヨンニッパーに逝くのはゼンゼンカマヘンケド
その前に、怒濤派大衆団体ー沖縄政闘委、いや、釜共闘ー船本州治氏の命をかけた沖縄決起を
総括してくれへんか。それから全学連の同窓会をやってくれ。

880 :革命的名無しさん:2007/03/25(日) 17:54:14
釜のことを言うなら72年頃からの鈴木建設や酒梅組系チンピラとの闘いあたりから
総括しなきゃ。船本さんたちの活動も急に湧いて出たものでなく、そういう下地が
あった延長線上と思うから。

881 :革命的名無しさん:2007/03/25(日) 18:02:07
9条改憲阻止の会
http://www.mkimpo.com/minibbs/kamex/img-box/img20070320125601.jpg
http://www.mkimpo.com/minibbs/kamex/img-box/img20070320185030.jpg
http://www.mkimpo.com/minibbs/kamex/img-box/img20070320123356.jpg

http://www.jca.apc.org/kyujokaikensoshi/

882 :革命的名無しさん:2007/03/25(日) 18:29:10
>>880
ワシは怒涛派と釜、こーちゃんの関わりそしてその結束点としての
沖政闘のこと言うとるんや。対鈴木組闘争や酒梅との時代には
怒涛派はまだ寄せ場にはおらんかったわ。わかったかヴォケ!

883 :革命的名無しさん:2007/03/25(日) 18:39:42
むしろ労共党の野宿者自立支援法運動の総括の方が緊急性高いのだが。

884 :革命的名無しさん:2007/03/25(日) 20:45:56
>>882
880だが、「ヴォケ! 」とはご挨拶だな。ワシは赤軍派で関わってたんだが、
先輩に対する敬意くらいあってもよさそうなもんだが。(偉ぶる気は毛頭ないが。)
下層労働者へのかかわりとして、むしろ怒涛が来るのが遅すぎたと考えてるん
だがね。

885 :革命的名無しさん:2007/03/25(日) 21:30:45
赤軍派(プロ革)と怒涛(臨中派)のバトルが
30年の時を置いて始まりますた。

886 :革命的名無しさん:2007/03/27(火) 19:05:22
赤軍(PR派)と遭遇したのは関東学院でのゲバ。これは赤軍政治局で後に神奈川に行った川島宏が煽ったらしいけど。
労共委の石田寿一氏(6回大会M)が多分P支の会議だったかな、発言をしていると
当時のPR派のガバチョ氏が真剣な表情で聞いていたのを思い出す。

887 :革命的名無しさん:2007/03/28(水) 20:13:16

ガバチョって労共党のマッピラとボサツで一緒だったろ。
確か花園大出身だったか。

888 :革命的名無しさん:2007/03/29(木) 04:56:58

赤軍派(プロ革)が分裂した時は、塩見の日本社研に逝ったな。

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